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シソ・ゴジラ-1.0

「ゴジラ-1.0」の感想 をエラそうに書いてしまったんですが、自分はこういう感じだったら楽しめたんだろうな、というのを、小説の書き出し風とWikipedia解説文(一部抜粋させて頂いております)風を織り交ぜながら書いてみたものです。




生きた。

生きた生きた生きた生きた生きた。

眼前には愚直に存在する小さな島。
そこにも、生きている人間がいるのだろうか。
近づく。それが、近づいてくる。

生きてしまった。

敷島浩一は護国刀を握るより強く、操縦桿にしがみついていた。 軽くなった機体が己の心よりも浮ついて悪路への着陸を唆(そそのか)してくる。自分の全てはこの零戦と共にあり、敵艦の横腹に風穴を空け、その命と引き換えに腑(はらわた)を引き摺り出してやるのだと飛び立った。はずだった。


第二次世界大戦末期1945年(昭和20年)敷島浩一は特攻へ向かう途中で250キロ爆弾が外れ、小笠原諸島に位置する大戸島の守備隊基地に着陸する。自分で外したのだろうと殴られ、罵られるなか、整備兵の橘宗作はその小さな異常を発見し、敷島の生還に労いの笑みを向けた。

その日の夜、島の伝説で語り継がれる、全長15メートルほどの恐竜のような生物「呉爾羅(ゴジラ)」が基地を襲撃する。敷島は橘から、零戦に装着されている20ミリ砲でゴジラを撃つように懇願されるが、撃つことができず、敷島と橘以外の整備兵たちは全員ゴジラに襲われ死亡した。

橘に、整備兵たちの遺体、だったものを前に罵倒される敷島は、恐怖で撃てなかった事実に忘我していた。自分は結局、特攻からも逃げて来ただけなのではないか。爆弾などなくとも機体そのままで突っ込むことは出来た筈だと。

東京に戻る。死んで天授を全うして来いと言われた自分が生き残ったのに、両親家族は死んでいた。隣人の太田澄子にぶたれなじられ、虚ろなまま食べたあたたかい食事に生を感じてしまう事さえ、敷島の心に爪を喰いこませた。

そんな中、やってきた騒ぎに巻き込まれようと、追いかけられる女の前に立ちはだかった敷島は、小さな赤ん坊を押しつけられる。お前も仲間かと棒で殴られ、昏倒する腕の中で泣き叫ぶ赤子が放出する鮮烈なまでの、生。

なき声がする。自分は死んで、赤子としてまた生まれてきたのだと思った。傷む頭を起こすと、そこに大石典子がいた。「生きててよかった」と、自分に言ったのか赤ん坊に言ったのかわからない言葉を、汚れた笑顔で吐き出した。赤ん坊は典子の子でもないのだそうだ。名を明子という。三人の奇妙な共同生活が始まった。

生きていることから逃れたい敷島は、米軍が戦争中に残した機雷の撤去作業の仕事に就く。理由は危険だからだ。入る金はすべて典子に渡す。

生きることに貪欲な典子は妬まれることを嫌い、質素に見える生活をしつつ、あの手この手で闇市から手に入れた栄養価の高い食事を同居人に振る舞った。危険な目にあっても「生きていればいい」と汚く笑う。

その頃、ビキニ環礁で行われた米軍による核実験「クロスロード作戦」によりゴジラは被爆。細胞内で小さな異常が発生し、その体は体高49メートルまでに巨大化。その足を、日本へと進める。

典子は自立のため銀座で職に就いた。明子ももう立ち上がり、自らの足で歩き始めている。敷島だけが、いつまでもそこに座り込んでいた。そんなある日、敷島たちは作業中の日本近海にゴジラが現れていることを知らされ、作業船で足止めをしろという命令が下る。回収した機雷や船の機銃でゴジラに応戦するが、即座に傷が回復してまったく歯が立たない。

シンガポールから帰ってきた重巡洋艦「高雄」が、あの時の整備兵のようにゴジラに食われ、投げ飛ばされた。これで自分も死ねる、と笑いながら放った機銃が、ゴジラの咥えた機雷に命中し、頭部を吹き飛ばす。氷つく笑み。また、生きてしまった。

翌日、それでもゴジラは、東京湾の防衛ラインを越えて上陸。より醜悪な顔を携え、品川から銀座へと家屋を、そして日本を、蹂躙していく。敷島は明子を太田に預け、あいつだけは死なせてはいけないと銀座へ向かった。典子の唯一の望み、"生きていたい"は、いつしか敷島の"生きていて欲しい"になっていた。敷島は、奔り出していた。

典子は、乗っていた列車がゴジラに襲われ、死と直面しながらも、生きてやると、ゴジラの濁った眼差しに向かって汚い笑みをやって返す。多くの乗客が街に投げ出され死んでいくなか、生にしがみつき、川へ落ちたことによって一命をとりとめた。服は破れ、血に塗れながらも敷島と合流し、彼女ははじめて、汚く、泣いた。

日本政府は国会議事堂前に配備した戦車隊で応戦する。しかしゴジラの放出した、地獄の炎か、はたまた神の怒りかとも思える熱線により、国会議事堂もろとも蒸発。熱線の余波で生じた衝撃はさらに銀座を、そして敷島と典子を襲う。向かい来る爆風に、典子は咄嗟に敷島を建物の陰に押し込んだ。目の前からあの美しい、汚い笑顔が消えた。銀座の街と共に。

また、生きてしまった。

自らの熱線により傷ついたゴジラは傷を癒すべく海に戻る。立ち尽くしていた敷島も、気がつけば家に還っていた。太田が典子の事を聴く。明子を抱きしめることしかできない。敷島の目から、涙は流れなかった。


そして"海神作戦"が決行される。

誘導役となる震電の整備は、小さな異常をも見逃さない橘の手に託された。偽の手紙で誘き寄せられたことに怒り狂い、立ち去ろうとした橘は、敷島の船上でゴジラの頭を吹き飛ばした経験と、刺し違えてでもゴジラを殺すという覚悟、そして、敷島が肌身離さず持っていた、死んでいった仲間の写真に、引き摺る足をとめたのだった。

予定より早いゴジラの上陸も、なんとか震電で相模トラフへと誘導する。フロンガスによりゴジラを海底に沈める第一次攻撃は成功したものの、バルーンでの第二次攻撃は失敗に終わる。ゴジラの背鰭が光り、海水が蒸発する。濁った眼差し。激轟する大気。奈落の底の様な口が、開いた。

万事休すと思われたその時、大気を一閃し、ゴジラの口内へと敷島の乗った震電が吸い込まれていく。耳を劈(つんざ)く声は、ゴジラの、地球の叫びか、終戦を告げる鐘の音か。沈みゆく太陽とゴジラ、だったもの。巡洋艦群の乗組員たちは皆、生きている。

生きている。

敷島浩一は、操縦桿を握るより強く、パラシュートの紐にしがみついていた。何が起こったのかわからない。これで死ねると思った。典子のもとにゆけると。しかし、ゴジラに喰わせる爆弾の信管を引き抜いた瞬間、大空へと投げ出されてしまったのだ。橘の笑みが、頭をよぎる。

また、生きてしまった。

終末の喇叭(ラッパ)を携えた天使が降臨するように、甲板へと降り立つ敷島浩一。乗組員たちが口々に彼の名を呼び、震える身体を叩いた。もみくちゃにされてもなお、その顔に安堵も笑みもなかった。

港へと望まぬ帰還を果たした敷島を待っていたのは、電報を強く握りしめた太田澄子と明子だった。典子が、生きているというのだ。立っていることさえやっとだった敷島は、奔り出す。

生きた。

生きた生きた生きた生きた生きた。

眼前には愚直に生きている小さな典子。
ここにも、生きていることを喜んでくれる人間がいるのだ。
近づく。それが近づいてくる。

「生きててよかった」


海底で蠢く、ゴジラ、だったもの。
胎動する黒い細胞が、小さな鼓動を繰り返す。
生きた生きたと声がする。
そしてその鼓動と同じように脈打つ小さな黒い細胞が、
典子のうなじで、汚く笑っていた。



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