見出し画像

「イマ」のあなたにBUMP OF CHICKEN②

この記事は、 #いまから推しのアーティスト語らせて のタグのもと、最推しのバンドBUMP OF CHICKENについて、筆者が鼻息荒く語らせていただいているもので、こちらはあまりに長くなった記事の分割2つ目である。
もしもうっかりここから読み始めたよという方がいらしたら、よければ1つ目の記事も読んでくださるとハッピーです。
(前の記事はこちら)

魅力その2:歌詞

BUMP OF CHICKENが好きだ!という人は、「歌詞がいい」という方が多いように思う。
私もその一人で、彼らの音楽を好きな理由として大きなウェイトを締めている。具体的に、好きポイントを大まかに3つに分けて書かせていただこうと思う。

1つ目。個人的な受け取りであることを前置きするが、藤原氏の、BUMP OF CHICKENの音楽は、聴き手の手を引かない。行き先も特に示さない。背中を押してくれない……こともないけども、エールを送るという意味とはちょっと違う、ように思う。
じゃあ何なのさ、というと、上手く形にできなかったり誰かや何かのために我慢したり、どこかに追いやったりしまい込んだりしている気持ちをそっと拾い上げて、寄り添ってくれる音楽である。それは今何か抱えているものかもしれないし、ずっと昔にしまいこんで半ば忘れていたものかもしれない。
でも、それを見つけることで、自分がどうしたいのか、どこへ行きたいのかを識るきっかけをくれる。私を含めて、そういう状態を、彼らの音楽に「力をもらった」「すくってもらった」という方は多いように思う。かなりふわっとしたお話なので具体例をあげたいところだが、これについては、もし興味をもってくださったなら、是非実際に曲を聞いたり、歌詞検索サイト等で触れてみてほしい。というのも、アルバム曲を含めて沢山の音楽があり、過去の・今の自分に重なる曲は本当に人それぞれだからである。
幸いにも今年から、LINEミュージックさんを含めてサブスクリプションが解禁されているので、利用して聴いていただければ幸いである。
配信サービス一覧

2つ目。いくつか、小説のような映画のような、頭の中で映像が再生されちゃうような物語性の高いものがある。また、歌全体が丸々物語っぽくなっているものでなくとも、文学的読み物的表現というか、表現のうつくしさというか、そういうものが歌詞に含まれた歌もある。

例えば、「曲の多彩さ」でも挙げた"車輪の唄"。この歌は、夢を追って街を出る友人と、生まれた街に残り友人を送り出す「僕」の歌で、こんな歌詞がある。

券売機で一番端の 一番高い切符が行く町を
僕はよく知らない
その中でも 一番安い入場券をすぐに使うのに
大事にしまった
おととい買った大きな鞄 改札に引っ掛けて
通れずに 君が僕を見た
目は合わせないで頷いて 頑なに引っかかる鞄の紐を
僕の手が外した
(車輪の唄)

個人的には、この歌で映画一本撮れんじゃね??と思うくらい物語性がかちっとしていると思うが、それと併せての読み物的推しポイントは「書かれていないところ(=行間)のインパクト」だ。少し前の雑誌のインタヴューで藤原氏は、「自分は行間を読んでもらうタイプのソングライターだと思う」という旨のことをおっしゃっている。その時のインタヴューの趣旨とは違う気がするものの、この歌の、特にこの部分には、「行間」がてんこ盛りなのだ。
すぐ使うのに閉まった切符、引っかかる鞄の紐を外した手。その意味を思うだけでもう、もうね。ね?

同様の曲は他にも「K」「Ever lasting lie」「銀河鉄道」等が挙げられる。

そのほか、言葉の選び方・表現が綺麗だと思うのにはこんなものがある。

踵が2つ煉瓦の道 雨と晴れの隙間で歌った
匂いもカラーで思い出せる 今が未来だった頃の事
蜘蛛の巣みたいな稲妻が 空を粉々に砕いて消えた
ジャンル分け出来ないドキドキ 幼い足 ただ走らせた
(宇宙飛行士への手紙)
夕立が屋根を叩いた唄 窓の外で世界を洗った
掌にはなんにもない ただ何となく眺めて何分
君は夜の空を切り裂いて 僕を照らし出した稲妻
あまりにも強く輝き 瞬きの中に消えてった
(宝石になった日)

正直にいうと、どちらの歌にも稲妻の描写が出てくるのは単なる偶然というか、意図したチョイスじゃなかった。が、同じ稲妻でも、これだけ使い所も言葉の選び方も役割も違う。
こんな風に、歌詞だけ読んでいても表現の幅広さ・面白さがあるので、漫画でも小説でも絵本でも、お話を読むのが好きだという方にもオススメしたい。

3つ目。まだあるのかよ、と思った方ごめんなさい。歌詞についてはこれが最後ですので、もうちょっとお付き合いください。
彼らの音楽は、基本的に自分が主軸で、向き合う対象も自分である。誰かのせい世の中のせいにしない。
例えば、追いかけていた夢があって、それを諦めたとする。追い続けられない理由は色々ある。自分の力だけではどうにもならない、ときに理不尽ことが要因になることだってある。でも、諦めることを選んだのは自分なのだ。……と、こういうとものすごく根性論のようにも聴こえるが、決してそうではない。誰かのせいにしないということと、自分にばかり責任を置くことはイコールじゃないのだ。
夢を諦めても、優先させるべき大事なものがあったわけで。その選択をきちんと肯定してくれる("firefly"という歌では、諦めることを「黄金の覚悟」と表している)。そして、もしもまた挑戦してみたいと思うならそうすればいい、迷ったって戻ったっていいじゃない、とも歌ってくれる。
世の中のせい人のせいにしないというのは、とても気持ちが楽だと個人的は思う。それをあたたかく拾ってくれる彼らの音楽が、私にはとても心地よいのだ。

さて、今回は歌詞について語らせていただいたのだが、もう一つどうしても言っておきたいことがあるので、どうかもうちょっとお付き合いくだされば嬉しいです。

(続きの記事はこちら)

#エッセイ #邦楽 #連載


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?