雑にメモを書きなぐることの美しさ
出会いとかご縁って不思議だ。偶然なんだろうけれど、そのとき、その瞬間に、出会うべくして出会ったとしか思えないような巡り合わせが起きて、自分にとっていま必要な “なにか” に気づかせてくれる。
この note の記事との出会いは、なにげない日常の一コマだったけれど、明日からの僕の行動を変えてくれた。
今まで書いてきたメモを、着飾ることなく、ありのままの状態で見せてくれたのが、このノートだ。本当に、読者である僕にはなんの意味もないし、約にも立たない。
たぶん、書いている本人にとっても、別にさして重要なことではないのだろう。このメモがなくったって今日は不便しないし、かわらず明日はやってくる。
せいぜい「あぁ、そういえばこの時、こんな風に思ってたなぁ」と思い出に浸るぐらい。それだけのメモだ。
でも、メモってそんなものなんだろうし、それがメモすることのすばらしさなんだって、この記事を読んで思ったのだ。
「意味」とか「目的」なんて無粋なものに縛られないで、ただありのままの “いま” をただ記録する。それだけのメモ。
思ったこと。感じたこと。冬の終わりに吹き抜けるすこし暖かな夜風のように、心をふんわり撫でては、またたく間に消えていってしまう。
そんな儚い一瞬も、ひとこと言葉にして残しておいたら、未来の自分も、ちょっと夜風の暖かさを感じられるかもしれない。
もしかしたら、なにかイジワルな人の心ない一言に心がさみしくなっているとき、この夜風がほんの少し温めてくれるのかも——。
脈絡もなく、突然に、意味もわからず、ただ感じたままにメモをする。なんな姿勢が、とてもすばらしく、かっこよく感じたのだ。
その姿があまりに羨ましかったから、今日から僕も、なぐり書きのようなメモを残してみようと思ったのだった。
———
あとがき
僕も、誰かにとっての重要な分岐点になれたらいいな。——いや、そんな大げさなものじゃなくてもいいか。
ほんのちょっと、明日が今日とは違う一日になって、いままでと違う行動の一歩になれたら、そんなに幸せなことはない。
そんな気持ちをいつも胸に抱えながら、今日も、あいかわらず文章を書いている。
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