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クラフトの現在地

「クラフト」という言葉をあちこちで見かけるようになってから久しい。

ビールやジンに始まりコーラ、コーヒー、カレーにパスタ、チョコレートなどなど。もう右を向いても左を向いても目に入る。

おそらく、「クラフト」なる言葉はもう記号に堕したのだ。
企業が商品名に、或いは誰かが店名にそれを冠した時点でもう言葉としては一般にも浸透したということだと僕は考えている。そしてそれは記号として機能するようになったということだ。
マイノリティからマジョリティへ移行したとも言える。
誤解されると困るけど、そうなるのが悪いことだとは考えていない。
けれど、記号として使われるようになった時点で初期に内包していたスピリットみたいなものはもう形骸化しているだろうな、とは考える。

少量生産で細部までこだわり、ニッチなものを求める人々にさえ届けば良いというインディペンデントな思いこそが始まりのクラフトであったんじゃないか。
それが世に浸透するや否や生産規模(≒企業規模)に関わらず「ほんの少し、こだわりと手を加えたかのようなニュアンス」さえ付与すればクラフトと呼んで差し支えない今の使用感。
これを形骸化したと言わずして何と言うか。

では、現状における真の意味での「クラフト」とはなんだろう?
浅薄な私見だけど、極端に書けば「完全なるローカルであること」じゃなかろうか。
ニッチではあるけど流通前提のニーズを満たすものではなく、よりミニマルに、地域的にそれを満たすもの。
そこに行かなければ体験し得ないもの。
流通に乗らない−正確には乗せられない−もの。
それを体感したいとき、欲したときに画面をクリックするのでなく、現地に足を運ばねばならないもの。
極端だけど、それこそがクラフトの現在地だと僕は考える。
流通に乗り、その土地でなくとも楽しめるようになったものは「クラフトとラベリングされたプロダクト」に思えるものがいまや圧倒的多数だ。

商売というのは書くまでもなく経済活動だから、プロダクトにしようとする/なった事をもちろん否定する気はない。その円軌道が大きくなるのは良い事だ。当人たちがそれを望むなら。
でも本来、経済活動とクラフトとは相反するものだと思うのだ。
カウンターカルチャーとして、アンダーグラウンドとして機能してこそのものがオーバーグラウンドへ、マジョリティになるというのはなんとも皮肉な気がしてならない。

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