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MYヒストリー~ライフ/キャリアコンサルタント事業を始める理由~

こんにちは。ライフ/キャリアコンサルタントのazuです。
#毎日note更新中 !本日4日目になります。
今日は、自分のお話をしてみたいと思います。

写真にもあるように、私は2児の母です。
これまでのキャリアを語る上で、子供に恵まれた話を避けて通ることはできません。

・1社目、縦社会の中で楽しみながら上を目指す

まず、服飾専門学校を卒業した私は大手のアパレル会社に就職しました。
(そう、まず私は学歴がありません。)
当時のアパレル業界というのは”縦社会”で、お店のスタッフをレベル順に”〇番手”と呼び、少しでも上にいけるように!という世界でした。
素直で順応な私は(笑) 入社後は3番手から目指し、副店長→店長→マネージャーとなりました。
この時の上司が、美しく仕事が出来て人柄も魅力的な方で”こんな人になりたい”という憧れを持ちました。
”こんな人になりたい”という方に出会えるのは本当に幸せなことだと思います。そこから成長スピードもグングン加速できました^^

・初めての挫折、貧困問題、大きなトラウマとなる経験

実はプライベートではその間に結婚しており・・・子供を授かりました。
冒頭にも”子供に恵まれた”と書きましたが、私という人生において子供が一番の宝物であり、産まれた時から”いつか私の元を巣立っていくんだな…”と寂しくて涙が出るくらい、壮大で愛おしい存在です。

妊娠したことを課長(↑の憧れの上司ではない)に伝えると「販売員は朝から夜まで働けないと意味がない。学歴がないなら本社でも働けない。復職できないなら産休育休も取得するのはおかしいよな。辞めてくれ。」と言われました。
今思えば… この会社は何も分かっていない。女性を多く雇用する会社が、日本のためにやるべきはこんなことでは到底ない。
こういう社会が少子化を生み、子育て世代を苦しめている元凶の1つです。

そうして余儀なく産休育休を取れずに退職して”母”になるのですが…
妊娠・出産・産後に働けず収入がないことがどれだけ貧困になるのかを思い知りました。出産費用は国の助成金でまかなえたけれど、ミルク・オムツ・スタイ・洋服・おもちゃ・赤ちゃん用家具… エンドレスにお金がかかる。この貧乏生活は大きなトラウマと教訓になりました😨
ちなみに2人目の出産はその間にキャリアを積み、育休産休も取得できたことで貧困の苦しさは感じませんでした。なので年齢やそれまでの貯金額もありますね。(当時はまだ25歳で貯金もかなり少なかったです。)

・2社目、覚悟をもってより上を目指す!

1歳になると、とにかく働かなくては!と夜遅くまで預かってくれる民間の保育園に預け、仕事漬けの日々を送るようになります。
ここで就職したのは、人気ブランドを多くもつアパレルのベンチャー企業。ステップアップして、本社の営業職(店舗運営全般)に就きます。
そう、その頃の私は<アパレルが天職!ずっとここで上を目指して生きていくんだ!>と心に決めていました。
そのため、死ぬほど忙しい仕事をこなしながら、課長を目指し…部長を目指しました。

・人生の転機、ターニングポイントとなる出来事

数年経ち、子供が5歳の時、保育園の先生からお話がありました。
「お母さん、この保育園は”お子さんを安全に預かる”ということが一番の目的なので、他の幼稚園や保育園のように生活指導や教育はあまりやらないんです。〇〇君、もしかしたらこのままだと普通の小学校に行けないかもしれません。お仕事忙しかったり事情はあると思いますが、最後の1年だけでも市営の保育園に通わせてあげませんか?」

この時の感情は言葉にできませんね・・・今書いてるだけでも涙が止められない(;_;)
あえて書き出すのなら、とにかく子供に対する猛烈な反省と後悔、そして猛烈な自己嫌悪。不思議と同時に溢れ出る子供への愛情。この言葉をかけてくれた先生には、一生かけても返しきれないご恩を感じています。

・2社目の退職、その後の人生を改めて考える

その後、主人と相談し、私は仕事を退職しました。
(もちろん子供は市営の保育園へ。何もかもが初めての経験で、戸惑ったり怖くて泣いたり発表会で呆然と立ったまま動けない子供の姿に号泣…
それでも彼は乗り越えて、今では普通に元気いっぱい友達いっぱいです^^)

この先どうしようかと主人と相談していた時、「アパレル以外でキャリアチェンジしてみたら?」との提案が。
これ、至極当然の発想なのですが、当時の私にはその発想がありませんでした。
<アパレルが天職だ!>と思い込んで突っ走ってきたので、それ以外の選択肢が全く頭に浮かばず、その思い込みはまるで呪いのようでした。

始めは「アパレル以外は経験ないし出来る気がしない、子持ちで年齢もそれなりだし、就職も難しそう」と悩みましたが…
本来ドポジティブな私は、数日悩んだらそんな自分に飽きてきて、『よし!一通り悩んだなら、今度はポジティブに考えてみよう!』と思考チェンジ!
これまでの仕事で楽しかったこと、今後やりたいこと、自分に向いてること・向いてないこと… 自己分析をしながら1つの答えに辿り着きます。

「私は何より人が好き。そして、これまでの経験の中でも採用や教育はとても楽しかったし一番活躍できた分野だった。人事をやりたい!」

こうして人事の求人を探します。この転職活動のことはまた別で書きたいと思います^^
実は2社目の時は、好きなブランド/会社のHPから募集してもない職種で応募したんですよね。笑
なので、この時が初めての転職活動でした。

・3社目、人生観の変化の連続!

結論としては、人事未経験・子持ち・時短での就職は厳しく何社も不採用が続いたため「これは修行が必要だな」と認識し、最終的には<派遣社員>としてエネルギー業界のベンチャー企業で人事職に携わることができました。
その時の上司は人事を叩き込んでくれた、まさしく”師匠”!!
約1年と短いお付き合いでしたが、人事としての基礎や役割、どんな組織をどうつくっていくのかなど…沢山のことを学ばせていただきました。

アパレル業界を飛び出して世間知らずな私に、ビジネススキルから組織とはなんぞや・人事とはなんぞやを教え、稚拙から飛び級な質問まで子供のように「これは何?」「これはなぜ?」ときく私に丁寧に答えて下さいました。
そうして1年たつ頃には、生意気にも上司とは別に”自分なり”の採用基準や入社後研修の内容、社内コミュニケーションの取り方から評価制度までも構成を考えていました。笑
ただ、その頃は自分と上司の内容の違いに<自分は経験が浅いから上司のやり方に追いつけないだけかもしれない>と半分くらいは疑っていたので、ほとんどは提案せずお蔵入り。しかし、これが数年後には陽の目を浴びる日がくることに・・・✨

人事部としてはそんな日々でしたが、さすがはベンチャー企業。
社長の急な方針変更や組織改正、保身重視の幹部や昇格したいがために手段を選ばない人などの荒波に揉まれ・・・私の上司はあらぬ疑いをかけられ、最終的には会社を追い出されてしまいます。
そして、新しく着任した人事部長から「申し訳ないが、これから人事部は正社員のみでやっていきたい。次の契約期間で終了します。」とのお言葉が。
まぁ…派遣社員なので仕方がない。もう少し学びたかったが師匠もいないし。人事経験は少しはついたからリトライだ!
というわけで、早くも転職活動開始。

・ようやく自立、そしてまた新たな未来へ

その後は人事としての経験を積みながらも、不思議とご縁がある<新規事業開発>も数社で数年経験しました。(現在も人事兼事業責任者に従事しています。)
これも私にとってはすごく貴重な経験で、PM(プロジェクトマネージャー)として技術やシステム分野のプロの方々と一緒に事業やサービスを開発してきました。
全く分からない建設技術や機器開発、システム開発や規約書類など…素人には到底難しいことを皆さん温かく教えて下さり、チーム力をあげて作り上げることで数年(今でも)継続する新規事業が世に生み出せたのも成功体験でした。
それは、人事やコンサルタントを行う上でも重要なことをたくさん学べました。
何より、時短勤務となる私を受け入れ、たくさんの機会を与えてくれた当時の上司にも心から感謝しています。

ある時はスタートアップ企業に入社し、就業規則から勤怠管理、採用、評価、その他制度づくりなどゼロから人事機能を立ち上げました。
それが先程の”生意気な自分がつくった人事機能”です。笑
人事に完璧はありませんが、様々経験した後に再考してもそのまま使いたい内容でした。これも思い込みや呪いにより自分を縛り付けていたのですね。

そうして、今、新たに<ライフ/キャリアコンサルタント>としての事業をスタートし、noteを開始して4日目です。
今回は自分をさらけ出しすぎな気もしてますが、私自身をさらけ出さないと本当の信念が伝わらないと思ったので発信しました。

どこかの会社に所属し、会社のために組織を築いていく仕事から、自分の失敗も成功も全ての経験を活かして、1人1人の個人のために未来を一緒に築いていく仕事へ。
いつか、この仕事が確立し、社会へ広がっていくことを目指していきます。

まとめ

初めてnoteで書いた「自己紹介」の記事でライフ/キャリアコンサルタントと名乗ることについて、下記のように書きました。

”私がこれからやりたいのは”キャリア支援”のみではありません。
人生そのものの悩みについても相談を受けられたらと思っています。
なぜならば、<仕事について考える>のは<未来について考える>作業。
でも、今の悩みが強い場合… 未来を考える余裕がないことってありませんか?
そのような悩みを”知人”ではなく”他人”に話すことで、悩みの出口への糸口になれれば良いなと思っています。
そして、その上で未来のことも一緒に考えていけることを願っています。”

これは、まさしく今回書いたような経験をしたことで生まれた願い。
私の場合は子供の存在が大きかったですが、それ以外でも書ききれない悩みや苦しみはたくさんありましたし、それは人の数だけあると思います。

人生には、仕事は1つの要素でしかないけれど、多くの時間や頭・心を揺さぶる大きな存在だったりしますよね。
つまりそれは、人にとっての”幸福度”を左右する要素でもあるということ。

ライフを一緒に考えることで、キャリアをサポートする。
キャリアを通して、ライフに幸せを届けていく。

そんな願いがこれからたくさんの方に届けばいいなと思い、今日の記事を発信します^^

ライフ/キャリアコンサルタントとして、どうやって生きていくのか、どうやって選択するのかを悩む方々へ…一緒に考え、少しだけ導ける活動をしていきます。 よろしければサポートよろしくお願いいたします!