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ぼくのりれきしょ

「独立前はどこにいたのか?」

最近、SNSを見ているとこの質問に対して「今どき、どこの街の(或いは国の)どんな店で仕事していたか聞いたところでシェフ(やバーテンダーなど)の腕を担保することなんて全くないのになんでそんな意味ないこと聞くのか?」と言うのを目にする事がある。
たしかにどの国や街であろうが、どんな店であろうが意味はないかも知れない。
要はポジションであるというのは事実だ。
"どこそこの名のある店にいた"と言ったって、バイトでも追い回しでも見習いでも皿洗いでも、翻ってメインであっても『その店で仕事をしていた』ことには変わりはないのだから。

しかしそれほど己れに自信があるのなら「履歴を聞くより食べて(或いは飲んで)からモノを言ってくれ」の一言で済む。
そもそもそんなことをSNSでボヤかなくともよかろう。だって腕に自信があって履歴を語る必要を本人が感じていないのだから。

残念ながら僕は腕にそんな自信はないし何処の馬の骨ともつかないので、聞かれるなら答えられる範囲で答える(「範囲で」と言うのはリンク先を参照)。

さんざん聞かれるが故にそういう呟きをするのはまあ理解できるにしても、初めましてのゲストが出自を聞くのは安心感なり保証(おそらく中の人間にというより「その店を選んだ自分に」)なりが欲しいことの表れじゃないかと思ったりする。

今は「情報を食べる時代」。
裏を返すとそれがないと判断基準がなくなってしまうという人間が一定数存在するのだ。
それは目の前の皿やグラスだけでなく、立っている人間にまで及ぶ。
とは言え、国も文化も選ばず血やら出自は古来から言われ続けているのだからそりゃそうか。そう考えると昔から「バックストーリーを語(騙)る」というのはあるんだな。
それを「聞く意味がわからない」というのは古来よりある人類の血縁ないし集団的繋がりの文脈を-意識的か無意識的かはわからないが-無視したい、新しいフェーズに入ろうとしているのかも知れぬ。

一方で、自分を思い返せば初めて入って所で出自を聞くということは殆どしたことがない。どちらかと言えば回数を重ねた後に聞くことが多い。
「失礼にあたるから」なんていう殊勝な姿勢からではなく、「そこまで興味が及ぶ深度に達したから」聞くのだ。
読み方によってはずいぶん上からと取られなくもなかろうが、僕にとってまず気になるのは何よりも皿でありグラスです。作っている人間のデータや人となりなんか後で良い。

だから冒頭のようなことを言う人たちの言い分もわかるにはわかる。
でも実際は不必要なんだけど必要なんだよな。
いちいち聞かれる立場からしてみればめんどくさいんだけど。

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