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2021年を振り返る

毎年この時期になると今年の振り返りをしようと思って結局やらないパターンがほとんどですが、今年は記録しておかなければという思いからパソコンに向かっています。


まず拠点がとてつもない回数変わりました笑

新潟県出雲崎→大阪→福島県郡山→大阪→北海道浦幌→福島県二本松

拠点の定義はとても曖昧ですがとりあえずその場所で一回でも洗濯したらOKとしてもいいですか?笑

大きな転機は今年の3月末に出雲崎町地域おこし協力隊を退任して、新津邸という古民家暮らしを卒業しました。

こんなに素敵な家に住むことができたのはとても幸運だったんだと引っ越して改めて感じました。

もちろん古民家の過酷な環境も普通の家に住むことで改めて実感しました。お風呂が寒いこと、隙間風の寒さと風で窓がきしむ音のうるささは新津邸でしか感じることができない、本当に新津邸に住んだからこそあったかいお風呂のありがたさや夜安心して寝ることができる状況に感謝できるようになりました。

だらだらと書くと出雲崎の思い出を振り返るだけで終わってしまいそうなので各拠点ごとでやったことと感じたことをまとめたいと思います。

久しぶりの大阪と祖父母との生活

実家に住むのは大学進学前なので8年ぶりぐらいになると思います。

なんかすごい違和感で、でも実家の居心地が悪いわけでも、家族と仲が悪い訳でもないのですが、ただただ久しぶりすぎて大阪での暮らしに困惑しました。

ちょうど今年の4月は大阪を中心に変異したコロナウイルスが猛威を奮っていたので外に出るのもとても怖く、基本的に外で動き回っている自分からするととてもつらい期間でした。3週間ぐらい家に引き篭ったのは人生初だと思います。

そんな中、近所に住んでいる祖父母の家でしばらくの間暮らすことを決意しました。(祖父母は行動範囲が狭いので世間から距離を取るようなイメージで暮らしました)

少しずつ認知症が進むおばあちゃんと元気そうだけど慣れない料理や家事をするのが大変そうなおじいちゃんと1週間暮らしました。

出雲崎町で年配の方と接する機会が多くて、ゆったりした生活にはとても慣れていると思っていましたが、wi-fiもなく日中はおじいちゃんの好きな時代劇がテレビでずっと流れ続ける場所に1日ぼーっとしているのは僕にとってかなりハードルが高かったです。

その中でも近所にあるシェア畑みたいなところに行って野菜を収穫して料理したり、新潟から持って帰ったコシヒカリを土鍋で炊いて3人で食べたり、とても喜んでもらえたのは嬉しかったです。

福島県郡山市での暮らし

大阪での暮らしに対して、やはり大阪は僕が社会人になってから暮らしてきた地方都市とは違って、大都会ではないとしても多くの人がいます。いまここで仕事を探してここで生活していくのは違う、正直帰る前からわかっていましたがコロナが増えすぎて全く身動きが取れなかったので大阪でもがいていました。4月後半になってコロナが少し落ち着いたタイミングでPCR検査をして福島県郡山市に行くことにしました。

郡山市に縁やゆかりがあったわけではないですが彼女が就職で郡山市に住んでいたのでとりあえず行くことにしました。

郡山に行ってまずお世話になったのが、郡山市の隣の須賀川市できゅうりの水耕栽培の研究、生産を行っている福島タネセンターさんでバイトをさせてもらいました。

新潟にいた時から農業にはずっと興味があって特にスマート農業と呼ばれるIT✖️農業に実際に関われる機会ができたのはとても良かったです。

実際の仕事内容はきゅうりの収穫や、日々の管理なので普通のきゅうり栽培と変わらないのですが、いろいろな情報に触れられることがありがたかったです。

ハウスの中が夏場はとても高温になるので自然のサウナみたいな感じでたくさん汗をかきました。でも水耕栽培なので土で汚れたりすることがなくとても快適に働かせてもらえたのは本当にありがたかったです。基本的に今までの仕事はエンジニアとしてデスクで機器の設定をしたり、YouTuberみたいな感じで動画を編集したりがほとんどだったので体を動かす仕事もいいなあと感じました。

それと同時に株式会社エフライフさんでも働かせてもらいました。

ここではいろんなお仕事のお手伝いをしたので内容はエフライフさんのホームページとかを見てもらいたいのですが、一番大きかったのが同年代や自分より若い世代の移住者や地元の人と知り合えたことです。

一番世界は狭いなと思ったのは、地元の大阪府岸和田市、まさかの小学校中学校まで一緒の女の子、小西ちゃんに出会ったことです。もうここまでくると偶然というのが信じられません笑

彼女は高校卒業後にエフライフが運営するwith curryというカレー屋さんで働いていました。しかも僕が大好きな古民家でシェアハウスをしているという。ますます面白い。しかも歌まで歌えるというもうなんか逸材なんです。

その古民家にも何度も遊びに行かせてもらいました。

郡山での生活は自由で楽しかったですが、今までにないぐらいいろんな仕事をしてなんとか生き延びているという感覚だったので今、2021年の年末をぬくぬくと迎えられていることがとても嬉しいです。

郡山にいる間にいろいろと新しい趣味も出来ました。一つ目は登山です。福島県にある安達太良山と磐梯山という日本百名山のふたつに登ることが出来ました。来年はもっと高い山に登ってみたいと思っています。二つ目は日本酒を飲むことです。新潟県で日本酒に出会い日本酒は好きな方だと思っていましたが、この一年でますます好きになりました。福島の日本酒もとても美味しくて新潟の日本酒も改めてこういう系統が好きなのかと再発見が出来ました。

そこまでお酒強いわけではないので今年の後半はにごり酒を買って炭酸で割って飲むという飲み方にハマっていました。今年出会った日本酒で一番は郡山市の仁井田本家さんのにごり酒でした。仁井田本家さんはSNSやYouTubeでの発信も積極的にしていて福島にこんな酒蔵もあるのかと勉強になりました。

2022年1月からは福島県二本松市に住みます

いろいろ福島での生活を模索していましたが、いろんな縁があって2022年1月から二本松市岳温泉地域おこし協力隊として採用してもらえることが決まりました。温泉街の観光協会で事務局として働きながら地域を盛り上げるためのさまざまな企画を考えていくお仕事です。今までやったことない仕事ですが観光業にはずっと興味があったので一つずつ学びながら、自分の強みを生かしながら頑張っていきたいと思います。

北海道浦幌町で10日間のお試し移住

そんなこんなで来年からの仕事が決まり、2021年12月の1ヶ月間はほんとの意味でのフリー(ニート笑)だなと思い、コロナも少し落ち着いてるし何か思い切った行動をしようと思いつきました。その時北海道浦幌町のハハハホステルというゲストハウスのヘルパーの募集記事を見て即応募しました。

なぜ浦幌町かと言いますと3年前にトコムロカフェという廃校カフェのイベントのお手伝いに行ったことがあって、その時に知り合った人にまた会いたいと思っていました。北海道十勝での暮らしにもとても興味がありお手伝いしながら短期滞在できるなら今するしかないということで即決断しました。

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これは3年前にトコムロカフェで撮った写真なんですがここの光とこの時のみんなの笑顔が今でも忘れられません。また行くことができて良かったです。

3年前にはなかったハハハホステルというゲストハウスもできてなんかすごく魅力の増した浦幌町。初めての冬の北海道でしたが浦幌の人たちはとても暖かくてマイナス10度とか普通にあったのですがそんなに寒さを感じませんでした。

そのハハハホステルでまたいろんな新たな出会いがあって、「ハハハホステルから始まる浦幌の旅」というショートムービーが出来上がりました。

浦幌を訪れる主人公役をいけだなおちゃんというハハハホステルで8月にヘルパーをしていた女の子が引き受けてくれてとてもいい映像に仕上がったと思います。

個人的にも北海道で生活をしてさらに視野が広がった気がします。築100年の古民家暮らし、冬の北海道のゲストハウスでの暮らし、どちらもなかなか経験できることではないと思うのでこの経験をこれからの生活に生かしていきたいなと思います。

2022年の目標

最後に2022年の目標ですが、特になにとかはなくありきたりな言葉ですが「いろんなことに挑戦する!」ぐらいでしょうか。

2020年から2021年にかけても本当に想像できないぐらいいろんな変化があったので、おそらくそれ以上に2022年も環境もなんでも変化すると思うので一歩一歩日々の暮らしも大事にしながら頑張っていこうと思います。


本当に2021年大変なことも多かったですが楽しい年になったので来年もきっと楽しい年になるそう確信しています。

ぜひこの振り返り日記をここまで読んでくれた方も良い一年になりますように、がんばりましょう!ありがとうございました。


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