社会的処方が医師の手から離れる時
処方の先に見えてきたものと
ヒダスケ
前回の投稿の最後
社会的処方そのものが看護師を辞めた自分にとっては学び直しの過程になるんじゃないかな?
で前回の投稿を締めました。
私が今住む町は小さな自治体です。人口減少地域であり課題先進地。
最初は町歩きだけを楽しんでいましたが、歩くだけでなのもな…
どうせなら「なにかresearchしてこよう!」
そんなときに知ったのがコチラ
ヒダスケ! – 飛騨市の関係案内所 (hidasuke.com)
ヒダスケの使い方は簡単
なにより「ゆるい」
良い意味で
人によって感覚は違うがハンモックみたいな心地よい揺らぎのあるかんじ
(わかりにく!)
ボランティアというよりは「ひととのつながりの時間」で
作業をする中で、笑って話して、沈黙で
お茶を飲みながらそれぞれ景色を楽しむ時間。
雪の深い時期は、豆の選別に勤しみました。
本当に楽しい時間でした。
働くことはまだ自信はないけど
週に何度か、こんな時間を過ごせたらいいな。
助けたくて集まるというよりは
助け助けられが新しい何かを生んでいくよう。
まさにresearchとFactoryだった。
ヒダスケのプログラムの中で色々なことを話せた
恋バナも、バレンタインの思い出も、家庭のあるあるも…さっきまで全然知らない人と。
助け助けられる、ヒダスケこそがこの町の社会的処方
社会的処方を通して気づいた看護師へ戻りたい希望は
今叶えるのは時期早々。
本当は早く復帰したい。でも、ぐっと堪えてみる。
実はすごく焦っていて、主治医に「働かせてよ」泣きついた(なんて迷惑)
焦ってまた疲れてしまう未来は見えている。
職場を離れた看護師が色々な人と混ざって作業をする、看護師だったの?はだいたい後半でわかる。そんな関係が今はいいのかもしれない。
地域の課題より、不思議と「こんなことしたいの」も集まる。
皆でresearchしてFactoryしてstoreを作れたらいいな。
そんなことをつらつら考えていたら
少し前の西先生と磯野先生の対談記事があって
痺れ散らかした。
YES、処方された側も感じていたぜでした。
この記事で感じたことはまた書きます。
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