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プーチンは何を望んでいるのか?

原文:https://freedomnews.org.uk/2024/07/11/what-does-putin-want/露語原文
原文掲載日:2024年7月11日(露語原文は2024年6月22日)
著者:アンティ゠ラウティアイネン(英訳はシーン゠パターソン)

ロシアの独裁者は狂っていない。彼の権力と経済体制に戦争が必要なだけだ。

Avtonom.orgより。ポッドキャスト と YouTube でも視聴可能(どちらも英語)。

2022年2月にロシアがウクライナを全面侵攻した直後、プーチンは戦争の目標を5つ示した。ウクライナをNATOと同盟させないこと・ウクライナ政府を交代させること・ウクライナの防衛力を大幅に制限すること・(国際的な承認を得て)ウクライナ領土を奪取すること・西側諸国による対ロシア制裁を解除させること。

戦争の最初の数週間、プーチンにはマキシマリストのアジェンダもあった。ウクライナの迅速な占領・傀儡政権の樹立・恐らくはウクライナ全土の併合である。しかし、こうしたマキシマリストの目標を達成できなくとも、5つの小さな目標が少なくとも部分的に達成されれば、敗北を意味しない。十中八九、プーチンは、攻撃前から、情況をこのように理解していた。プーチンはキーウを陥落する自信はそれほどなかったが、小さな目標のいくつかは達成できると確信していたのである。

ウクライナが戦争に負ければ、5つの小さな目標全てを達成できる。にもかかわらず、ロシアの反対派と西側の言説は、プーチンは秘密の意図を持っているのではないか・プーチンの表明した目標は信じるに足るのかどうか・プーチンは正気なのかといった憶測を述べ続けている。さらに、「プーチンは既に戦争に負けた」という発言にも未だ出くわすことがある。これは希望的観測の産物だ。プーチンの価値観が民主主義支持者の価値観とは違うことを思い出せば、プーチンの言動は極めて一貫しており、合理的である。

ロシアの行動を予言するには、プーチンが狂っているかどうか評価しなければならない。個人的に、私は、プーチンがウクライナ全土を征服するのがどれほど難しいか理解していたと思っていたため、戦争が始まるまで戦争の可能性は低いと考えていた。私は間違っていた。プーチンがもっと控えめな目標を持っているとは思わなかったからだ。つまり、プーチンは狂っておらず、自分の能力を過小評価してもいなかったのだ。私だけが間違っていたのではなかった。キーウでさえ、バイデンの警告をようやく信じたのは、ロシアのミサイルが既に空中を飛んでからだった。このように、2022年の攻撃は多くの点で、2014年の攻撃を繰り返しただけだった。どちらの時も、プーチンは完全勝利を求めたが、彼はより限定的な目標も受け入れていた。現在、プーチンが宣言した目標は本物だと考えていいだろう。より野心的な目標はもはや手の届かないところにあるからだ。

勝利の概念は価値観に左右される

勝利は軍事科学で最も中心的な概念だと思われるが、その定義は難しい。ウィキペディアでは、様々な歴史的戦闘・戦争で誰が勝ったかを巡って編集合戦が時々勃発する。戦術的勝利が戦略的勝利を導くこともあれば、逆もあり得る。戦闘や戦争の目的が一つだけなら、定義は簡単だ。勝利とは、その目的に向けて前進したり、それを達成したりした側でのことである。しかし、複数の目標があれば、それぞれを互いに比較し合わねばならない。

プーチンの最初の三つの目標は達成できそうにないが、領土の奪取(少なくとも国際承認なしの)は可能だ。ウクライナが2014年以降に軍事的手段を用いてロシアに占領された領土全てを取り戻すのは非常に難しいだろう。

ウクライナがNATO加盟を果たす一方で、プーチンがより多くのウクライナ領土を占領する可能性は充分ある。こうした情況で、プーチンの目標の一つは失敗するものの、もう一つは逆に達成に近づく。いずれにせよ、人命と経済面でロシアは甚大な損失をする。これはプーチンにとって勝利なのだろうか、それとも敗北なのだろうか?

結局、ロシアの勝利は、ロシア人の大多数が何を勝利と見なすか、もっと正確に言えば、プーチン主義プロパガンダ機構が何を勝利としてロシア民衆に売り込めるかに左右される。小さな領土獲得でさえ、ロシア人に勝利として売り込める可能性は充分ある。あらゆるプーチン主義プロパガンダはロシア人の価値観をリベラルな共和主義から保守的な新封建主義へ転換させようとしているからだ。

プーチンの新封建主義価値観

新封建主義という流行語は、ありとあらゆる文脈で誤用されている。封建主義は、資本主義ではない経済システムとして、実在した社会主義に次いで時代的に最も近いという事実に関係している。だから、従来の資本主義から逸脱する経済システム--それでも生産手段の私有に基づく--を新封建主義と呼びたくなるのである。

プーチンはロシアの全生産手段を国有化しようとしてはいない。ソ連の崩壊は彼にとってトラウマ的経験であり、それを繰り返したくないのだ。プーチンの目標は、資本の蓄積を止めて農奴制に基づく自給自足経済へ移行することでもない。結局、プーチンは資本主義を破壊しようとしているのではなく、むしろ別種の資本主義を創造しようとしているのである。従って、これを「新封建主義」と呼ぶのはいささか誤解を招くが、より良い用語がない以上、これで充分だろう。

プーチン主義の新封建資本主義では、覇権者はブルジョア階級でも、ブルジョア自由主義の価値観でもない。むしろ、シロヴィキと呼ばれる治安・軍事勢力と、官僚内のシロヴィキ支持者から成る特別なカーストであり、彼等がブルジョア階級を支配下に置く。このカーストは、ブルジョア階級と他の下層封土所有集団を支配下に置こうとした中世の騎士と司祭に似ている。だから「新封建主義」と呼ばれている。この現代の官僚カーストは、ソ連でそうだったように、ノーメンクラトゥーラと呼ばれることもある。ノーメンクラトゥーラの支配カーストの直接継承者だからだ。ただ、確かに、1980年代に現代ロシアの支配者達はノーメンクラトゥーラのトップ層にはいなかった。ヴォロディミル゠イシュチェンコは「政治的資本家」について語っているが、政治的資本家の価値観は、ブルジョア階級、つまり「普通の資本家」の価値観とは異なる。

2022年ウクライナ、ブチャの惨状(Flickrより)

私はここで、プーチンの価値観と精神的動きについて多くコメントしているが、ノーメンクラトゥーラの価値観と精神的動きについても同じぐらい容易く言及できる。プーチンは自身のカーストの産物であり、彼の思考はこのカーストの考え方と価値観に対応しているからだ。プーチンは独裁者だが、自身の階級の支持を必要としている。プーチンが死んだり打倒されたりした場合に、ロシアで変化が起こるかどうか定かではない。同じ価値観を持つ同じ階級の代表者がプーチンの後継者になる可能性があるからだ。

新封建主義的価値観の枠組み内で勝利を定義する

プーチンの価値観を持つ保守的新封建主義世界では、金銭や人命のようなブルジョア価値観は二の次で、土地が第一級の重要性を持つ。ブルジョア階級にとってさえ、政治権力を巡って争ったり政治権力を失う脅威を感じたりする時には、人命の価値は非常に相対的なものだった。それでも、ブルジョア革命は人権の概念に関して称賛されねばならない。新封建主義にとって、人権は毒である。

新封建主義的価値観には明確な論理がある。戦争で失った資本と人口を補充するには数十年かかるが、征服した土地は何千年も所有し続けられる。土地は将来にわたって収入と安全保障の緩衝地帯を提供してくれる。中世の騎士も、資本や人命よりも土地所有に関心があったため、同じように考えていた。

プーチンの見解では、あらゆる政府と国際協定は、領土に比べれば歴史の儚い閃光に過ぎない。彼は多分、銃声が鎮まった時、ロシア民衆にこうした価値観を売り込むだろう。あらゆる損失にもかかわらず、自分を勝者だと思いたいという人々の願望を過小評価してはならない。

ここは、ロシアの新封建主義経済システム・その形成・派生的価値観を議論する場ではない。私はこのテーマについて13年前に書いた。将来また書くつもりだ。もちろん、このシステムはロシアの永遠の宿命ではない。過去20年でソ連の官僚制と資本主義が統合した結果、最近になって形成されたに過ぎない。

プーチンの理論は、19世紀のスラブ主義と20世紀のイワン゠イリインのファシズム哲学に基づいているものの、これらの思想とそれに対応する封建主義的価値観は、ロシアの新封建主義経済システムが形成されて初めて飛躍を遂げた。ソ連も帝国主義政策を追及したが、経済システム・支配階級・その価値観は、現代ロシアのそれとは全く異なっていた。

プーチンの価値体系で勝利は何を意味するのか?

要約すると、戦争における勝利の定義は以下のようになる:ある価値体系の枠組み内で、達成された目標の重みが未達成の目標よりも大きい情況。つまり、勝利は価値観に依存する概念なのだ。従って、戦争の両陣営は、それぞれの価値観から見て勝利者になり得るということになる。

勝利の定義が明快であれば、プーチンの正気度も評価できる。勝利と同じように、合理性も絶対的な概念ではなく、その人の価値観に左右される。戦争は、特定の価値体系に従って勝利を収められれば、合理的な冒険である。プーチンは、人命と資本の尊重を前提とする自由主義ブルジョア価値観の枠組み内では勝てない。しかし、彼自身の価値観の枠組み内ならば、「勝利」は可能である。

ウクライナ人が、領土を譲歩した後のある時点で、独立・民族統一・西側の自由貿易システムに統合された結果としての経済的成功を自国の勝利だと解釈した場合、こうしたロシアの勝利はウクライナの勝利と必ずしも相容れないものではない。自由主義ブルジョアの観点からは、これは原則的に「勝利」と見なし得る。

しかし、これまでのところ、ウクライナは領土の譲歩に消極的である。その理由は容易に理解できる。ロシアに占領された地方全てに、クリミア半島の少数民族タタール人の大部分がそうであるように、ウクライナへの帰属意識を持つ民族が住んでいる。占領されたヘルソンのように、親ロシア市民の割合が極僅かな地方もある。ウクライナ人の意見では、何百万もの親ウクライナ市民がロシア市民になってしまったり、永久に故郷を追われたりするなど、勝利とは言えないという。

しかも、ロシアの領土主張には何の歴史的境界線にも基づいていない。プーチンはウクライナ人を実在する民族ではなく、誤った意識を持つロシア人に過ぎないと考えている。だから、いかなる領土の譲歩もロシアによる将来の再攻撃を助長するだけなのである。

プーチンが勝利した場合の結末はどうなるのか?

今回がプーチンにとって初めての戦争ではない。第2次チェチェン戦争は何の交渉もなくロシアの勝利に終わった。2008年、ロシアが支援する南オセチア指導部がジョージア大統領ミヘイル゠サアカシュヴィリを挑発して攻撃したが悲惨な結果に終わった。2014年のクリミア半島征服は、プーチンの最も人気のある業績の一つだ。逆に、アサド独裁政権を救うべくロシアが介入したシリア内戦はロシア社会ではほとんど注目されず、その結果、プーチンの人気に特段影響を与えなかった。プーチンは既に4度の勝利を収めており、消費すればするほど彼の食欲は増大する。

プーチンが過去に行った4度の戦争は、ウクライナの全面侵攻に比べれば遥かに複雑ではなかった。その後の戦争もさらに容易になるかもしれない。例えば、小国のモルドバからトランスニストリアを奪取する・ベラルーシ(事実上既にロシアに占領されている)を併合する・ロシア人が多数派を占めるカザフスタンの北部地方を奪い取る・中東とアフリカの戦争に参加するといった可能性がある。もし、プーチンがウクライナで勝てば、彼が上記全てを行わない理由はなくなるだろう。

繰り返される戦争は、ロシアの新封建主義システムを維持する唯一の手段でもある。外敵がいなければ、経済の余剰部分を着服して肥大化したロシアの治安機関・官僚制を正当化できなくなる。この点でロシアのシステムはファシズムに似ているが、その歴史的起源・支配階級の構成・臣民の役割はファシズムとは違う。いつの日か、私はこの比較をして見よう。

以上から、和平達成の可能性は、プーチンの観点から攻撃が誤りだったかどうかに基づいて評価されねばならない。もし、誤りだったという答えなら、ウクライナ側の領土譲歩を伴う和平は必ずしも新しい戦争につながらないだろう。だが、プーチンの行動は全く合理的でも打算的でもないとか、プーチンが何かを後悔しているなどと信じる理由はない。彼は狂っていない。彼の価値観の世界では戦争は悪いことではない。戦争は彼の権力と経済システムに必要不可欠なのだ。従って、いかなる領土の譲歩も、2014年~2015年に併合された領土の承認も、新たな戦争を導くだけである。

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