幸せになることを後回しにする心理〜あの人が幸せになったら自分も幸せになっていい〜

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「「あたしが幸せになるのは最後でいい」という潜水艦のような罪悪感について~恵まれていることへの罪悪感~」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

今日も、ちょっと罪悪感のお話になるんですけども。

皆さんの中に、こんな思いはないでしょうか?

「私が幸せになるのは最後でいい」

そんな思いにちょっと心当たりがある方は、ぜひ最後までお聞きください。

そして、チャンネル登録とかフォローとかも、どうぞよろしくお願いします。

実は、これは「罪悪感」についてのお話なんですけども。

この「私が幸せになるのは最後でいい」っていう思いを、自覚してる場合もあるんですけど、意外と自覚してない場合っていうのもけっこうあります。

で、この「私が幸せになるのは最後でいい」っていう、その最後なんですけども、じゃあ誰の後なのか?っていうふうに具体的に言うと、これがたとえば、ネタ元さんの場合だったら妹だったりとか、職場の先輩だったりとかっていうケースなんですけども。

そうじゃなくても、お母さんとか、元カレ・元カノみたいな、元旦那・元嫁もそうですけど、なんかそういうケースもけっこうあって。

だから、なんかこれを意識して普段から生きてるというよりも、なにかの拍子にふと気づかされるっていうことが、どうやら多いみたいな現象でございますね。

で、たとえばなんですけど、今みたいな「自分が幸せになる人はあの人の後」っていうふうな意識もあるんですけども、「あの人が幸せになるまで自分は幸せになっちゃいけない」みたいな、そういうふうに出てくるケースっていうのもよくあります。

ただ、たとえばこれはブログでも紹介したんですけど、昔後輩が、あるセミナーだったか、飲み会だったかはちょっと忘れちゃったんですけども、ある場で知り合った男性が、昔からお互いの地元が近かったんですよね。

それで、地元の話で盛り上がってるうちに、「いやこいつ知ってる?」みたいな感じで、彼が写真を出してきたんですよ。

で、その写真っていうのは、その彼の同僚の結婚式の写真なんですけども、そこに映ってる花嫁が、実はその僕の後輩くんの元カノだったんですよ。

この話、わかります?

ちょっと今、説明が上手じゃなかったんですけど(苦笑)

で、10年ぶりぐらいかな。

「これもしかして〇〇ちゃんじゃない?」って言うと、「おぁ、そうだよ、そうだよ。知ってるの?」みたいな話になって。

「そうなんだ、実は・・・」みたいな時に、彼がものすごくホッとしたっていうのがあったんですよ。

で、僕にそれをすぐに報告してくれたんですけども、「なんかめちゃくちゃホッとしたっていうか、力が抜けたんですよね。あー、あいつ幸せになってくれて本当によかったって気持ちだったんですよね」みたいな。

で、その時彼は、要はなんでか知らないんですよ、なんでか知らないけど、その元カノに対して「罪悪感」っていうのを持っていて、それは普段意識してない。

彼も実際結婚してますから。

でも、心の中のどっかに引っかかりがあったんでしょうね。

で、その昔の彼女が幸せになったことを知って、許されたような感じがして、ホッとしたっていうようなケースなんですね。

つまり、こういった今のケースのように、自分がそういうふうに思ってた、昔の彼女に対して罪悪感を持ってるっていうことが、自分としては気づいてないけど、心の中にある。

で、たまたま知り合った人が結婚式の写真を見せてくれて、そこの花嫁が自分の元カノだった。

「あ、幸せになったんだ、よかった~・・・って、力抜けそうになったんですよ」って、これだけの罪悪感があったっていうことがあるんです。

だから、こういった罪悪感ってけっこうやっぱり無意識というか、潜在意識の中に入っていて、自分でも気づけないっていうことが多かったりするんですよ。

だから、なんか幸せになりたいけどなれないな、なんていうふうに思ってる時に、罪悪感にフォーカスしてみると意外と出てきたりします。

で、すごく自分の親が苦労して自分を育ててくれたから、なんかその恩返しをしなきゃいけないと。

だから、両親が幸せになってくれたら、なんか恩返しできたような気がするから、なんか両親が幸せになるまで自分は幸せになっちゃいけないような気がするっていうような話も。

これは、前回の動画かな?で、動画Voicyでお話した内容の罪悪感、恵まれてることへの罪悪感で、愛が受け取れないっていう話も、実は通じていくわけですけど。

そんなふうに、私たちの中には、「自分を後回しにしてしまう心理」っていうのが隠れてたりするんですね。

で、とくにこれは面倒見のいい人だったりとか、みんなに幸せになってもらいたい、みんなを幸せにしたいっていうような人だったりとか、要するに、すごく優しくて、心が広かったり、愛が強かったりとか、誰かのために一生懸命になっちゃうとか、すごく人に与えることが大好きだとか、誰かを喜ばせたい気持ちが強いとか、そういった気持ちを持ってる人なので、まさか自分が後回しにしてるっていうことは気づきにくいんですよね。

こういう逸話っていうのがあって。

よくセミナーなんかで昔話してたお話なんですけど。

あなたが、今日ホームパーティーを開きます。

すごく大切な人たちを家に招いて、あなたの自信作である、スープを振る舞うんですね。

だから、もう何日も前から仕込みをして、たくさんの人が来てくれるから、たくさんのスープをぐるぐる作ってたわけです。

そして当日、みんながぞろぞろ集まってきて、あなたはこう言うわけですよね。

「これね、僕の自信作なんだ。私のすごい自信作なんだよ、ぜひ食べてください」って言って、スープをお皿に盛って、みんなに振る舞うわけですよ。

そしたら、みんなが「すごく美味しい!美味しい!」って言って、食べてくれるんですね。

そして、「めちゃくちゃ美味しいスープだよ!」って、「こんなスープ食べたことないよ!」って、喜んでくれて、「いや、おかわりもあるよ。たくさん作ったからあるよ」って言って、「じゃあおかわり!おかわり!」って、みんながスープを飲んでくれて、すごく楽しそうに幸せそうに、そして話題も盛り上がって。

そして、「良いパーティーをありがとう!」みたいな雰囲気になってきた頃に、ちょうどスープが、もうたくさん作ったのが全部はけ切れたんですよ。

あなたはすごく嬉しいですよね。

すごくよかったと思ってるし、みんなが笑顔で幸せだなと思ってる時に、そこにあなたのお腹がグーって鳴るんです。

そうすると、みんながハッと気づいて、「あれ・・・?お前食ってないの?お前食ったんじゃないの?」って、「いや、俺はいいから、俺はいいから」って。

「俺もうこの味見、散々してるから」って。

「でもお腹減ってんだろ?」みたいな。

「いやいやいやいや、いいよいいよ。みんなが楽しんでくれたらいいんだよ」と。

そうすると、その場の空気ってどうなるでしょう?

「ごめん・・・なんかお前の分まで俺食っちまったよ」「私食べちゃったよ。すごく美味しかったけど、まさかあなたが食べてないなんて気づかなかったよ」っていうお話なんですね。

これはなにかというと、「愛」を配ってたんです。

スープって、愛なんですね。

「みんなを喜ばせたい」と思って配ってた。

でも、「自分は後でいい」って最後にしてた。

それが、結果的に愛を配ってたんだけど、その愛が罪悪感に変わってしまって、そして、あなたは結果的にみんなに罪悪感を配ったっていうことになっちゃったっていう逸話なんですね。

こういうことないですか?

「私はいいから、あんたたち」みたいな、そういうお母さんもいますよね。

じゃあ、どうすればいいんでしょうか。

まず、「自分の皿に盛る」っていうことなんです。

そして、みんなの皿にも盛るんだけど、自分の皿にまず盛って、「めっちゃうまいわ。これ俺って天才・・・!」みたいに受け取る。

そして、みんなが喜んでくれて、みんなと一緒に食べて、幸せになる。

みんなと一緒に「美味しい!」って、「よかった!」って喜ぶ。

まず、自分に与える。

そして、まず自分が受け取る。

このプロセスっていうのがすごく大事なんですね。

ところが、ここに罪悪感、そういった罪悪感というのが実はあったりすると、自分を最後に回していきます。

そして、みんなを喜ばせるんだけども、実はそれは愛を配ってたんですよ、愛を配ってたんだけど、結果的に罪悪感に変わってしまって、罪悪感を配ったことになっちゃった。

こういう悲劇っていうことが起こるんですね。

だから、僕たちは受け取る必要もあるし、自分自身に与えるっていうことがすっごく大事っていうのは、この逸話が教えてくれるお話なんですね。

でも、こういうのってやりがちじゃないでしょうか。

とくに気が利くとか、優しい人って、「あ、どうぞどうぞどうぞ」って、「いや、私は最後でいいから」とか。

飲み会とか、パーティーをやってても、みんなの分を取り分けてあげるんだけど、「私はちょっとでいいや」って遠慮するわけですよ。

我慢するわけですよ。

「みんなが喜んでくれるから」っていうふうに思ってるんだけど、みんなの気持ちを受け取れてないことが多くないでしょうか。

みんなは、「あなたにも幸せになってほしい」し、「あなたにも喜んでもらいたい」んです。

そして、あなたと一緒に楽しみたいし、あなたと一緒に幸せな思いを共有したいわけです。

ここを受け取れるか。

これを罪悪感がカットするんですね。

だから、今日のお話に当てはまるなって、なんか思い当たるところがあるなっていう方は、ぜひともまず自分に与える、受け取る。

そして、罪悪感っていうところを見つめていっていただきたいなと思うんですね。

そうすることで、より自分っていうものを好きになれるし、生き生きとしてくるし、やりたいこともできるようになってくるし、罪悪感にひっかかって幸せを遠ざける、遠慮しちゃうっていうことがなくなっていった分だけ、本当に自分らしく生きられるようになっていくと思います。

ということで、今日も最後まで聞いていただきまして、ありがとうございました。

根本でした。


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