2020/10/05 「通知表の役割」

日記。

①通知表はなぜあるの?

通知表に法的根拠はない。つまり、通知表がない学校があったって、何ら問題ないのだ。

でも、それは現実的ではない。保護者にお子さんの様子を伝えることも教師の重要な任務の一つである。その一つが通知表だ。

もちろん、何気ない保護者との会話や個人面談等もある。直接伝える機会はあるのに、わざわざ形式ばって学校感がプンプンする通知表の役割って何なんだろか。

そこについて考えてみたい。


保護者視点で考えてみたときに、今、通知表ってどういう存在で、どれほどの影響力があるのだろうか。

かなり重視してその後の学習に生かしているご家庭もあれば、子どもの様子がわかる面白い読み物程度にとらえているご家庭もあるだろう。ずっと保管してあるというご家庭もあるみたいだ。興味をもって大事に扱っているという点においては、ある程度共通しているのではないだろうか。


②何を書く?


そんな通知表に、僕はお子さんの良いところを記入する。今は、肯定的評価をする学校がほとんどだと思うが、手のかかるお子さんはどうだろうか。

(A、B、Cなどの評定については、がんばりを評価するとともに所詮記号の羅列という見方が必要。ここでは、文章の評価【所見】について述べる。)


暗に伝わるように、「だんだん〇〇ができるようになってきました。」とか、「友達と思いがぶつかってしまうこともありましたが、」などと書いているのが現状ではないだろうか。


僕は、先輩からそう教えられたし、その大切さもわかるけど、文字数の限られた所見スペースにあえてそれを書こうとは思わない。

どんな子にも、成長したこと、その子の個性、みんなが認めていること、今後の成長の芽になりそうなことなど、ポジティブに埋め尽くす。


耳の痛いことは、このSNS社会でお母さんに伝わっている。低学年のうちは、担任が「お子さんは集団生活においてここに課題があります」としっかり伝えることも必要だと思う。でも、高学年にもなれば、親御さんも自分のうちの子がどんなふうに学校で過ごしてるのかだいたい想像がつくものだろう。

だからこそ、あえて形式ばった学校感プンプンの通知表で、目を疑うくらいポジティブな文章を書いてあげたい。

「え?先生、うちの子本当にこんなことしてるの?ちょっと良く書きすぎじゃないの?」なんていうクレームならぬ逆クレームが来たら儲けもんだ。

こうやって聞くと、良いことばっかりで信用できないと思われるかもしれない。

でも、自分の子どもについて書かれている文章に「こんなところが課題なので、こういう指導をしていきます」と入っていて、果たして本当にその言葉を言葉通りに受け止めてもらえるだろうか。教師の思いとは全く違う受け取り方をされたら、それこそ逆効果になる。

特にやんちゃ坊主の親御さんからすれば、前半はいいこと書いてて結局はそれねって感じだろう。だって、それがテンプレートみたいなもんだから。



③どうしても伝えたい時は


僕は、お子さんの課題を親御さんにあえて伝えなくてはならない時、気をつけていることがある。

それは、

①文字ではなく直接会って伝えること

②課題になることの10倍はよさとその子への感謝を伝えること

の2点。


その子の存在、在り方、考え方、言動を理解しようと努め、認めようとし続け、その上で気になることがあるなら、その点について共通理解を図る。主役は子ども、保護者が監督、僕が演出という形で指導していく形を覚えてきた。


それに、教師のバイアスがかかっていて、実際は大したことないことだってたくさんある。

だから、そもそも集団生活に著しい困り感があるとか、他人に常時迷惑をかけているとか、人権を軽んじた言動が目立つとか、そういった類いでなければ、忙しい保護者にわざわざ伝える必要もないというのが僕の考えだ。



なんだか、いろいろとりとめなく書いてきたが、根本にあるのは、子どもに対して「学校に楽しく登校してほしい」ってことと「居場所はここにあるからね」ってこと。それを保護者にもわかってほしくて通知表を書く。


そのことをもっと上手に伝える方法をこれからも模索していく。




【今日の日記】

Amazonから娘の誕生日プレゼントが届きましたー!誕生日会は週末!その時に、ママの実家からこっちに帰ってくる!それからは、ずっと一緒に過ごせるからね!ちなみにプレゼントはまさかのプラレール!!おままごととプラレールで同時に遊ぶ娘が目に浮かぶ!笑




小学校教師、パパとしての立場から発信し続けていきます!これからもよろしくお願いします!