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マリオは左押してもいいと思う。 【縛りは人生を楽しくするコツである】

どうも、人生をワクワクで満たすことに夢中なmoyaです。

今回は、制限するということはむしろ、可能性を拡げるんじゃないかというお話。

では、本編始まります。

制限をするということはむしろ、可能性を広げる。

そんなことを身を持って教えてくれた友人を思い出した。

かつて大学生だったころ、僕は寮に住んでいた。
400人からなる大きな寮で、4階建ての3つの塔で成り立っており、一つの階がブロックとしてまとまっている。
留学生やいろんな年齢の人が暮らしていた。40を越えたおじさんが偉そうにしていたり、学生になったばかりの初々しさの残る学生もいた。部屋は一応別々だが、男女も一緒にくらしていた。

各ブロックには談話室という広場があり、大体麻雀かボードゲーム、昼間からずうっと寝ている人がいたり、僕の所属していた談話室はリッチだったのでテレビが6〜7台おいてあり、マルチにゲームが行われていた。そして、夜な夜な奇声が発せられていた。ゲームをしている人をみていたり、マンガを読んだりしてすごす。臭い部屋だった。

その中でも、目立つわけではないのだが、異様な雰囲気を醸し出す友人がいた。

仙台出身で、今までゲームとともに生きてきたと言っても過言ではない男である。しかも、古いゲームが好みの様子だった。メイン機種はファミコンだった。(その当時もプレステ4とかはあった)

どうやったらクリアできるんだというようなゲームでさえも、地道に果敢に挑戦するような男だった。そして数々の偉業をなしとげてきた。

あるとき、新歓の飲み会で拾った財布が彼のものだったこともあって、仲良くなった。(その時は、お前がとったんじゃねーの?というような表情だったが)

ある時、僕は彼を北海道でのライジングサンロック・フェスティバルに誘った。彼が大学院の院試の1週間前に。
結果、彼は院試に落ちてしまい、とんでもないことをしたと思った。

しかし、後に補欠で合格できたことを教えてくれた。良かった。

結果を待つ間は、まるで生きた心地がしなかったという彼だが、それは私も同様だったんだけれど、彼にそれがわかる日がいつかくるのだろうか。

フェス中には、テントの中でペットボトルに排泄した小便をのみかけた彼だ。もはやそれほど驚くことはない。

そんな彼にも案外、トランペットを吹いたり、彼女ができたり、いろんなことがあった。

これは別の話でしたほうが面白そうなので、また今度にしよう。

本題に戻そう。

彼に関心したことがある。

そう、あなたの知っている「スーパーマリオ」だ。

いつだったか、急に十字キーの左を絶対に押さずにクリアするんだと宣言し、黙々とそれを行った。いわゆる十字キー縛りだ。左を押した瞬間リセットする。そういう自分に対する厳しさも持って妥協しない。その熱中ぶりは、大学に行かなくなるほどで、寝食をおしまず、夢中になる。まあ、そんな人達を何人もみてきた。

しかし、熱中するということに関して彼らはものすごい才能をもっていた。もともと優秀なので、他のものに向けられたらすごいんだろうなと思う反面、結果でなくプロセスが楽しいんだろうなと眺めていた。

自分がワクワクするために、手段を制限する。
そうすることで、想像力が増す。
難易度はあがり、まさに針穴を通すような集中力が必要になる。
誰が指図したわけでもない、主体的・能動的な活動。
変態とも思える行動もそれがなされたとき、ついに偉業となる。
ほとんど最後は、みんなでそれを見守った。
まさに、現代に顕現したヒーローだった。

こんな楽しみ方があるのかと、ちょっと涙でた。

これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好むものはこれを楽しむ者に如かず。

と「論語」で孔子も語っている。

けっきょくワクワクしてできる人が最強ってこと。

今、ワクワクしながら生きることを生涯の目標とかかげた自分がそれを思い出している。

彼ほどの縛りは自分の人生に必要ないかもしれない。
でも、そのエッセンスは活かせるだろう。

真剣に楽しむことをデザインするためには、そんな「縛り」も必要なんだなと思い出させてくれた彼に称賛をおくりたいと思う。

いや、マリオは左押してもいいやろって。

人がどうあれ、自分が夢中になってできることって素敵。

あなたのワクワクが満たされますように。

それでは、多分また明日。



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