2023/9/4 二度寝と当番

今日は9時ころに起きた。今日は漫才大行進の当番である。えらい!
起きて、ごそごそしていたらめちゃくちゃ眠たくなったので10:30頃までまた眠ったしまった。二度寝は最高に気持ちが良い。

私と二度寝についての話をしたい。偉大な先輩の名前を出してしまうことが本当に申し訳ないのだが、思い出を語るには出さざるを得ないので名前を出す。私の二度寝とナイツの塙さんは切っても切ることができない。

もう何年前かわからない。10年以上は経っているはずだ。当時の私はただのお笑い好きな少年だった。当時楽しみにしていた深夜番組は「人志松本の○○な話」という番組だった。毎回、○○の部分に「ゾッとする」「好きなものの」「名前を付けてほしい」(記憶だけで書いているので間違っている可能性は高い)が入って、お笑い芸人が集まってそれぞれのテーマに沿った話をする。
その好きなものの話の回に塙さんがご出演されていた。

塙さんは自分の好きなものとして、「二度寝が最高の幸せである」と話していた。これが当時の私はとんでもなく共感した。
というのも、私は二度寝が大好きで、二度寝をうまくコントロールすることでスッキリと学校に向かう生活をしていたからだ。

中学生のころ、野球部に所属していた当時は朝練があったりで二度寝は難しかったのだが、夏の大会が終わって受験シーズンに入ると、7時に起きて支度をして7時50分に一度布団に入り10分寝る。という生活をしていた。
また、部活中も含め、夜は19時から塾に通っていたが帰宅して18:30頃に帰宅して10分15分昼寝をしてから塾に行っていた。これも広義の二度寝であろう。
高校生になると、いよいよ朝練、夜練と野球漬けだ。こちらも高校野球引退後は朝、登校前の10分の昼寝は再開した。
そんな生活をしていたところに、塙さんがテレビで二度寝のすばらしさを話してくれたおかげで、私はすべてを認めてもらったような気持ちになった。ああ、私の短時間睡眠は素晴らしいものなのだ。
これによって調子にのった私は大学生になっても、1時間の昼休憩にアパートに戻ってササっと昼食を取って15分くらい眠る生活を繰り返していた。
ひどいときにはそのまま講義をずる休みをしたことも幾度とある。
そして、お笑いになった現在も隙間時間があれば10分でも眠ることにしている。

そんな生活をしていた中、確か昨年だっただろうか塙さんがYoutubeで行っている地下芸人ラジオに呼んでいただいた。
そのラジオ中には話せなかったのだが、配信終わりにこの二度寝の話が強烈に残っているんことをお伝えした。すると「よく覚えてるね!あれはさあ・・・」と当時、二度寝の話をテレビですることになった理由などをお聞かせいただいた。
私はとても嬉しかった。少年の私が覚えていたテレビの話を御本人から直接うかがえる日が来るなんて。素直に私は「あのときの自分に会って教えてあげたい」という気持ちになった。

二度寝の話で1000文字超えてしまった。先日、嬉しい朝の吉田さんという芸人さんに、毎日読んでいるけど分量が多くてやんなります。ただ、毎日読んじゃってます。と言われた。確かに長すぎる。今日はなんと、このあと東洋館の当番の話もしないといけない。
気が向いたら、続きも呼んでください。

11:30に東洋館に着くと、東京二師匠、ウーデンガーデンムサシさん、カンディ中野さんが東洋館の前に待機していた。全員変な名前である。
なにやら撮影をしているようで、まだ入られないということだった。私はその間に向かいにあるドン・キホーテへ飲み物を買いに行った。

浅草のドンキはお客さまが誇張無しで9割くらい外国の方だった。浅草ドンキはもはや観光地化しているのだろう。そんななかで私は飲み物を手に取って、なにか食べ物も買おうかなとうろついていた。しかし、ここで私がえらいのはよく考えたら、今はお腹の好き方は中程度だ。まだ耐えられる。
ここはいったん食事をしないまま当番をやろうと思った。

東洋館に移動し、当番をやっていく。屋上でまたもウーデンガーデンさんと漫才の話をした。ここのところ発見した法則について、私自身あまりにも話したくなりすぎて、15分くらいムサシさんに向かって演説をしてしまった。
失礼いたしました。粛々と当番をこなした。

今日は我々の出番前に笑組さんがお出番があった。Twitter(新・X)をご覧の方はゆたさんが気にかけてくださっている様子はご存じと言う方もいるだろう。
今日の我々の漫才を見ていただいた。ご本人は「嘘を教える」とおっしゃっているが、漫才についてご教示いただいた。
ゆたさんの言葉で印象的だったのは、「日記の文章は丁寧なのに、漫才だと丁寧ではない」という言葉だ。
確かにそうである。日記は思ったことをなるべく伝わるように書いて、数千字になることもいとわず向き合っている。しかし、漫才になるとヤーヤー伝わってくれい、くらいな感じになっている。
これは、私の人間性にあっていない漫才になっていることが原因じゃあないだろうか。
また、台本もそうだが、台本以外の面での表現方法にも目を向けなければけないことをあらためて実感した。
これについては、もう一度気にかけていきたい。どうしてもたくさんの課題があり、こっちに向き合っているとこっちがおざなりになる。こればかりは人間だから仕方がないとも思っていただきたい(誰に?)。

その後はミーナの喜助さんにM-1一回戦の漫才について話した。最近考えている要素について喜助さんに伝えて、それについての意見をいただいた。おおむね納得していただけたようだった。ひとまず、理論はこれくらいにしたほうがよかろう。理論はいいからネタを作れという話だ。

今日の当番での出来事はこれくらいにしておこう。こまごま書いていると限りがない。プチ情報をお伝えすると金谷ヒデユキさんから、「俺のことをどんどんいじっていいぞ」とおっしゃっていただいた。いじれる限りいじろうと思う。帽子を取ると、少し寂しくなっていらっしゃる。

では、笠生大収穫祭先生のラジオ(笠生大収穫祭 2023/9/3)を今日は聞いたのでその話をしよう。

以前一度、絵が見える喋り方で良いと大絶賛した。また、伊集院光さん、神田伯山さんに影響を受けているのではないかと指摘した。
若手は日々進化していて偉い。以前は「例える」技法が多すぎて、聞いていて疲れる印象もあったが、とても進歩しており、例えの数も減っている感じがした。数は数えていないので、間違っているかもしれない。

K氏のラジオでもお話されているが、現在、講談に挑戦しているそうだ。漫才を良くするために、別の芸も学ぶ。これはとてもいい考えだと思う。漫才を見て、やることだけが漫才を良くする方法ではないと私も思う。
学生野球のピッチャーであれば、走り込み、投げ込みばかりをするのではなく、登山や水泳をすることで投手としての能力があがるというのはよく聞く話だ。野球で使う筋肉を野球だけで鍛えるのではなく、それを補助する筋肉も重点的に鍛えられる別競技の練習が、野球に良い影響を与える。いま、同じ話を二回した。

K氏は講談を通して表現力や演芸理解などをしているのだろう。私も講談をやろうかなと思ったのだが、そのままマネしても面白くない。
別の角度から漫才にアプローチする方法を考えた。
現在、私は漫才において、漫才の「展開」を重点的に研究している。これを自分の体から発想する方法はないかと考えた。それは絵本をたくさん読むことが効果的なのではないかと思った。
漫才は4,5分の物語だ。ただ面白いと思うことをポンポンと喋ればいいということではない。であれば、絵本も短い文章と大きな絵でもって物語を起承転結させる。絵本は笑いを目的にしていないにせよ、漫才のようなものだ。短い時間と文字量で、情報を受け取る能力が弱い子供を楽しませる。まさに理想的な漫才である。
私はこれから、絵本をたくさん読んでいこうと思う。

4日連続で漫才について思考した疲れがでたのか、めちゃくちゃ眠たくなり、21時過ぎには眠ってしまった。早すぎる。

今日面白いと思ったことは「漫才≒絵本という発見をした」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。