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No.01:三ツ木隆将さん「浮遊するコミュニティ」【後編】

バルーンチャンネルです。このチャンネルは毎号1つのテーマを取り上げて『聴く雑誌』として楽しんでいただけるチャンネルを目指して配信しております。今回、五月の特集は『浮遊するコミュニティ テレイマジナリーな共同体をつなぎ止めるもの』です。

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本日のゲスト:
三ツ木 隆将さん(three trees design 代表・デザインカタリスト)

モノを作る上でのProblem Solverを基本スタンスとして、デザインというインターフェイスからユーザーにどのような体験を提供できるのか・具現化できるのかを模索・選択・制作しながらデザインを行っていらっしゃいます。また、価値あるアイデアを次世代に残すためTEDxKyotoオーガナイザーとしても活動されています。

【前編はこちら】


【後編】

◉年月によって変容する多様性の意味

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Q.4)コミュニティの成熟は、価値観の多様性を損なうか?

志水:コミュニティが成熟していくと、それこそTEDxとかでもそうですけど、役割とか上下関係らしきものができたりとか、やっぱすると思うんですよね。そうした状況は価値観の多様性を損なってしまうんでしょうか?

三ツ木:損なうか損なわないかっていうと、多分初期の時にゼロベースから立ち上げた時の多様性と、今の僕ら、8年経った時の多様性っていう意味もまた変容しているような気がするんですよね。例えばですけれどもその色々な意見を取り入れてよりコミュニティに対して、より良く使っていこう、よりリッチなコミュニティを作ろうというような、意識的にも行動的にも多くの考え方を持つ組織にしようっていう基本理念はあんまり変わってないと思います。なんですけど、多様性を損なうのではなくて、長くイベントをやってると色というかコンセプトというものが、傍から見てても内側から見てても大体同じように感じられてきてしまうわけですよね。その中で多様性を感じられなくなってしまうというのはあると思います。
例えばいつも同じような人がいるとかね、これは自分に対する批判でもあるんですけど。自分のコミュニティの小ささというか、自分が属しているこう共同体の狭さが浮き彫りになるのを最近よく感じで悩んだりするんですけど。

志水:そうなんですか?

三ツ木:結構そこは意識してますよ。例えばFacebookやYouTubeライブでいろんなイベントを見てたりすると、あそこのイベントでも見かけたかとか、自分がいつも行ってるところと同じようなコミュニティがまたそこに存在してるみたいな風に感じる時ありません?

志水:ありますね、Facebookのせいですよね笑。

三ツ木:まあねFacebookもあるし、色々なツールにも関わってくるかなと思うんですけど。要はイノベーターとアーリアダプターが集まる界隈にいるとその属性の人しかいないというか、そういう傾向があるような気がしてて。だからそういうところからまたちょっと離れて別のコミュニティに入ってみたりとか、他のグループに入ってみて色んなことやってみたりとかっていうのもあったりもするんですけど。
やっぱりオンライン上になってくると結構似たコミュニティの人たちとお会いすることが多いなっていうのは特に最近思うんですよね。

志水:確かにそうですね。そういえばプラットフォームといえばstand.fmを三ツ木さんもやっていらっしゃると思うんですけど。

三ツ木:stand.fmはどちらかというと地域性の近さがあって、例えば京都って言ったら京都の人たち、やっぱり近しい人が集まってくるのでそれが成熟してくると、同じような人ばかりがずっといるみたいな感じになってきたりもするんじゃないかと。だからそういう意味での多様性は損なわれるような気がします。損なわれるという言葉がいいのかどうなのかはわかんないですけどね。
だから多様性っていう意味で言うと、例えばゼロから全く知らない人に会うことがあるのかっていう意味で言うとその体験は少なくなってきてる。もしくは誰かの友達、誰かの誰かの友達みたいに、どこかでお名前を見かけたことがあるという方たちが、やっぱ増えてきてるっていう感覚はあります。なので多様性っていうのが狭いのかもしれないっていう風に自分を疑ったりとかしますよね。

志水:なるほど。だから 3S BASE というstand.fmもされているのは、新しいプラットフォームだからこそ繋がってなかった人と繋がるかもしれないということですもんね。

三ツ木:そうですね。だから本当にローカルの人たち、西陣というエリアでお仕事をされている人たちと、その地域をより知ってもらうためにお話したりしています。今までコミュニケーションをとっていなかった人たち、その人たちがどういう考え方でこのエリアでお仕事をされているのかっていうのを聞きながら、それを繰り返してたら、いつかはゼロから全く知らない人に会うというのはなくなってくるので、そういう意味で多様ではなくなってくるような気がしますけどね。ある一定まで行ってしまうと。
なので多様性っていう意味が、また変わってくるんじゃないかなと思いますよね。多様性の意味が。

志水:それは三ツ木さんからした時のコミュニティの捉え方が変わるということですか?

三ツ木:そうですね。この多様性というのは人のことですよね。そういう意味で言うと、新しい方はいっぱいいらっしゃるけれども、同じような価値観の人が集まってくるんじゃないかなと思いますけどね。

志水:そうなんですよね…。

三ツ木:それは間違いないと思っていて、全然交わらない価値観の人と、いきなりゼロベースから会うことってほぼ無いかなと思うんですよね。無理やり会いに行って、じゃあ全然違う価値観の人と話してて、それがどのタイミングでマージするかって言ったら、結構な時間とかコミュニケーションコストとかかかるじゃないですか。それを踏まえた上でお互いがお互いを受け入れる、一人だけじゃ成り立たないですから。その多様性を受け入れるって話、お互いがお互いを認め合うっていうところをちゃんと担保してないと、成熟できないかなと思うんですよね。
やっぱりどこかで価値観に折り合いをつけて、「この部分は違うけれどもこの部分はあってる」とか、そういう色々な部分で折り合いをつけつつ、なおかつ、「こうしたらもっとより良くなるんじゃないか」っていうのをお互いに歩み寄れる価値観を持つ。そうでないと多様性を発展できないのかなと思います。

志水:なるほど、そういうことですね。運営方法によっては成熟と価値観の多様性が損なわれるかどうかっていうのは、必ずしも関係してないじゃないかっていうのも思いますね。

三ツ木:はい、そう思いますね。

志水:いやー、さすがですね。

三ツ木:いやいや笑。今回の質問全部見てて凄いこう考えさせられるですよね。

◉コミュニティが受け継がれ、アップデートされて新しい共同体が生まれること

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Q.5)コミュニティはいつ「死ぬ」か?

志水:ありがとうございます、では最後の質問に行かせてください。これも本当に聞きたい質問で、コミュニティが死ぬか、コミュニティが無くなるっていうのはいつなのか。僕が調べた限り、社会学の分野でも言及されることは少なかったんです。その中で出てきたのが、三ツ木さんもご存じだと思いますが、ヤコブ・ニールセンです。彼はサービスの中で、例えばチャットルームとかそういったものを提供しただけではそもそもコミュニティができないじゃないかって批判的な記事を書いてまして。コミュニティって例えばどう畳んだらいいのかってあまり議論されてない気がするんですけど、そもそもそれを議論する必要があるのか、とか、もしくはほっといて自然に解消というかたちがいいのか。その辺について聞かせてください。

三ツ木:それはもう、そこに関わってる人達が最終的には決めなくちゃいけないことなのかなと思います。

志水:それは全員で、ですか?

三ツ木:全員と言うか、例えばなんか主要メンバーが、主要メンバーって言うのも変だな。例えばイベント的なコミュニティ、TEDxKyotoもそうなんですけども、あれって1つのコミュニティではありますけれども、イベントをやってるじゃないですか。で、イベントをやめた時にコミュニティが死ぬのか?っていうとまたそれも違うのかなと思うんですよね。
そうするとそもそもTEDがいつ終わるのか、とかっていう話にもなってきたりもする訳で。いきなりTEDがライセンスも付与しません、もうTED解散しますって言われたら、じゃあ僕らのコミュニティにとって、その時が死なのか。いや、でもそれは死ぬんじゃなくて、多分変容するだと思うんですね。変化するものだと思うんですよ。

その考え方を持って、もしかしたら大元のライセンスを提供をしているところがもう今後はしませんという様な形になって、全部アーカイブだけ残しますという風になった場合に、じゃあ僕らはどうするのか。そうした時に有志の人たちはね、今後どうなるか分からないですけれども、もしそういうことがあった場合には、このコミュニティを新しいものとしてアップデートするのか、しないのか。意志とかモチベーションとかいろんなものがあると思いますけど、それらがあるんだったら継続して変容して、ずっと生き続けることになるでしょうし、もしそれらがなかった場合には、もしかすると自然消滅するかもしれないですよね。これは多分自然と一緒だと思うんですよね。
だけど人がいる以上、ほぼ死ぬことはないと思っていて、何かに受け継がれていくと思います。誰かが受け継いでそこで、何かを行動を起こしたらまた別のコミュニティというか共同体が生まれていく、そういうのが多分ずっと続いていくだろうなという風に思います。

志水:そっか、茶道や華道の家元とか、宗教が分派したりとかするのも近いかもしれないですね。

三ツ木:とかもそうですね。あとやっぱり思いがある限り、あんまり死ぬってことはないのかなと思ってて。

志水:確かにそうですね。そうするとコミュニティの死について考える理由はそんなにないんじゃないかって感じですかね。

三ツ木:そうですね、あんまりないかな。僕が生きてる間はあんまりそういうことを想像することは無さそうですね。

志水:ありがとうございました。

◉誰かに分け与える、というコミュニティの語源とその呪縛について

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ラップアップ

志水:これで五つの質問が全て終わりまして、前回以上に三ツ木さんからお話が聞けてとても嬉しいなって思っています。

三ツ木:いえいえいえ、なかなかいい質問だなって思いながらですね、正直言ってしまうとコミュニティという言葉だけをみると、僕はあまり好きじゃないんですよ。何て言うのかな、マッキーバーさん、60年代ぐらいの社会学者さんがコミュニティアソシエーションっていう二つの定義をした方がいる。で、コミュニティっていうのはさっきお話ししたような、社会集団とか共同体みたいな話なんですけど、アソシエーションってそのコミュニティの上に何か達成するために、能動的に活動する人たちとか、個人的にこうグループを作るっていう役割を果たしてるとを言っていて。僕も全部読んでるわけではないので、僕はちゃんと読みたいなって今回思ったんですけど。
なんて言うのかな、コミュニティっていう言葉の定義が曖昧なゆえに、なんかどうとでも受け取れるような感じが凄い難しくて。コミュニティが大事っていうのも、なんかちょっと考えてると違う気がするみたいな。それが明確に何なのかっていうのは言いにくいんだけど…。

志水:語感がいいから軽々しく使ってるんじゃないか、みたいに思う時もありますもんね。

三ツ木:そうそうそう。だけど日本語で言うコミュニティっていうのと多分海外で使われてるコミュニティっていうのはまた違う話なんですよね。コミュニティの語源は「コミュニタス(ラテン語)」って言って、自分が持っている素晴らしいアイデアとか価値っていうものを誰かに分け与えるっていうことなんですよ。なので、そういう意味で言うと、やっぱり何かを誰かに与えるというか渡すというか、そういう事ができる共同体があるんだったら、確かにそれはひとつのコミュニティだなという思いますけどね。

志水:なるほど。めちゃくちゃきれいにまとめてくださるじゃないですか笑。

三ツ木:いやいや、ありがとうございます。

志水:僕は一番最初に「コミュニティの定義とはなんですか?」って聞かれてからずっとふわふわして喋ってますけど笑。三ツ木さんのそれぞれの答えを聞いて、確かになるほどなと思う一方で、僕の問いの立て方が若干狭くて一面的だったな、みたいな反省もしつつ…

三ツ木:そうですか。いや、でも何か凄いこうダイレクトだったなと思いますよね。ダイレクトにこう問われると、例えば一番最後のコミュニティがいつ死ぬのかってめちゃめちゃショッキングじゃないですか。問いが強いが故にちゃんと考えないと答えられないなと思っていて。凄いこうコミュニティに対するまでも今回のやつは本当にTEDxKyotoというフォーマットだけじゃなくて、自分たちがこう生きてる社会とかですね、色んな人たちとの関わり合いの中で考えるタイミングなのかなと凄い思いますよね。

志水:確かにそうですね。ありがとうございます。
最後に調べてた中に面白いのがあったので、よかったら今度一緒にできたらいいなと提案させてもらってもいいでしょうか。

三ツ木:はいはい。

志水:インテレクチュアル・ダークウェブって聞いたことあります?細かい内容はいったん置いといて、動機がめちゃくちゃ面白いなと思ったんですよね。
例えばですが、研究者の人たちが実験して論文なりで、あくまでエビデンスベースで、あくまで例として黒人と白人と黄色人種の内この人種の方がこの面では優れてるっていうのが証明されたとするじゃないですか。で、それを今のオープンな学会とかで発表すると、もう人種差別主義者だとか言われて議論もまともにできない。でも研究者の人たちが、いや取り敢えずそういうのはいったん置いておいて、エビデンスベースで建設的な議論をしたい!と、そのためだけにつくったクローズなWebコミュニティみたいなものらしいんですね。

三ツ木:うん、面白いですね。

志水:例えばデザインでもあるじゃないですか。別に誰かを悪く言いたいんじゃなくて、建設的で批判的な議論がしたいけど、これツイッターでは言えないなみたいなのって。これ言ったらちょっと軽く燃えるなみたいな。
もう無意識のうちにコミュニティの呪縛がですね、僕はあるんじゃないかと思っていまして。でもアメリカを拠点に、そういうオープンなコミュニティとは全然違う、ちょっとクローズだけどはっきりとした目的的なコミュニティも面白いなと思って。

三ツ木:めちゃめちゃ面白い視点だと思いますね。だから良い面も悪い面も含めた上でっていう風に、それこそ多様性の話じゃないですか。じゃそれ認めないのかって話でもある訳でしょそういうのって。

志水:ほんと、そうですよね。でも調べた記事見てると、こういう結果が出ただけですっていう発表するのも、そもそもさせてもらえないとか、会社を首になるとかのレベルでいろいろあるらしいので…。アメリカだったらインテリジェント・デザイン(*「知性ある何か」によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする思想)みたいな科学的な進化論を否定する人とかもいいるじゃないですか。

三ツ木:はいはい、分かります。

志水:そういうのもあって多分難しい状況なんでしょうけど、これはまた別の可能性がありそうだなと思って。

三ツ木:うん、僕らは多分なんか知らないことが多すぎるんですよね。やっぱりそういう意味でデータとかもそうですし、世の中でどういう議論がされているのかとか、一面の真理しかなかなか見ることができないので。そういう意味で知らない事ってまだまだ存在してるので、そういうところっていうのは知ったら何か他の考え方が見つかるのかなっていう意味では凄い面白いですよね。

志水:そうですね。ちょっと僕、どこかのデザインで気になるところあったら三ツ木さんに電話しますね笑。

三ツ木:もうしてして笑。
そういうの知りたいです僕も。何かやっぱり自分の生活のルーティーンがある程度決まってきてしまうとなかなかそこから抜け出せないっていうところもありますし。そういうのって他の人から貰ったりとか、逆に僕が持ってるものが上げられるものがあるんだったら、何か出させて貰った方が色々な話ができるかなと思ったりもしました。

志水:そうですね、お互いに。
なんかこのコミュニティの特集も、できればたくさんの方にお聞きしないなと思っているんですけど、まだそういう打診はどなたにもしてないですけど、できたら最後に聞いた方皆さんに集まって貰ってパネルディスカッションとかできたらいいな、とかそんな風に思っていて…。

三ツ木:なかなか壮大な話になってきましたね笑。

志水:もしそういうことになりましたら、またぜひ願いしたいと考えておりまして。

三ツ木:ぜひまた参加させて頂ければ嬉しいです。

志水:ありがとうございます。
本日はお忙しい中、長い時間ありがとうございました。とても楽しかったです。貴重なお話を聞かせていただきましてありがとうございました

三ツ木:はい。ありがとうございました。

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ありがとうございました!
本日のバルーンチャンネルは三ツ木さんにゲストとしてお越しいただき、コミュニティをテーマに取り上げてBalloon Inc.がお届けしました。最後までお聞きいただきありがとうございました。ご興味がある方はぜひチャンネル登録もお願いします。また次回バルーンチャンネルでお会いしましょう。


(前編はこちら)



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