校則の法的根拠はあるの?
校則というのは、皆さんも経験したことがあるでしょう。
服装は指定の制服で、靴下は白などと、決められたあれです。
中には生まれつき髪が茶色なのに校則で色が黒と決まっているから、黒にしてきなさいと理不尽なことを言われた人もいるかもしれません。
最近では「ブラック校則をなくそう」といった運動も起こっています。
校則とはなんでしょうか?
私たちの世界にはルールがあります。これは誰かが不利にならないように、より上手に社会が回るように考えられたものです。
その中で、私たちに直接関係のあるルールといえば「法律」です
法律は国会で話し合い賛成が多数だと、制定されるもので、大きな影響力があります。
家族で、今週のゴミ出しは●●君と決めるよりもはるかに、影響力の高いルールです。
学校というのは、行政機関です。
行政機関というのは、内閣が運営していますが、その運営は法律に基づいています。
法律に違反した行政を行うことはできません。
では学校で決められたルール(校則)は法律的な根拠があるのでしょうか?
裁判判例から見てみよう
簡潔に言ってしまうと、校則に法的な根拠はありません。
しかし、法的根拠がないからと言って、違法な行為かというと、そうでもありません。
教育では、髪型の裁判(熊本丸刈り裁判など)、染髪の禁止、バイクの免許取得の裁判など校則違反に対する処分の裁判が多数行われてきました。
裁判というのは、色々な観点から行われるものなので、一概にどの裁判も同じではありませんが、裁判所のスタンスとしては
教育は人格の完成を目指すためのものであるため、教育に関連しかつその内容が著しく不当なものでなければ生徒の服装等に関する校則を定めることは裁量権の逸脱とは言えない。
ルールを定めることはよほど逸脱していなければ、問題がないと熊本丸刈り裁判では判決を出しています。
しかし一方で同じ裁判でこのようにも言っています。
生徒の守るべき一般的な心得を示すにとどまり、それ以上に、個々の生徒に対する具体的な権利義務を形成するなどの法的効果を生ずるものではないとした原審の判断は、首肯するに足りる
わかりにくいですが、丸刈りにしなさいという校則を作ることは、(当時丸刈りが男子の髪型として不適切と思われていなかったので)裁量権の逸脱ではないが、それを実行すること(例えば無理やり丸刈りにさせるなど)はできない。
という意味です。
ルールを作るのは問題ありません。しかし、それが実行力を持ったらダメですということになります。
なので丸刈りにしてきなさいと注意することは、問題ありません。
しかし、教師がバリカンをもってきて丸刈りにするのはいけないということになります。
人権無視が横行する校則
たしかに裁判的な文言では、校則を作ることは実効性は持っていないため、問題ないとなってしまいます。
しかし、実際にはどうでしょうか?
教師と生徒にはまず力関係があります。
例えば本来髪色は何色でも自由なはずなのに、それを注意する権限が教師にあるということは、子どもにとって実質の実行力を持つのではないでしょうか?
良くも悪くも裁判で考えられる人間とは、パーフェクトスーパーマンのような人間です。
自らの権利を守るためなら、教師が「髪の毛を染めてきなさい」といっても「いえこれは私の権利ですから、あなたは注意することはできますが、それを変えさせる実行力はありません」
と言えるような人間を想定しています。
そんな人はいるんでしょうか...
もし髪の毛の色を変えると不良に見られるなどと言い張るのであれば、髪の毛の色により、不利益を作っているのは社会であり、一人一人の認識です。むしろ、この場合社会の方を変えようと考えるのは非常に自由で民主的な発想です。
他人の権利を侵害しない限り、自由であるというのは、現在の社会のルールとなっているので、むしろ髪色を強制する根拠はありません。
校則を変えるには
残念ながら、校則は司法の見方からだと、実行力を持っていない限り、よほどおかしくなければオッケーということになっています。
つまり、文科省からのトップダウン方式でこういう校則はダメと言うか、ボトムアップ方式で、先生や生徒から変えていくように提案する、または、一人一人がスーパーマンになるというこの三つの選択肢しかありません。
もちろん全員がスーパーマンになるのは無理なので、二つが選択肢になるでしょう。
民主主義的な価値観を教える場所の学校という意味からも、人権無視が横行する校則が先生や生徒の力で変わっていくといいのではないかと思います。
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