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競争に疲れた青春〜社会人生活

自己紹介

こんにちは。バナボ千尋です。
僕は社会人2年目に適応障害で休職し、3カ月で復職したサラリーマンです。
現在も適応障害やその他精神疾患に悩む方に向けて、克服のヒントとなるブログを書いています。

僕自身のリアルな体験談は以下記事に書いていますので、気になる方は読んでみてください。

1年生にポジションを奪われた

僕は学生時代バスケットボールに打ち込んでいました。
中学までは地元の弱小校でバスケをしていましたが、高校はさらに高いレベルを求めて全国を目指す強豪校に入りました。

中学までの実績がないながらにも努力し、2年生の時には試合に絡めるようになりました。

しかし、3年生となり最後の夏のインターハイ予選前に1年生にポジションを奪われてしまいました。

彼は中学時代から東京都選抜で活躍していた、都内でも有名な選手だったため今考えれば当然かなとも思いますが、当時の僕はそう割り切れませんでした。

吐いてまで走って、必死に頑張ってきた2年間は何だったんだろうと思いました。

両親はバスケのルールもあまりわかっていないのに、練習試合や地方遠征も含めて全ての試合を観に来てくれていました。
引退間際に露骨に出場時間の短くなった僕に
「なんか、最近出ないけど何でなの?」
と聞いてきましたが、僕は何でだろうねぇ〜と濁してしまいました。

東京都選抜だったとはいえ、この前まで中学生だった彼の成長スピードは凄まじいものでした。
最初は先生が将来性を見据えて試合に出しているという雰囲気がチーム内にもありましたが、3ヶ月もすればチームから信頼される選手になりました。

反対に僕はもう自分の実力の限界を感じていました。
試合に絡んでいた頃は責任感からか、練習も追い込んでいましたが、試合に出なくなってからはどんどん努力できなくなっていきました。

1年生の彼が試合で活躍することに何の不満もありませんでした。
チームの勝利が嬉しかったので、先生の判断も正しいと思っていました。

ただ、個人的にはバスケットがどんどんつまらなくなっていきました。
そんな時にふと、僕は先生に認められるためにバスケを頑張ってきていたことに気がついたんです。

自分が楽しくてバスケを始めたのに、気づけば先生に認められるためのバスケになってしまいました。
これは何かが間違っていると思い、部活を辞めようと思いました。

しかし、部員のみんなとふざけたり、話をするといったバスケ以外の時間が楽しくて、バスケットへの熱量は無くなったものの、部活を辞める選択はしませんでした。

もうバスケは上手くならなくていいや、試合も出られなくていいやと思ってからは、不思議とバスケットが楽しくなりました。

別にミスしてもいいから、好きなようにプレーしよう。
怒られても、あまり気にしない。

こんな状態で引退試合まで時が過ぎ、僕の青春は終わりました。

競争に引っ張られないこと

学生生活は何かと順位づけが多く強制的に競争させられるわけですが、社会に出てからも競争させられることはあります。

切磋琢磨は、自分が納得した活動に限ります。

あんまり納得していない場で競争を強いられても辛いだけです。

納得できないのであれば、やめてしまった方が楽で良いでしょう。

それでも気づけば競争社会の波に飲まれてしまうので、注意してください。


あなたのサポートで僕の活動を応援してください! 適応障害は年々増加傾向にあります。しかし、その病気についてはまだまだ知られていません。症状が改善しても悩んでいる人はたくさんいます。僕は実体験からこの病気について発信し、適応障害に悩む人々の安心できる社会を実現したいです。