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ぶっ飛んでる私がもつ、育児の価値観

こんにちは。
パーソナルコーチの叶佳です。

今日はここ数日改めて育児と向き合い、4歳息子との対話で得た気づきや自分の人生も振り返りながら考えたことを少し言語化してみようと思います。ご自身の価値観がぶっ飛んでる人にこそ読んでいただきたいです。

注:登場する「両親」についての記述は、あくまで当時、認知の歪みが残っていた状態の私の視点から見たものです。相手から見た事実は恐らく異なり、両親を責める意図は一切ありません。



「息子の幸せ」は誰が決める?

そう問われたら、現在の私は「息子本人」と答えます。

最近、私は己の認知の歪みに気づきました。
親である私が、なんと勝手に我が子の幸せを決めつけていたのです。

子どもを産んでから、以下のような声は何度も頭の中で再生されてきました。

「〇〇をしなければこの子は幸せになれない」
「〇〇でなければこの子は不幸になる」
「〇〇な育児が正解だ」

でも気づいたのです。
その根拠はどこにあるのか?と。

私の認知はどこで作られたのか考えてみました。

  • 世に出回る育児本

  • どこの誰かもわからない人の声

  • 私の両親の育児スタイル

「多様性」という言葉をよく聞くようになった現代において
テンプレ化された育児本は一体どの情報をベースに構成されたのでしょう。
母数がどれくらいあって、どのパターンを抽出したのか、わかりますか?

(注:育児本の情報ももちろん参考になる場合もあります。ただ、それだけが正解だと思うと、我が子のパターンが当てはまらないとき苦しむことになります)


産後すぐの私の育児スタイル

出産直後、私は産後鬱になりかけました。

なぜか?

シンプルに授乳による寝不足やホルモンバランスの乱れもありますが、私の場合はそれだけではなく、もともと持っていた「母親のあるべき姿」といういつの間にか刷り込まれた価値観が影響していました。

私の両親は愛情深くも、とても厳しい両親でした。

平成の時代には珍しく手を上げるタイプだったため、幼いころ自由奔放な性格だった私は、社会に適合した人格を形成するために主に体罰や行動制限で躾けられました。
(現在は両親との関係性は良好で、このテーマについても話し合いが完了しています)

厳しく育てられたこともあり、私は息子を産んだ時点ではまだたくさんの「べき思考」に囚われていました。叩くことだけはしないと最初から決めていましたが、当時は以下の価値観を持っていた気がします。

  • 息子が社会適合できるように育てること

  • お金に不自由なく育てること

  • なによりも息子が最優先

これらはすべて、母が私にしてくれたことです。
私の両親は父も母も努力家でした。特に母はいつも自分のことは後回しで、自己犠牲的に頑張る姿を見て育ちました。

父も祖父から会社を譲り受けて脱サラした際、胃潰瘍で倒れるまで、父が慣れない経営にプレッシャーを感じていたことに私は気づきませんでした。

私は長年、自己犠牲的かつ責任感の強い人間として生きてきました。しかし最近気づいたのは、私は両親の持っていた思考パターンを自分にも適用させて生きていただけ、ということ。

両親なりの努力や愛情表現には感謝してもしきれない気持ちですが、私はこの思考パターンの家族連鎖を自分の代で断ち切りたいと考えました。(もっといえば、両親にもそのパターンから解放されてほしいと願っています)

先に言っておくと、私は無責任な育児を推奨したいわけではありません。
私自身、無責任な人には育児をしてほしくないです。

そして、自分の行動が今後数十年にわたる息子の人生に影響を与えるのは事実。親が子に与える影響は良くも悪くも大きいです。

ただ、子の人格ベースとなる思考パターンは親の持つ思考パターンが数年かけて子に受け継がれて形成されますが、ある程度大きくなれば社会生活や人間関係によってまた変化していきます。

それなのに私は無意識に全責任を背負おうとしました。
数十年分の重みを勝手に。そんなのできるわけないのに。

それを産科の先生に指摘されて、ようやく気づきました。


あきらめと罪悪感の葛藤

私がスタートアップで働き始めた頃、息子はまだ1歳か2歳くらいでした。
やればやるだけ成果の出る仕事が楽しくてたまらず、当時受けていたコーチングではよく「時間管理」「タスク管理」「仕事と育児のバランス」などをテーマに出していました。

当時はスキルアップに執着していたため、勤務時間外はビジネス本も色々と読みました。仕事で使うシステムの設定や、キャッチアップ、上司へ提案するための準備などもプライベート時間に対応していました。
(誤解のないよう補足すると、時間外の作業は会社命令でやっていたわけではありません。あくまで自分の意思で、自分のためにやっていたことです)

息子と遊んでいても、何をしていても、常に仕事のことで頭がいっぱいでした。

かわいい赤ちゃんの時期はたった一瞬とわかっていながら、仕事や勉強を優先し続けました。やればやるだけ成長できて裁量を与えられることに「私個人」としての喜びを感じていたからです。心からワクワクしていました。

今思えば、それは私が自分の価値を外部評価に依存させていた「心の闇」も無意識に作用していたのだと思います。自己肯定感の低さからくる成長中毒。でもそれだけではなく、チームワークを発揮して働く環境が楽しかったのもまた事実でした。

常にスケジュールと頭がパンパンで、私は何かを手放さなくてはならない状況でした。そこでコーチングに頼りながら手放すことを選択したのが「息子と過ごす時間(の一部)」と「育児のクオリティ」。

しかし、たくさん葛藤して決定したのにもかかわらず、頭の中で自分を責める声は消えませんでした。

「母親らしくない」
「幼くてかわいい時期は一瞬」
「息子が寂しがっている」
「ひどい母親だ」

それでも「これは長期的に見て息子に不自由をさせない稼ぎを得るためにキャリアを築いているだけ」とか「私はそもそも家事が嫌いだから」とか、色々な言い訳をしながら自分を正当化して生きてきました。
(言い訳と言いつつ、実際にそうだと思い込んでもいました。それが家族の幸せに繋がると考えていました)


唯一ブレなかった育児方針

そんな母親としてのスキルはあまり高くない私ですが、息子の心に向き合う姿勢はとても大切にしてきました。出産直後も今も、「息子本人が親に愛されている」事実をしっかり認識できていて、かつ自分で考える能力さえ育っていれば、息子の人生は何があっても大丈夫だと信じているからです。

プラス、私がコーチングを学んだこともあり、統計的に成人男性が苦手とされる「自分の本音に気づく」「感情に気づく」能力を封じないように、注意して育ててきました。

なぜ私がその考えに至ったかと言うと、自らの幼少期から今日までの体験を振り返って、気づきを得たことによります。自分の発達プロセスを振り返ると、ここまで生きてこられたのは恵まれた環境のおかげでもありつつ、本質的には以下の能力や要素に特に助けられてきました。

  • 自分で責任をもって思考し、意思決定する能力
    (これは両親から得たというより、社会に揉まれながら身に着けました)

  • 内省力
    (私の場合これは生まれつきの癖でしたが、ジャーナリングや対話の習慣を持てば誰でもできます)

  • 愛される体験
    (両親にどれだけ叩かれても怒鳴られても馬鹿にされても厳しくされても、自分が両親に愛されているのはなんとなくわかっていました。ただ、自己肯定感の低さからつい最近まではうまく愛情を受け取れずでしたが…。)


とはいえ不安

自分の出した方針は、今までの人生や学んできたものから導き出した答えだったこともあり、強く信じていました。とはいえ、結果がすぐに出るわけではないので不安でした。今もうっすらとした不安は残っています。

それじゃなぜ今このnoteを書く気になったのか?と言うと、今朝息子との会話に少し背中を押して貰えたからです。

今朝通園している際に、こんな会話をしました。

(息子が歩きながら沈黙)
私「どうしたの?」
息子「ママにだいすきパワー送ってた」
私「ありがとう!うれしい!ママめっちゃ元気でてきた!!!ママも送るね」
私「どう?届いた?」
息子「うん、ちーくん(=息子)も元気でてきた~!」

(少し移動してから)
私「(踊り始めた?息子を見て)なにしてるの?」
息子「ママさあ、ちーくんのことだいすきでしょ?」
息子「だからちーくんママの真似してる」
(↑これはちょっと意味がよくわからなかったw)
私「ありがとう。ママは何があってもちーくんのことだいすきだよ。これから離れて暮らしたとしても、だいすきだよ。覚えておいてね。さみしいときは電話(※顔が見える通話)できるから教えてね」
息子「うん」

実は私はいま2拠点生活を計画しています。その背景は書くと長くなるので省きますが、その選択自体もかなり葛藤して決めました。

明日実際に部屋を借りる想定のエリアを見に行こうとしていますが、ここに至るまで家庭内対話を何度も重ねてきました。(対立にとどまり続けてくれた夫ありがとう)

同時に、いくら「息子の人生は息子のもので、私の人生は私のもの」という認識が自分の中にあるとはいえ、やはり息子と離れて暮らすことへの罪悪感はずっとありました。

でも息子が生まれてから私なりにたくさん愛情を注いできた結果が今日すこし見れた気がして、背中を押された気持ちになりました。もちろん息子はまだ幼く、引き続き育児が必要だし愛情を注ぐ必要もあります。普段対話できているつもりでも、実際はどのくらい言語を理解して話せているかは不明です。

しかし一方で、今までも私は週末不在にしたり仕事部屋に籠ったりしてきたため、2拠点生活をしてもそんなに息子との接触時間は減らない見込みです。現在の息子が幸せそう(に見える)なら、今はこのままの育児方針で差し支えないのでは?と考えています。

むしろ私の人間としてのバランスがより整うことで、結果的に家族トータルの幸福量が上がることを期待しています。やってみないとわかりませんが…。

(家族を巻き込んだチャレンジを許可してくれた夫には、深く感謝しています。いつもわがまま聞いてくれてありがとう)


未来のことはわからない

正直、今回の選択の結果がどう表れるかは予想できません。
だから常に「いま」を観察して、雲行きが怪しくなったら素早くリカバリーのためにアクションを起こすまでだと考えています。

逆に言えば、ポジティブな結果につながる可能性も大きいです。
むしろ私はその可能性が高いと直感的に感じたため、今回の意思決定をしています。

結局、息子の人生は息子が創っていくものであり、いくら親でも勝手にその権利を奪うことは許されません。「あなたのため」という言葉はもはや子を縛り付ける呪いです。(といいつつ、私もまだ未熟なので息子をコントロールしようとしてしまうことは多々あります)

親の私にできることは、私が自分の人生を自分の責任のもとにしっかり生き抜いて、息子が大人になったときに誇ってもらえる人間を目指すこと。そのためには、もう人目を気にしている場合ではありません。私は自分が何をすべきか、知っているから。そしてすでにそれを実行し続けているから。

母親としての私がどうだったか評価していいのは、私の息子だけ。
私は息子以外の誰の母親でもありません。厳しいことを言いますが、私へ文句を言いたくなったら、一度紙に書き出して冷静に眺めてみてください。あなたはおそらく、私にあなたの親の姿を投影しているか、あなたの幼少期の願いを私に押し付けています。
幼少期の体験を振り返ったとき、心当たりはありませんか?

私は自分の人生に起こることの全責任は自分にあると考えています。
息子にもそれくらいの意識をもって生きてほしいと願っています。

私の人生に批判はつきものでした。なるべく避けたいけど、もしかするとこれからの人生でも批判されることは多々発生するかもしれません。(いまも出来心でちょっとだけ煽りスタイルを混ぜてしまいましたが。。)


ぶっ飛んでても大丈夫

はい、大丈夫です。安心してください。
あなたの心からの願いは、叶えても支障のないものです。
むしろみんなをハッピーにする可能性すらあります。

私はそれを自ら実践していこうとしています。自分の選択に不安を感じたときは、私のことを思い出してみてください。みんなが引くようなことばかりしているのに、なぜか幸せそうにしている私という実例を。

どうしても自分で自分に許可できないときは、私でもいいし、他のコーチでもいいので、コーチングセッションを受けてみることをおすすめします。

たいていの恐れは自分の認知が作り出した妄想であることに、気づけるはず。

と、いいつつ私も人間なので、たぶんこれからもいろいろビビり散らかしながら生きていきます。でもビビりながらも挑戦をあきらめたくないし、挑戦し続ける仲間が増えたらいいなと考えて、このnoteを書きました。

このnoteが誰かの役に立ったらうれしいです。
責任をもって決断できる、自分らしく生きる人が増えることを願って。


長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。


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