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向こう岸の見る夢

世の中には2種類の人がいる。
酒が飲める人と飲めない人だ。

そして飲める人と飲めない人に見える景色は決定的に違う。
ほとんど踏み越えられない世界線みたいなものが存在していて、お互いがお互いの世界を想像するしかない。
飲める人はバイプレーヤーだ、と思われる方もあると思う。が、全く飲めない人の景色は絶対に見ることができない。

それは自分でモクテルを作ってみて、そしてオーダーをされる方のリクエストを受けてよくわかった。

「ノンアルコールでアイリッシュ・コーヒーできますか?」

というリクエストはその気づきだった。

「いや、そもそもアイリッシュ・コーヒーというのはですね…」と、さすがに口から出そうになったけれど、それで終わらせるのはつまらないし、試作するのは吝かではないので時間をもらった。
それをテイスティングしてもらって、納得されれば作りますよ、という形で。

結果はというと…ダメでした。
曰く「コーヒーっぽくない」と。なるほど。
まあその感想は大いにわかる。
なぜならコーヒーよりもウイスキーの香りの構成要素にかなりの重点を置いて作ったものだったから。
これは飲める人の思考がモロに出てしまった結果だ。

全く飲めない人というのは飲める人が何の気なしに感じているアルコールの味もおよそ殆どの香りも知らない。
試しにウイスキーの香りを飲めない人に説明してみるといい。
おそらく伝わらないと思う。
樽のフィニッシュや年数でのアタックの差異、時間や加水、温度による変化など、飲んでいる人なら認識できる感覚や言語は何ひとつ通じない。
女性でもウイスキーをはじめとする熟成系のものが苦手で飲めないというのはそこそこある話で、そういう方々にもやはり通用しない。

ましてや飲めないのである。
”ノンアルコールのアイリッシュ・コーヒー”の難易度は言わずもがなだ。
まず、その人が想像するイメージをヒアリングしないと前述のような事になる。

飲めない人に見えている、香っているウイスキーとはどんなものなのか。
その中にあるポジティブな、またネガティブな香りと味。或いは思い出や記憶にまつわるそれらが落とし込めていればリクエストに近いものが出来たかも知れない。
しかしそれで歩み寄れるにせよ、お互い納得のいく形にはならなかったろうと僕は思う。
縮まる距離はおそらくほんの僅か。
けっきょく川の向こうとコチラとで声を掛け合わなければならないくらいの開きは存在したはずだ。

飲める人が知っている香りと味。
飲めない人が想像する香りと味。
その逆。

お互いがお互いに、相手の目の前に広がっている世界を、香味を想像するしかないのだ。
カクテルはモクテルを夢見て、モクテルはカクテルを夢見て。

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