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フラミンゴとサクランボ

先日、インドの川にフラミンゴが押し寄せているというニュースを見た。林立する高層マンションを背景に、巨大なフラミンゴの群れが川の中に形成されていた。何羽いるのかはまったく見当がつかなかった。次から次にフラミンゴが飛んできて群れは膨らみ続け、川面をサクラ色に染めていった。

いくらきれいな鳥でも大群になると迫力がある。なんらかの意思——食事か求愛行動か——を持ってうねる川には、さすがのインド人もびっくりしたことだろう。

僕は夕方のニュース番組の終了間際に流れたこのトピックを、食事をしながら、妻といっしょに見ていた。『インドの川をピンク色に染めたものとは?』みたいな煽りの後に映像が切り替わって、群れなすフラミンゴがテレビ画面いっぱいに映った。

そのとき、僕の頭の中を横切ったのはフラミンゴではなく、まったく別の〈何か〉だった。その〈何か〉が何なのか、僕にはしばらくわからなかった。

テレビの中ではニュース映像に乗せてアナウンサーが原稿を読んでいる。繰り返される言葉は——

『フラミンゴ』

"フラミンゴ"

その言葉に合わせて頭をよぎった〈何か〉のイメージが形作られていく。

『フラミンゴ』という言葉に乗って形がはっきりしてきたその〈何か〉は、やっぱり、フラミンゴとはまったく別のものだった。と同時に、名前を知らない、いまでは顔すらわからないある人から投げかけられた質問を思い出した。

あれは僕がまだ大学生だった頃。僕はいまと同じで人見知りだった。数少ない友達にくっついて行った飲み会で知らない人たちと知り合った。同じ大学の同期たちだった。その飲み会で知り合った知らない人たちとは、その後、別に仲良くなったわけでもなく、結局は知らない人たちのまま卒業して離れ離れになった。

そのときに出会った名前を知らないあの人を、いまは面倒くさいから『サクラ』と呼ぶことにする。サクラは、初対面の僕の出身地を聞くとこう言った。

「サクランボのこと"サクランボ"って言うんでしょ?」

僕は彼女——女性だったことは間違いない——の顔も本名も思い出せない。だけど、彼女の言ったことは覚えている。意味がわからないと思ったことも覚えているし、「それ初対面で言うことか?」と思ったことも覚えている。

サクラが言いたかったのはこういうことだった。

サクランボには二通りの言い方がある。

「ねぇ、ちょっと"サクランボ"って言ってみて」食事中の妻に言った。

「"サクランボ"」

僕の"サクランボ"と違う。

「もう一回言って」

「"サクランボ"」

やっぱり僕の"サクランボ"とは違う。妻はサクラ側の人間だった。僕の愛した女性は、サクランボを"サクランボ"と言う。初対面で「サクランボのこと"サクランボ"って言うんでしょ?」と言い放ったあいつと同じように。

「サクランボは"サクランボ"って発音するんだよ」僕は言った。

「は?」妻は特に興味もなさそうだったが少し考えて「サクランボは"サクランボ"でしょ」と言った。

「違う違う、違うって。サクランボは"フラミンゴ"と同じイントネーションで発音するんだよ」

「は?違うけど。サクランボは"サクランボ"だけど。フラミンゴって鳥でしょ」

「フラミンゴは鳥だけどイントネーションは"サクランボ"なんだって。あれ、サクランボが"フラミンゴ"といっしょなのか?どっちもピンクだしなぁ」

「えーっと、うん。わかったわかった。ご飯食べよ」

どうやら僕はまた負けたんだ。サクラが笑った気がした。顔も思い出せないのに。

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