北九州ブルース

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タンガテーブルをオープンさせてからというもの、この桜を見る時はいつだってゲストとともにいた。2年連続で桜の開花に合わせて来てくれたゲストもいた。

近くのなんともない、観光客が行くわけもないスーパーに行き、そこで弁当やちょっと贅沢にお寿司やらを買っては河原に座り、それらを一緒に桜を愛でながら食べた。

桜の季節には彼ら彼女らが来てくれて、毎年のお約束ごとのように集まって、同じ景色同じ時間を共有する。
そんな未来をいつだって、待っていれば当たり前のように自分のもとに来てくれるものと思っていた。信じきっていた。毎朝太陽がぼくらを照らすことと同じように。

コロナウイルスはそんな平和ボケをしたぼくらから何の予告もせず、容赦無く、今までの「当たり前」を奪い去っていった。それはそうだ。彼ら(もしくは彼女ら)に「はい。今から世界の人々の身体に進入し、肺を荒らしに参ります」なんて律儀に事前連絡を入れなければならない義務なんてあるわけがない。

ぼくらは彼らを甘く見ていた。桜と同じように、きれいに咲き誇るのは一瞬だけ。儚く散っていってくれるものとたかを括っていた。
けれどもその浅はかな皮算用は虚しく、夢物語となってしまった。

彼らは世界中を席巻するのにそれほど時間は必要としなかった。瞬く間に全世界にその力を見せつけぼくらを圧倒して見せた。
これほどまでに世界を震撼させる動機など、ぼくらには皆目見当もつかない。ぼくらはたただた、その実力を指を加えて眺めている他なかった。

これほどまでに先行きの見えない状況に陥ったことのないぼくらはいったいどうこの危機的状況を乗り越えればいいのだろう。
どの業種業態も影響を受けている中、観光業、サービス業に関してはとりわけそのダメージは大きい。

飲食店の中にはとにかくキャッシュを得ようとテイクアウト商品を売り出しこの場を凌ごうと汗をかいている。しかし、すでに飽和状態であり消耗戦になるのは目に見えている。どうあがこうがこの状況を打破できるほどの特効薬など出てくるはずがない。コロナウイルスのワクチンが今この瞬間に開発されるというくらいその望みは薄いだろう。

しかしながら、ぼくらはこんな混沌とした世界を生きていかなくてはならない。国から補助金がもらえなくても、会社がなくなろうとも、明日大地震が日本を襲ったとしても、ぼくらはサバイブするしかない。生きる方法を考えなくてはならない。
田村カフカよろしくぼくらは世界一タフな人間になることを今まさに要求されているのだ。



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