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リトアニアでハチミツケーキを教えてもらったら大変なことになった話(前編)

「どの話から書けば良いか」というほど2023年夏のバルト三国にもさまざまな記憶が残った。今回はリトアニアのハチミツケーキから巻き起こった話を書くことにしよう。

バルト三国のハチミツケーキ

ラトビアに行くと、カフェには大体ショーケースの向こう側にハチミツケーキが並んでいることが多い。
ラトビアではMedus Kūka(メドゥースクーカ)という名前で呼ばれている。ただ、ラトビアだけかというとそうでもなく、エストニアではMesi kook(メシコーク)、リトアニアではMedutis tortas(メドゥティストルタス)という呼び名に変わり、3カ国で食べられているケーキだ。
スーパーにもケーキはパックに入って売られていたり、ショーケースの中で量り売りもあるくらいのレギュラーメニューなのだ。
バルト三国で採れるハチミツは非常に多く、日本の食生活と比較しても摂取量はかなり多い。そして何よりも上質なハチミツが簡単に手に入る。
そんなハチミツをたくさん使ったケーキは現地で人気なのも頷ける。さて、今年の旅では一つの目的がハチミツケーキの作り方を教えてもらうことだった。
できれば3カ国で教えてもらいたかったのだが、日程の都合があったため、リトアニアで二人の女性に教えてもらうことになった。一人目はヴィリニュスに住むダイヴァさん。もう一人はカウナスのテレーセさんだ。二人は2022年の取材時にも多くの時間を割いて協力してくれたのだった。

リトアニアのカウナスからラトビアに向かうバス

カウナスに向かうことにしたのだが、日程がさまざまに変わり、どうしてもカウナスには前泊し、次の日の夕方にはリトアニア北部の都市に到着している必要があった。リトアニアは首都のヴィリニュスを中心としており、ラトビア(リトアニアからみて北の方向)へ移動する場合、リトアニアの地方にいるときは首都(つまり南東の位置)に戻ってから、ラトビア行きのバスに乗るパターンが圧倒的に多い。戻ってまた同じ道を通るという無駄な行程を踏みたくないのが旅人の思考だろうか。
私はカウナスからどうしてもヴィリニュスに戻ることなく、そのまま北に向かってラトビアを目指したかった。本数が少ない無駄のないバスルートを使うには、その日の夜にカウナスを出て北の都市で一泊し、翌朝にラトビア行きのバスに間に合わせる必要があったのだ。バスを手配した後に、テレーセさんから「図書館のキッチンを借りられたから、図書館のキッチンで作るね。あなたカウナスはいつまでいるの?」というメッセージをもらったので、「その日の夕方6時半だよー」というとメッセンジャーからもその動揺が見てとれるほどテレーセさんの返事は曇った。

一晩置いてから食べるハチミツケーキ

「あのさ、このケーキは一夜冷蔵庫で保管して湿らせてから食べられるんだけど?」文字だけでも一気に彼女の顔が暗くなったのは容易に想像できた。そうだった、ヴィリニュスで習った時、翌日もお宅にお邪魔して二日がかりだったことをすっかり頭から抜けていた。
蜂蜜ケーキは生地を薄く焼き、8から9枚の生地とその間にクリームをのせ、一晩冷蔵庫に保管すると生地が間に挟まったクリームの水分を吸って一体化するのだ。ケーキをナイフで切ると見事に断面の層が綺麗にみえると成功ということになる。
これはいくら急いだとしても、出来上がりまでには一晩寝かせる時間が必要になる。
ただ、私はすでにこのケーキの味を知っているので、テレーセさんに作ってもらったら、ケーキはテレーセさんが翌日食べれば良いのではないかと腹づもりをしていた。

図書館のキッチンを借りる

さて、翌日昼ごろカウナスの中心から少しだけ離れた図書館でテレーセさんと待ち合わせをすると、前回と同じように屈託ない笑顔で迎えてくれた。
図書館のキッチンはびっくりするほど新しく、広いキッチンだった。図書館スタッフがここでランチのために作ったピンク色が印象的なビーツのサマーコールドスープを少しだけ食べてってということでいただく。普段と少し違う味だったので、その材料を聞いてみた。リトアニアはこのスープに砂糖を入れることもあるそうだ。ほんのり甘く日本人も好きな味ではなかろうか。作り方を教えてもらっていると、テレーセさんはケーキ作りの準備に取り掛かっていた。

図書館スタッフさんが作っていたピンクのコールドスープ。その名はシャルティバルシチェイ

運ばなくてはならなくなったホールケーキ

ハチミツケーキは順調に仕上げに向かい、生地とクリームを準備してさあ、重ねるぞというところで、テレーセさんは「これは今日あなたが持って行くのよ」と言い、おもむろに真っ白いお皿を出しました。心の中で「これはまずいことになったな」と思いながら、「いただけるんですか?」と返した。
お皿はおよそ半径25センチ。

テレーセさんが作ったハチミツケーキと実家で採密されたホームメイドハチミツ

なぜならば、私は作った人の気持ちもよくわかるのだ。作ったものを食べてもらえないのは虚しいのだ。だからこそ、私は「持っていけないよ!」という言葉を発するのはいささか申し訳ないと思っていた。
だが、ひとつ素朴な疑問が湧く。

どうやってこの暑い中運び、どこで食べるというのか。

8月後半に差し掛かるリトアニア。国連では北欧に属しているリトアニアは朝晩は16、7度程度なのだが、まだ日によっては30度近くなることもある。さらに言うとケーキを持ってバスに乗る必要があるのだ。

私のこの後の日程はこうだ。
カウナス→バス(2時間半)→
パネヴェジーズ(一泊)→バス(3時間)→
リガ(6時間滞在)→バス(5時間)→タルトゥ
以下の地図の青いポイントが私が経由する各都市の位置。ずっと無駄なく北上していく。

出典:Zue map

リトアニアからラトビアを経由してエストニアと3カ国をまたぐ、長距離移動を頑張るハチミツケーキなのである。大きめの直径22cmのホールケーキだ。

ケーキを白いお皿の上に重ね始めると私は「ちょ、このお皿は捨てられるお皿の方がいいんじゃない?」と言うと、テレーセさんは「何言ってるの?あなたのためにこのお皿買ったのよ」と。
そうか、彼女は私が翌日までカウナスにはいないと知ってから、ケーキを持って移動できるように方法を練ってくれていたのか。
そう考えると必ず持っていかねばならない宿命なのだと生地を重ねるごとに強く自分に言い聞かせるようになっていった。

ハチミツケーキにちなんでエプロンも可愛い蜂が飛んでいる

一番上の層が重なった頃、テレーセさんは「これからIKEAかスーパーでケーキを運べる箱を探しに行くよ」と言い出した。
お皿だけは持ってきたけど、ケーキの箱はなかったのだ。バスまであと1時間半というところで、「間に合わないんじゃないの?」と頭をよぎったのだが、テレーセさんはそんなことは微塵も感じていない様子だった。キッチンの扉を開け、図書館へ出るとテレーセさんはいなくなった。

はて、片付けでもするかと道具を洗っていると、「奇跡! 奇跡よ!」という声が聞こえるではないか。
手にはケーキの箱を持っているではないか! なんとたまたまその前の週に図書館で誕生日会があってケーキの箱を後生大事に保管していたというではないか!
ありがたく使わせてもらうことにし、箱より少し大きいお皿だったのだが、無理矢理閉じて紐で縛った。
「バスで頑張って持って行くんだよ! 」と言われ、私はスーツケースとバックパックとハチミツのホールケーキを手にしてバスに乗り込んだ。

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