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最後に残ったのは絶望だった




ここ1ヶ月、彼の不義理が重なって私はその度に受け入れて許してきた。でもやっぱり何らかの形でお返しして欲しかったから「埋め合わせてね」と伝えていたし、「もしかして顔見れたりする?」と軽くけしかけたりもしていた。



彼にとっては仕事が9割。
もはや9.5割かもしれない。

でもその次にくるのは友達。
友達が0.5~0.35割。


そして私がその残り。
しかもその残りはギリギリの所で確保して与えてくれてるんじゃなくて、たまたま空いたからくれてるだけ。仕事や友達で残りの0.5割が埋まれば私に与えられるものは何も無い。

予想外の飲み潰れや、何度も繰り返す「なくし物を取りに行く時間」すら私の先を越していく。風邪をひいて寝ざるを得ない時間すら、私は看病させてもらえない。優しさゆえ一人で寝たいというのは分かるんだけど、会えてない分わたしの家を利用してくれてもいいのにとか思ったり。とはいえきっと友達だって0.5割を確保してもらってるわけではない。気軽さ故に私より増えるってくらいだろう。


ちなみにだけど、彼は今きちんとした家が無いので私が彼の家に行ってどーたらこーたらという解決策は実現できない。それでも何度か提案してみたけど流されるかぶちギレられるかの二択だった。



そうやって生きてる彼からこの1ヶ月でもらったのは
長くて1日合計30分くらいの電話と、たまたま空いた1時間だった。4か月前まで遡っても合計10時間くらい。これが今の彼の限界。


忙しいからたしかに仕方ない。
電話で話すだけで幸せは感じていた。
私も自分の時間を楽しめるようになって、彼と会わなくても大丈夫という感覚を手に入れていた。



でも「そろそろ親に会う?」と言った返事が
「あー、来月?あけれたらね」だったこと

「最近の君があまりいい感じしない」
「距離置くか本当に終わった方がいいと思うけど」
と突然言われたこと


なんかとにかくもう、無理だと悟った。


別に見返りを求めてたわけじゃない。
損得勘定で動いてたわけでもない。


でも私という存在に対して、彼は誠実さを向けることができない。私が与えたはずの愛情や許しに対して何も返そうと思ってない。返したいけど返せないわけでもない。ゼロではないけどさ。でも抉っても来るから結果マイナス。
本人にそのつもりがなくても、結果的にそうなってしまっている。ま、最後の最後にドカンとお返しするつもりなのは分かっているんだけど。そういうことじゃないって話。実現できないのが悪いって言ってるんじゃない。できないことに対するフォローすらないのが嫌だった。



親と会う提案をした時、「4月は地元帰る予定もしてるのに、その上親と会う時間もあけさせるんだ」と感じたらしい。


なんで彼の予定には必ず犠牲と代償が生まれるのか?
なんで「親に会って欲しい」という前向きで幸せで楽しい気持ちだけじゃ居られなくて、「彼の時間を奪ってしまうからやめた方がいいかな」とか「いつならできるのかな」とか「会いたくないのかな」とかっていうマイナスな気持ちも発生しちゃうのか。

私が思わなきゃいいだけ?
気にせず奪えばいいの?
でも気にしなくなったら「理解してない」って言われるんだぜ。
それとも「忙しいもんね」って受け入れればいいの?
そしたら一生親には会ってくれないんだぜ。
私だって彼に一生会えない。

数日地元に帰るだけで生まれる犠牲は「私の親と数時間会うこと」と「彼の仕事の時間」と「私と満足に会う時間」。


冒頭でもぼやいた通り「彼の仕事の時間」は最優先なので、それで毎日が埋まっていけば「私に関わる時間」は全て後回しになっていく。彼にとって楽しいはずの「友達と飲む時間」や例えば「昼まで寝る時間」や「格闘技を見る時間」や「一人でゆっくりする時間」も全て。


友達との飲み会は18時きっかりに向かうのに、彼が言い出した私との予定はドタキャンされる。これも、友達との飲み会を実行することで「彼の仕事の時間」と「私に会える時間」その他もろもろ全てが犠牲になっている。
私との予定をドタキャンするのは「私なら分かってくれる」という甘えと「仕事優先」と、「こんな時間に行ったら迷惑かな」という「私が犠牲を払うことを嫌がる」大ブーメランの結果ってかんじかな。

私は彼と居ることで「仕事する時間」も「1人でゆっくりする時間」も「友達と居る時間」も何も犠牲にしない。だって自分でそれを確保してるから。彼と居ない時にそれを満たせる生き方をしてるから。

その余裕は誰かが私に与えてくれたものじゃない。気付いたら時間が沢山あるからこうなったんじゃない。自分でそれが大事だと思ったから叶えられる仕事を選んでるし会社を選んでる。友達と会う時間もゆっくりする時間も、自分で自分にあげている。


彼の地元へ帰るために仕事を調整する。予定も入れない。自分が行きたいから。彼がそう言ってくれたことが嬉しいから。「仕事入らなかったらね」なんて返事はしない。もし難しそうなら「すごい行きたいけどその時期は忙しすぎるから〇月に行きたいんだけどどう?」となるんだけど、どうして彼にはそれができないんだろう。人それぞれだと思いつつもやっぱり理解できない。


彼は「私と関わる時間」を選んだら「昼まで寝る時間」を犠牲にするかもしれない。「1人でゆっくりする時間」を選んだら「友達と飲む時間」を犠牲にするかもしれない。もうそもそも、仕事以外の時間を選んだ時点で「仕事する時間」が犠牲になっているから考えるだけ無駄だ。ヤメヤメ。


なぜこうも、これの代わりにこれができなくなる。という押し出し式のシステムなのか。なぜこうも、犠牲の上に楽しい時間があるという状況なのか。



仕事一旦片付けたから全然大丈夫、今日はゆっくりしよう。また頑張るね、ありがとう!


そんな態度でいてくれたって、こっちは勝手に「ありがとう」と思えるものである。私の為に頑張って時間をあけてくれたんだなということくらい分かる。有難いし、嬉しいし、幸せになる。
会えると分かっているなら、会社から家まで特大のスキップでおジャ魔女どれみを歌いながら帰れちゃうと思う。



何度も何度も繰り返してきて私も冷静になったら、彼が忙しいからとかそれでも愛はあるからとかそういう言い訳を取り除いて、シンプルに彼がそういう人であることが浮き彫りになった。彼には本当に悪気が無い。


理解すればするほど、絶望なのだ。
それが彼の生き方だから。


仕事に生きるのは良いことだし大事な彼の一部分だ。
私との時間が少ないのも致し方ない。
友達と飲むのが悪いことではない。
一人でゆっくりする時間も大事にして欲しい。
ていうかそんな生き方当たり前だ。


でも彼が何かしらを常に「犠牲」にして「代償」を払いながら生きるなら、私もそれを同じように「犠牲」として生きるしかない。友達でもなく知り合いでもなく、それが恋人として、ゆくゆくは家族として人生を共有し一緒に生きるということだと思うから。


彼が「私と過ごす彼の人生」を犠牲にするなら、私も「彼と過ごす私の人生」を犠牲にしながら生きるしかないってこと。



彼のお母さんが年末に来た時、彼はこう言っていた。

「親が来て相手した10時間くらい?そのせいで今月はきつかったんだけどさ」


親に対してそんなマインドで生きているのは有り得ないと思った。親に10時間くらい軽々とあげられる人になろうとは思わない?たまたまタイミングが悪かったにせよ、正直、親に対して難なく時間を空けられない彼の生き方をかっこ悪いと思ってしまう。だって無条件であるはずの親との時間に「犠牲」が発生してるから。それは必然的に、潜在的に、親に対して「彼に仕事する時間を犠牲にさせる」という役目を与えてしまっている。



仕事相手ならまだわかる。

「大事な1時間あけたんだから意味ある商談にしてよ」

なんて気持ちを持ってしまうこともあるだろう。だって仕事は損益関係だから。



でも家族や恋人や友人は損益なんて発生しない。一緒に居るのに理由なんていらない。一緒に居て失うものなんて何もない。一緒に居る時間は失われた時間じゃない。



プライベートや青春を犠牲にしてるアイドルですら、その事実を「犠牲」だとは言わない。だって本人が好きで選んだ道だから。それによって失っているものは確かに多いけど得たものに目を向けて幸せだと思っているし、「サイン会したせいで今日も徹夜で作業です」「この仕事してるせいでプライベートが無いんです」なんて言葉は死んでも言わない。まあ、もしかしたら思ってるかもしれないけど。彼女に対して言ってるかもしれないけど。そんな奴はアイドルやるな。


でもそれもこれも全て、本人の選択である。
誰も彼に「経営者になって休み無く寝る間も惜しんで働け」なんて強制していない。彼が自分で自分を奴隷のように働かせているだけ。彼自身がその人生を選んで、その中で私と付き合って、親と会って、友達と飲んでいる。だから何でいつも不満そうなのか訳が分からなかった。


彼の顕在意識は分からないけど、彼にとって私との時間は「ご褒美」ではない。彼が仕事を頑張ってきて、また頑張るための「ご褒美」にはなれない。たとえ「ご褒美」だと認識していても、彼が彼に「ご褒美」をあげることを許せなければ、その時が来るまで私と過ごす時間は生まれない。



だから彼には「徹夜して頑張ってよかった〜癒された〜また頑張れる〜また会いたい〜」というサイクルがない。「俺が幸せになりたいから会う」が無い。彼はいつだって「私のため」に会っている。悲しい思いをさせてるから、寂しくさせてるから、その償いのように私と会う。


彼はきっとこれを心の底では自覚していない。
彼も根本師匠の記事に出会ってくれたらいいのだけど。



もう別れを決断しかけている私の姿を電話越しに感じても、彼は「今から行くから会って話し合おう」とは言わなかった。飲み潰れて翌日昼までつぶす時間の使い方はするのに。


会えないなりにやり方は沢山あったと思う。
3日に1回タピオカをウーバーしてくれるとか
宙に浮いてた誕プレの話をするとか
地元に帰る時の時間やホテルの話をするとか
私が埋め合わせてねと言った時に、きちんと「今はできない」「その代わりこういう計画を立てている」と言ったりとか。
とにかく、私が安心できること。ワクワクできること。大切に思う気持ちを形にすること。会う以外に沢山あったよ。毎日10~30分電話してるんだから話す時間はあったよ。あんなくだらない話も楽しかったけど。
分からなかったら聞けばいい。それだけで「気持ちはある」って伝わるから。でもやっぱり、そういうの全部通り越して「今が俺の100%だよ、これ以上どうしろっていうの」と言ってしまうあたりが、彼なんだよなぁ。


何度も「今から行く」「来週会う」「○月に旅行行こう」「一緒に住もう」と言ってくれたのは嬉しいけど何も叶わなかったし、「余裕が無くてできない」とも言われなかった。



今忙しいのは未来のためなのは分かっている。彼の目標も、どこに向かっているのかも。それが私を幸せにするためってことも。でも正直そんなの本当に叶うか分からない。だって明日死ぬかもしれないのに。明日死んだらどうするの?

もちろん目標が叶うこと自体は嬉しい。でもこれから先その目標が叶うためにどれだけ彼が自分を犠牲にするかみえる。何度も体調を崩して、何度も私との予定をドタキャンして、何度も「全部やめよっかな」と迷って、友達との飲み会も断って、彼から発せられる「旅行行きたい」も「ハヤシライスが食べたい」も叶わなくて、何度も「君のために頑張ってる」と言われる。
「いつまでこんな生活続くんだろ」「いつか死ぬんじゃないかな」「ずっとどこか痛い」そんな言葉を聞きながら隣に居るのは私が嫌だ。彼は私と会う時いつも疲れ果てていた。


私はその状況に対して「彼が身を粉にして頑張ってくれたんだから幸せでいないといけない」という義務が発生してしまう。もちろんその時も幸せは感じているだろうけど、本当は彼の存在だけで感謝しているのに。身を粉にしなくたって幸せはあるのに。

同じくらい頑張ったとしてもそれを犠牲と思わないマインドじゃないと本当の幸せは感じられない気がする。そしてそのマインドじゃないと、目標が叶わなかった時には何も残らないんじゃないか。「あんなに頑張ったのに」って理不尽さだけが残るし、それを恐れれば恐れるほど生き急ぐように今を犠牲にして頑張り続けるしかない。それって怖すぎる。ダメならしゃーないって感覚、割と大事だと思う。

私も彼を失いたくなさすぎて、「こんな頑張ったんだから別れたくない」と潜在的に思っていたからよく分かる。努力が無駄になりそうなのってすごく怖い。でもそういう時の努力ってだいたい自分のことめちゃくちゃ犠牲にしてる。今だって少し、「こんなに考えてたことを分かって欲しい」って気持ちが残ってる。


自分を犠牲にしてでも大事な人を幸せにしたい気持ちはドンピシャアウトってわけではなく、素敵なことでもある。それだけ優しいってことでもあるから。

例えば家族が肝臓移植を迫られた時。誰だって適合さえすれば自分の肝臓を差し出すと思う。命をかけた手術をして。でも受け取った側は感謝もするけど、大事な人の体に傷をつけて命を危険に晒したことを申し訳なく思う。だからといって移植を断って死を選んでも大事な人は喜ばない。大事な人をそんな目に合わせないためには?
自分が健康でいることが1番の解決策。肝臓を悪くしない、死に晒すような病気をしない。自分が健康でいること。自分を大事にすること。それが大事な人を幸せにする1番の方法。そういうことだと思うんだけどな。





彼が本当に大好きだった。
彼がもしコンビニ店員でも、フリーターでも、前科者でも大好きだった。だからこそ、本当の意味で自分のためになる生き方をしていて欲しかった。彼はずっと迷っていたから。

彼と話す時間が幸せで、過ごす時間が幸せで、彼と一緒なら駅前の居酒屋でも原っぱでもどこでも楽しかった。彼だから楽しかった。


まだそんな未来に未練はある。
今まで何度か伝えてきて意味がなかったと分かりきってはいるのだけど、別れを代償に伝えた私の気持ちや「それは間違ってるよ」という思いが彼に伝わりはしないかと望みをかけている。本当に笑っちゃうくらい伝わらないんだけどさ。ま、なんにせよこの状態で居ることが彼の選択だよね。


だから離れる。私は彼が苦しんでる姿を見ていたくないし、自分を大事にしたいから。

私が苦しくて傷つくのは、彼が忙しいからでも力不足でもなんでもない。私を幸せにするために、彼が犠牲になっているから。私はそんなこと望んでないから。私の幸せの下に彼の犠牲があることが苦しいから。彼と一緒に居ることで、私が私を傷つけている。


彼は自分のために動くことがどれだけ周りを幸せにするか分かっていないから、結局幸せにしたい人のことも幸せにできない。彼そのものにどれだけ価値があるのか分かってない。私にとっての彼という価値も。




むしろ、私の力不足ではある。彼に、「そのままのあなたに価値があるんだよ」と伝えきれなかったから。彼にとって「時間を作ってでも会いたい彼女」にはなれなかったから。でもそうやって力不足だと責めてしまうと、結局ゴリゴリの自立系武闘派女子のまま。力不足ではあるけれど、私は彼に対して精一杯やってきた。伝えてきた。愛してきた。そこから先は彼の問題。彼が何を採るか。
そう思えるようになったのは私が冷たくなったからじゃなくて、成長したからってことにしよう。

人生を振り返れば無意識にやれている部分も多かったけど、それでも彼と出会って初めて「自分を大事にすること」の大切さを知った。悲しいかな、彼と離れる必要性を認識することも含めて。


私は彼に幸せで居て欲しいし幸せになって欲しい。
彼という存在は私の幸せだったし、私という存在は彼の幸せだと思っていた。だから別れるつもりもなかったし、いつだって頼ってほしかったし求めてほしかった。彼にとっても私と過ごす時間は幸せなはずだった。彼にとっては必要なはずだった。だから自分が本当に望んでることと向き合ってほしかった。私のためだけじゃなく、彼自身のために。一周まわって、やっぱり私のために。


だから表面的に突きつけられるのがずっと悲しかった。ずっと、「私は彼の幸せではない」と言われている気がして。


こうやって彼自身の問題を勝手に分析して、「私が彼の幸せだった」「彼の幸せはこうなはずだ」と決めてかかるのは間違っているのかもしれない。私だってまだまだ下手くそだ。無償の愛とかサレンダーとか女神性とかって難しい。


大好きな人と幸せになれないというのは本当に辛い。一緒に居られない、思いを汲んでくれない、未来が見えない、一緒にいると傷つく、彼を苦しめる、失望し続けるというのは本当に悲しい。
今はとても冷静だけど、それでも彼を愛しく思うしあの手が恋しい。彼の居ない毎日はやっぱり彩を失う。
簡単に幸せになれない彼を好きでいる私はやっぱり自立系武闘派女子なのかな。


すごく静かに絶望して、すごく静かに終わりを告げた。本当の終わりという感覚は彼にないと思う。正直私にも無い。こんなこと言ったら今まで私以上に憤慨しながら奥歯を食いしばって私を見守ってきてくれた友達たちにフルボッコにされちゃうけど。ごめんね。


でもさすがにもう見て見ぬふりをして戻れない。

彼が私との時間を「犠牲」と思わなくなったら。
私と過ごすことで生まれる「代償」が無くなったら。


そしたらまた一緒に居たいと思う。
そんな未来はきっとどれだけ待っても来ないけど。

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