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ブックレビュー 【砂の女】

安部公房(1924~1993)

『砂の女』


私が安部公房作品を読んでいつも感じるのは、「こんな作品を書いてみたい」という憧れから引き寄せられる力と、「私にはこんな作品は書けない」という諦念から突き放される力だ。

この同時に訪れる作用・反作用の力は私を悲しませるものではなく、むしろ喜ばせるものである。
嫉妬や悔しさなど思うわけがない、ただ感謝の気持ちが残る。
同時代とは言えないが、後の時代に生まれて(作品を読むことができて)良かったと。

私の初めての安部公房体験は『箱男』であった。
受けた衝撃の余韻を残したまま、本作『砂の女』を読み始めた。
見る、見られるという対比を用いて都市で暮らす孤独を段ボールを被った男の視点で描く『箱男』
旧来の農村地帯、閉鎖的な集団の中で家を守るため砂と暮らす『砂の女』

今回『箱男』と『砂の女』を比較しながらレビューを書こうかと思ったが、『砂の女』単体のレビューにとどめておく(今後、箱男も単体でしっかり書きたいので)

あらすじ

砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める村の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のうちに、人間存在の極限の姿を追求した書き下ろし長編。

文庫本あらすじより


※以下、今回はネタバレありの感想です。


自由とは


昆虫採集に来たはずの男が、なぜだか蟻地獄のような砂の中に閉じ込められてしまう。いわば採集された形とも言える。
あらゆる脱出を試みるも、ことごとく失敗に終わる主人公。砂の質感の精緻な描写、顔や肌にまとわる砂も、立ちはだかる砂の壁も息苦しく感じる。
自由を求め不自由さに陥ってしまう主人公は、まさしく現代で生きる我々ではないのか。

家で一緒に過ごす女は、そこから逃げ出そうともしない。自ら自由を放棄したような態度に男は苛立ちを覚える。人は自分と価値観の違うものを理解できない。しかし、理解できないものの中でも長いことそこに身を置くと次第に順応していく。
これは人間の持つ優れた能力でもあり、同時に怖いものとも言える。この現象を昨今のブラック企業に当てはめてみるとどうだろう。

男はそんな風にそこでの生活に順応していく。
日々、自分を苦しめる砂との格闘や、日課になった手仕事に対して充実感を覚えるほどに。
そして、ラストシーン。そこから逃げられるチャンスを自ら放棄し、留まることを選びます。

私はこの物語を希望とか絶望を伝えるメッセージだとは思っていません。
ただ、人間というものの習性を描いた物語だと感じました。
だからこそ、この物語は如何様にも解釈できる懐の深さがある気がします。

何かに帰属することで安心感が得られる。そんなアイデンティティや、生き方を問う物語だと思いました。


おわりに


いかがでしたか。

先程も書きましたが懐の深い作品だと思うので、読む環境やその時の気持ちで感想が変わるかもしれません。
私自身、10年後本作を読んだら違う感じ方がある気がしています。
それくらい名作というのは色褪せない魅力があるということですね。

ではでは。




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