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本は綴ってあること以上を教えてくれる


記憶は信用してよいもの。 のはずだ。

記憶は自分自身の中にある確かなもの。でも、よく体験するのが実際に起きてないことを起きたと思いこんだり、いきなり綺麗さっぱり無くなることさえもある。
なぜすぐに闇に巻かれてしまうのだろ?
内にあったものはどこに行ってしまったのだろ?
我々の生活は想像と記憶と一瞬の現実で成り立っている。
そして、いつも確かなことを探している。

ふと立ち寄った古本屋で読んだかどうか曖昧な本を手に取り読み始めると、何やら共感できる箇所がいくつも見つかる。まるで自身が書いたかと錯覚する所さえある。
抵抗なくすらすらと終いまで読んでしまった。
しかし、最後まで一度読んだ本かどうかは思い出せなかった。

もし、これが2回目の読破だとすれば本当に素晴らしい。何故なら一度読んで染みた言葉がいつしか自らの考えの根幹にもつものとなり、何から得た考えかさえも完全に忘れているからだ。

生まれてから得た全ての知識は言ってしまえば何かしら外部からの刺激によるものだ。言葉自体もその一つ。
しかし、傲慢にもそれを忘れて一から自らが作り出した考えだと錯覚することがしばしばある。その本はこの考えに対する反省を文章以外の部分でも私に教えてくれた。
だから、また読んだことをしっかり忘れてからまた読みたいものだ。
予期せぬ収穫を期待して。


どんな事でも一方向からの見方だけではもったいない。

様々な形の窓から景色を眺めていきたい。

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