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相手は私ではないから。

転職をして、もうすぐで1年になろうとしている会社員です。
もう少し詳しく話すと、相談員をしています。
そう、人の悩みを聴いたり、相談を受けたりする相談員。

一方で、私はメンタルの病気があります。
それなのにどうして1年もこの仕事が続いているのだろうか。
そしてまさに今、短縮時間で働いていたところを増やそうとしている。
なぜそんな考えにまで至れるようになったのか。
この辺りを少し整理していきたいと思う。

そもそも、私は人と会話をする仕事をしている。
きっとこの世界にはそんな仕事はたくさん溢れているだろう。
だから、色んな感情が降りかかってくる。

怒り 悲しみ 憎しみ 戸惑い 喜び 幸せ

けど、私はそれを共有することはあっても、共感することはない。
その場で「あなたはそう感じたのね」と共有することはあっても
「私も悲しいわ」とは実はならない。

実際には、コミュニケーションの一環として共感の言葉を
発することはあるけれど、実際はそこまで心が動いていない。
自分でも正直驚いている。

新卒のときは、人の感情に大きく揺れ動かされていて
自分というものがわからなくなっていたくらいだから。

そんな私が、なぜ今のような仕事で自分軸でいられるかというと

「あなたは私でない」「私もあなたでない」

はっきりと、そう言えるからだろう。

あるときから、自分にとってとても大切な思考が生まれた。
これだけは譲れないという意志が生まれた。
けど、どの思考は誰かに理解されるものではなかった。

そのことに気付いた辺りからだろうか、

私に物語があるように、あの人にも物語があり、


登場人物や設定、舞台、時代、そういったものが少しずつ違う。
同じ作品ではない。同じ作者でもないのだ。そう感じるようになった。

そうしたらどうだろう。
急に物事を俯瞰して見られるようになった。
相談事を受けていても、一緒に考えつつも思い悩まない。
最終的には、わたしではない相手が選択をするのだ。と、
はっきりと思えるようになった。

仕事をしていると、ついつい「こうしてくれたら!」
「どうしてこんなこともできないの?」と思うことがあるだろう。
逆に「自分はどうしてこんなことができないのだろう」と思うことも。

その考えは、一体何と比べて出てきているのだろうか。
自分自身?世間?普遍?一般?
曖昧なものと比べるのはやめておこう。ろくなことがない。
自分自身と他人を同一視するのは控えておこう。疲れてしまう。

仕事はチームで、とか、協力して、とか言われるが
もちろんそれを大切にしつつも、
あんがいちょっぴり わがまま なくらいがやりやすいのかもしれない。

私は相談員として、
相手の大切な物語に触れる仕事をしている。
それはとても責任があるし、緊張もする。でも楽しい。
始めて出会う物語は、いつだって私を刺激するから。
その刺激が強すぎても、相手の物語だから大丈夫。

そんなちょっと わがまま な姿勢で私は仕事をしている。

だから、もしかするとなんとかうまくいっているのかも。
いや、まだわからないけど。


#仕事について話そう

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