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【料理小説】ハードボイルド パエリア リポート

 雨は嫌いじゃない。
 だが雨の日に仕事をするのは嫌いだ。
 だから今日みたいな雨の午後はもう仕事は切り上げてオフとして過ごそうと思う。

『野崎探偵事務所』
 自宅兼オフィスであるこのマンションの一室は俺の城だ。
 今日は、いや正確にはここ一週間新しい依頼はない。抱えている案件は何個かあるが、午前中にその調査関係を済ませ、こんな雨なので午後はオフにすることにした。俺みたいな自営業の数少ない良いところは、自分でスケジュールを組めるところだ。

 もう今日は仕事をしないと決めたらやることは一つ。そう、酒を飲むこと。俺は冷凍庫からズブロッカを取り出しトニックウォーターで割った。氷は入れない。この手の酒に俺は氷を使わない。ハイボールも冷凍庫のウイスキーに冷えた炭酸を注ぐ。仕上げに塩をひとつまみ。氷は溶けて水っぽくなるから嫌いだ。冷たい酒を冷たいうちに飲み干す。それが俺の呑み方だ。

 黒い本革のソファーに座りグラスに口をつける。音楽でも聴こう。スティーヴィー・レイ・ヴォーン「ダブルトラブル」の2ndアルバムをかける。一曲目の『Scuttle Buttin'』が流れた。
 酒とブルースはよく似合う。今日はテキサスブルースの気分だ。思えば若い頃、未来に希望などなく日々に絶望していた俺は安いウイスキーとデルタブルースやシカゴブルースで自堕落な毎日を送っていた。

 俺の好きなアニメ『カウボーイビバップ』にこんな台詞がある。

「どっかのブルースマンが、ブルースの定義を聞かれてこう言ったそうだ。ブルースってのは、どうにもならない困りごとを言うのさ


そして、世界にはいつも「どうにもならない困りごと」が溢れかえっている。

カウボーイビバップ


 俺は英語も苦手だし、あの頃聴いたブルースマンたちが何を歌っているのかちゃんと調べたことはないが、確かに何か困っているような、不満や悲しみを抱えているような、そんな気がしたんだ。それがあの頃の俺にハマったんだと思う。
 そして俺はアニメの主人公スパイクみたいになりたくて探偵事務所を始めた。あいにくジェットやフェイのような仲間はいない。今は一人でやっている。忙しくもないが暇でもない。依頼のほとんどが浮気調査だが、今のところ一人で事足りている。まぁ、もう少し依頼が増えてくれば誰かを雇ってもいいかなとは考えている。『相棒』というやつに憧れはあるからな。

 酒のおかわりを作り煙草に火をつけた。

——さて、少し早いが晩飯でも作るか。

 俺は基本的に自炊をしている。一人で生活している以上、掃除や洗濯も自分でやるしかないのだが、飯も極力自分で作るようにしている。
 結婚でもしたら家事は分担してもいいなとは思っている。二人で暮らすわけだからな。だが相手がいない。何も孤独を愛してるわけじゃない。単純に相手がいないだけだ。

 俺は料理を作るときも酒から考える。ビールを飲みたいから唐揚げを作ろうとか、先に酒があるわけだ。今日は白ワインと決めていた。こんなジメジメした日は冷えた白ワインを飲みたい。普段はシャルドネを好んで飲むが、今日はドイツのリースリングにした。すでに冷やしてあるし、白ワインに合うパエリアを作ろうと料理の材料も揃えてある。

 パエリア鍋を用意する。フライパンでも出来るが、どうせなら本格的に作りたい。『どうせやるなら最善を尽くす』これは俺のポリシーだ。仕事だってそうだ。乗り気じゃない依頼なら最初から受けない。そしてやるからには最善を尽くす。料理だって、適当に作るくらいなら外食か出前で済ます。思えば料理と俺の仕事は共通するところが多い。

 まずは下準備から始める。
 貝類を洗い、エビの背ワタを取る。イカは小角に切り、鶏もも肉は一口大にする。にんにくと玉ねぎはみじん切りにし、ピーマンとパプリカ(赤、黄)は大きめのみじん切りにする。色合いにもなる赤、黄、緑のピーマン、パプリカはなるべく同じ大きさに切る。そりゃ味に変わりはないが、細かいことを言えば火の通り方にばらつきが出る。何より見た目が綺麗だ。細部にこだわるというのを俺は仕事でも心がけている。

 下処理が出来たらサフランスープを作る。
 カップ2の水に固形スープの素(俺はビーフコンソメを使う)と塩を少々入れて火にかける。沸騰したら弱火にし、サフランをひとつまみ入れ色が出るまで煮る。その間にオーブンを180℃まで温め始める。

 パエリア鍋にオリーブオイルをひいて鶏肉を皮目から焼く。焼き色がついたらエビを投入する。エビは有頭の殻付きを使った。殻からいい味が出るのでエビは剥かずに使う。エビの色が変わったら鶏肉とエビを取り出す(あとでまた加熱するので完全に火は入れない)
 そのままの鍋でにんにく、玉ねぎを炒める。油が足りなければオリーブオイルを少し足し、イカも投入する。そこに米(一合)も洗わずに加え、炒め合わせる。米に油が回り透き通ってきたらトマトソース(50ml)と塩をひとつまみ加える。

 全体が混ざったら、温かいサフランスープ(360ml)を注ぎ入れる。そして貝類を投入するが、今回パエリアの象徴とも言うべきムール貝が手に入らなかったので、アサリとハマグリにした。
 完璧を目指すと言うのも大事だが、臨機応変に対応するというのも人生では大切なことだ。
 この辺りで一度スープの味見をする。普通にスープとして飲んで美味しいと思える塩加減にする。俺にとっては信じられない話だが、料理を作っていて味見をしない人間が一定数いるという話を聞いて心底驚いたことがある。そいつらは見た目だけで味が分かるのだろうか。そりゃ何度も料理を作っていれば、これくらいの調味料を入れればこれぐらいの味だろうと経験則で予測をつけることは出来る。だが、視覚だけで味は分からない。どう作ろうと人の自由だが、俺からは料理を作る時に味見をすることをおすすめする。

 まぁいい。貝類の口が開いたら火を止めて、鶏肉とエビをバランスよく戻し入れる。ピーマンとパプリカも全体に散らし入れる。
 この後俺はオーブンに入れるが、オーブンがない場合はアルミでピッタリと蓋をして弱火で炊いて仕上げることは出来る。でもその場合、米の炊き加減が難しい。けっこう堅くなることが多いので、火を止め蓋をかけたまま蒸し、それでもダメならまたごく弱火で加熱し、また蒸す。

 そんな訳で俺はオーブンを使う。180℃のオーブンに10分、パエリア鍋ごと入れる。オーブンで焼くことで縁の部分がカリッとし、米もふっくらと炊き上がる。
 ここまででそれなりの時間がかかった。ちゃんとした手作り料理を作ろうと思うと、それなりに時間はかかるものだ。だが、手間暇を惜しむ奴にいい仕事はできない。これは俺の信念でもある。

 オーブンから取り出したら最後に米の味見をする。ここで少し堅ければアルミをかけて5分ほど蒸す。大丈夫ならば完成だ。仕上げにパセリをふり、レモンを添える。

——さて、白ワインを飲もう。

 俺が冷蔵庫からワインを取り出した時、電話が鳴った。
 家に引いてある固定電話は仕事用だ。2コール鳴るが俺は電話に出ない。あと何コールかで留守電に変わるだろう。俺の仕事の取り方はまず留守電にメッセージを入れてもらい、受けられそうな案件ならこちらから折り返し詳細を詰める。
 今の時代、ホームページのひとつでも作って気軽にメールで依頼を受けられるようにした方がいいのは分かっている。たが俺は依頼主との関係を大事にしたい。どんな心理状態で依頼をしているのか、どんな性格なのかを声から判断し折り返しの電話を入れる。
 選り好みするほどの立場じゃないことも理解しているつもりだ。だがしばらくはこの方法を変えるつもりはない。

 電話が留守電に変わった。

「もしもし、ちょっと困ったことがありまして、一度相談に乗って欲しいのですが……」
 電話の主は初老の男性のようだ。久しぶりの依頼だ。
 俺は白ワインをグラスに注いだ。


(了)

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