2024/07/03 徒然なるままにウグイス

何が恐ろしいかって、この3日が極端なまでに記憶が無いのである。
これまで、特にメモを取っていなくても書き始めれば、ちょうびっとの記憶が呼び起こされて、そこから糸を手繰り寄せて長文を書いてきた。
それがね。この3日だけは何も出てこないんだ。

7/3の本来の予定としては、事務所の面談が予定されていた。我々が在籍しているのはマセキ芸能社のマセキユースという「預かり」の部署である。この「預かり」というのがなんとも日本の芸能界用語であり、なんとも説明が難しい。
サッカーで言えばマンチェスター・ユナイテッドユースと同じである。同じくらいの価値がある。マンUユースとマセキGユースを比べて、人数で言えばマセキGユースの方が少ないから、入ることの難しさはこちらの方が上と言えよう。
少年期のベッカム、ロナウジーニョ、カカだろうと入りたくても入れない。それがマセキGユースという名門だ。ただし往年のアルシンド氏なら「アルシンドになっちゃうよ」のギャグで所属できるかもしれない。ラモス氏なら、カレーを食べることで まさる少年 からラモスに変化、カレーを食べて数時間後にラモスから まさる少年に戻るという芸を披露して所属できるかもしれない。

それで、面談と言うのが半年に一度行われる。そこでいろいろと話すのだが、これについてはまた行われたときに書くからいいや。
面談が予定されていたが、面談担当の方の体調不良につき、日程が大幅に後ろになった。であるから、今日はスケジュールがあいたのだ。

今日は言ったら暇ネタを投稿しようかしらね。ここのところ暑くなって気づいたことがいくつかあったからそれを順番に発表していく。
私が子供のころ、よく議論されたのは「夏が好きか冬が好きか論」である。夏は暑い、冬は寒い。どっちが好きなのか、これは日本全国津々浦々で論じられてきた。私は子供のころから「冬が最高である」ことを声を大にして電車や駅、ショッピングセンターや通りで叫んできた。大声で主張している不思議ちゃんってなんでだいたい駅にいるんですかね。私もそうだけど。

暑さを乗り越えるには限界がある。エアコンをつけて服を脱いで、でも自宅でなければ一定の服は着ないといけない。冬はいくらでも着こめば寒さを乗り越えられる。これは世間で言われすぎた意見だ。それには賛成である。
冬の方がメシがうまい。私は子供のころは毎朝と言っていいほど、カレーライスもしくは納豆ご飯をたべていた。このどちらも夏よりも冬の方がウマい。カレーは辛いから汗がどんどんでる。カレーを食べ終わると300mは走ってきたのかというほどの汗をシャツが吸収している。汗において、グリコのキャラメルのようである。一杯で300m
納豆について、納豆は気温が高いと臭いとねばりがつよくなる気がする。そしてあのねちゃねちゃが煩わしくなる。この感覚に共感してくださるかたはいませんか。だから私は冬だろうと夏だろうとだが、納豆を食べるときには少し冷めた白飯にかけたい気持ちである。炊きたての米は納豆を臭くする気がする。

冷や飯論もいろいろ言いたいことがある。米は炊きたてよりも冷めているほうが合うメニューは確かに存在する。お茶漬けなんかは冷や飯の方がいい。米粒達が個として自立しており、さらさらとつぶつぶとした食感が心地よい。これが炊き立てだと100℃の米に100℃のお湯、もう地獄だ。あとは焼き肉の時も・・・といろいろある。語りつくせない。焼肉定食には炊きたてを、炭火焼肉には冷や飯を。
しゃべってもしゃべっても、ああ個人的な話。ちょっとさざんかの宿ぽい。愛しても愛してもあゝ他人の妻。

ということで食に就いても冬が優位だ。そのほかにもいくつも冬を推す理由は暇がない。いくらでも出る。冬が良いと子供のころからさんざん言ったが、なぜこれが言えたのかと言えば、一定の夏派が存在したからだ。
その夏派たちはだんだん姿を消していった。日本の夏があまりにアツくなりすぎたからだ。毎年、何人もの人を殺してしまう、まさに殺人的な暑さで、おいそれと「夏最高」とは言えないのが今のご時世である。
敵を無くした私の冬が好き論はいま、空中に溶けてなくなりつつある。

で、夏になって思ったことをようやく言える。
今すんでいるところは入谷駅が近い。入谷駅と鶯谷駅の間くらいでは、朝顔市(祭り)が開催される。昨年、二鉢のアサガオを買った。冬場には枯れているようなそぶりを見せたが、現在ぐんぐんと蔦を伸ばしている。しかし花が全然咲かないのが気になっている。ツタがぐんぐん伸びていることは良いことであるが、花が咲かなければ面白みが弱まる。なぜ花が咲かないのか、朝顔に明るい方がいればご連絡ください。

続いて、我が家の風呂について。我が家の風呂は、ベランダにお湯つくりマシーンがあって、そこで夜中にお湯が作られ、貯められるシステムだ。かなり古いシステムだ。これによって電気代がとても上がっている。許せない。

電気代はさておいて、それでシャワーを浴びるときにはここで作られたお湯を水とうまい具合にまぜた適温のものが出るようになっている。
これが冬場だと水3にお湯7くらいで適温がでる。春、秋は5:5くらい。最近は9:2くらいで十分に熱いお湯が出る。これ不思議である。
あのお湯つくりマシーンは常にX℃のお湯を作っているわけではないのだな。なんとなく熱いお湯をつくっているのだ。だから気温の上下によってつくられるお湯の温度が変わるのだな。だいたいX℃くらいになるつくり方をするが、夏はA℃、冬はB℃になってしまうのだ。うーん感慨深い。これが夏の気づきである。なんともとりとめのない話だ。

このとりとめのなさこそが日記の味である。ここのところ、味が濃い脂っこいエンタメばかりだね、という話しを始めると日記の良さが失われる。
朝起きて、夜眠ろうとして、昼に歩いていて、山や川、海、草木なんかを見て、なんとなく5・7・5で言う。それが日本のおかしみであるな。

朝起きて 大航海の 日本地図

昨晩見た航海の夢。あの帆船は日本を一周したのだな。ねしょんべんの跡がちょうど日本地図のようだから。という気持ちを詠みました。航海と後悔がかかっているところもウマさである。

今日面白いと思ったことは「朝起きて の読み始めは吉幾三から頂戴した。みんなの心にも吉幾三がいる。」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。