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楠山忠之著「ばあちゃんは泣いて笑ってシャッターをきる」より
「戦争とダムに奪われた70年の人生」とサブタイトルにあります

増山たづ子さんは 
同じ村の面識の無い男性、徳次郎から見初められていたが
もっと本を読みたいと、満州で教師をしている兄に会いに行く
しかし「たづ子が帰って来なかったら自分が満州に行きます」という
徳次郎の手紙が来て、終戦直前に兄と共に帰郷すると
親戚中が集まって結婚式を挙げられてしまう
この時彼女は19歳😅
初夜では「何で男はあんなに固いモノを持っているのだろう」と驚くが
一男一女を授かり幸せな生活を送っていた
しかし徳次郎に召集令状が来て、徳次郎はビルマへ送られてしまい
後日、戦死の知らせが届くが、白木の箱は空っぽだった
弟も終戦直後、満州から日本に帰ろうと徒歩で広東に向かっている途中
栄養失調になって餓死してしまう
絶望したたづ子は、自分も死のうと
昔、関ヶ原の戦いの前日
織田秀信の女官達が金華山の御手洗池に入水自決して
カジカ蛙(?)になり美しい声で歌っているという伝説に習って
川に飛び込み自殺しようとしたが
それに気付いた叔父に一喝され、我に帰ったという
その後はダムの測量や調査に来た人達のために民宿を経営したが
戦争で愛する夫と弟を失い
戦後はダムで大切な故郷を失う事になってしまった

満開の桜を切り倒す重機

年賀状にはいつも「故郷は心の宝」とありましたが
水利共同体の上流で、お互いが助け合って暮らしていた人々の笑顔は
彼女の撮った10万枚もの写真の中に残っているのです❤

三朝から交流会に参加したマッサージ師のお二人で、右がカジカ蛙保存研究会の、門木会長です😍

村を出て岐阜に移り住んだ人達は
自殺、入院、ボケ、失業、離婚、屋敷の転売、ノイローゼ…
で140人〜150人が死亡と地元のミニコミ誌にあったという

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