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動物と人間と時間と。


2019年になって、動物と暮らしたい熱が急上昇している。という自分の日記を見つけた。書き出しはこんな内容。

動物と暮らしたい熱が上昇しているという話を会社でしたら「寂しいの?」と言われた。どんな寂しさかわからないけれど寂しいのかもしれない。逆説的に寂しいが好きだったりする。寂しいは切ないも入っていて、人の根底には寂しいがあると思っている。一人で生まれ、1人で死ぬ。そう考えるだけで寂しい。その切なさをもって世の中を見たときに、時間の尊さがくっきりし、メロディや優しさがうまれたりするんだと思う。
犬がすごい好きだ。犬を見かけるともっと戯れたいけどカッコつけな自分は、外で歩く他人の犬にベタベタできない。それにもしかしたら噛まれるかもと少し思っていたりもするのでビビっている。昔、長く一緒に暮らしたベル君は、凛としていて、犬の人間の鑑みたいな犬で、優しく健気な記憶がある(きっと美化も+してます)。死ぬ直前に当時の職場で残像が見えた。その直後に母親から号泣した電話を受け取り、実家に戻ったという思い出もある。今ならもっとお世話をし、彼の気持ちになり、寄り添い一緒に尊い時間を過ごせる気がしている。自分に子どもたちが生まれ、命に対する責任とともに、尊い出会いに惚れている自分がいる。そんな出会いを子どたちに届けてみたい熱でもある。買うんじゃなくて里親で探そうと決めている。ちゃんと覚悟がないといけないわけです。もし我が家にそのうちの誰かがきたら、お別れするその時までお供し続ける所存です。そう考えると会う前から寂しいな。
って書いてあった。

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その1年後、2020年1月17日に柴犬ラッキースー君が我が家にやってきた!
少しずつ不慣れ、唐突感が取れ、怖がりな彼は気を少しずつ許してくれている。
毎朝毎夜散歩し、お部屋でも一緒に過ごしている。推定2歳の彼は、喋れない。
彼と仲良くなりたい。
彼のペースも尊重してあげたい。
彼は普段、私たちしか過ごす人がいない。
限られた時間をどう使っていくか、なにより大事なものは時間。
動物や人と過ごす、時間を愛でていきたい。
そういうことを気づかせてくれる仲間が増えて感謝しています。

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