見出し画像

条件設定に疲れた時に読む記事

生きる過程に於いて、その時々の「選択」によってその後が左右されるというくらい、何らかの条件を選んでゆくことの大切さが私たちの日常に存在します。

一定の資金の中で生活するために、アイテムの値段や品質のバランスを考慮して購入に至りますよね。ある一定枠の中の条件に紐付いた生活がわたしたち庶民の生活には不可欠です。

- 転んでもいい。走ってみたい、叫んでみたい -

日常生活に於いて何か行き詰まる時がある。何か息苦しい瞬間が襲ってくる。そんな気持ちになったことはありませんか?

もっと何も考えず、買ってみたい、走ってみたい、転んでみたい。
笑ったみたい、悲しんでみたい、怒ってみたい。

その感情の方向は様々であっても、ご自身の心が、少しだけ「条件を気にすることなく呼吸をしたい」と思う場面に出くわした時、皆さんはどうされますか?

- 人種・性別・環境・生活手段から解放する -

10月1日。

秋の香りと色が一層深くなるこの時期。
平凡な時間の繰り返しが、つまらない設定に感じることはありませんか?
条件から解放されずに、鏡に映る「わたし」の姿を見ないようにしていませんか?

妄想や想像が創作の一部になる時、どれだけの条件を捨てることができるかご存じでしょうか?

人種や性別、社会的身分や地位、家族・友人関係などのしがらみから解放されて、創作を通して何か別の自分に打ち込むことが、どれだけ救われる瞬間に出会えるか。

- 作品(時空・空間)の中の環境と遊ぶこと -

決められた範囲の条件で、繰り返し呼吸をすることから離れて、「わたし」の中に様々な環境を設定することで、息継ぎをする選択も広がります。

これしかない、ではなく、こんなに選択肢がある。
という環境を常に備えておくために、「わたし」は現象や対者に忠実でなくてはいけません。見ないようにすることで、環境設定への心移りも乏しい内容になってしまうからです。

少し疲れた自分へのご褒美、そしてそれは毎日膨らませることができる「わたし」だけの環境設定。

お料理、養育、お掃除、仕事、遊び、習い事、全ての事柄へ「わたし」の環境の膨らみを付けることで、様々な条件から解放されることを信じて歩んで行きたいと思っています。

他人ではなく「わたし」であることが大切です。

私が提供できる全てを道具として「人・環境・家族」をサポートしています。 Twitter: https://twitter.com/bakuosawa Instagram: https://www.instagram.com/my_memography/