バカボン@東京

バカボン39歳/ 双極性障害

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  • これでいいのだ!バカボンの半生

    自らの半生を書く双極性障害を持った男性の話。連載物としてゆっくり書いていきます。

最近の記事

人はなぜLINEオプチャをするのか

今日ほどスマホの利用時間が長くなる時代を人は想像していただろうか。 家族、友人などリアルな人との会話よりLINEのオプチャ(オープンチャット)を利用する時間が僕は長い。 それは単に自分が躁鬱病という病気を持っていて、オプチャでそのコミュニティに入っているから。病気のことを隠さずに話ができるから。それだけなのだろうか。 大人になると色々な場所で、この話はしていい。この話はこの人達には言えないなどの様々な制約が出てくる。 僕の場合はそれが精神病であるから。秘匿にしておきた

    • 第二回「小学生になる」

      6歳になったバカボンは小学校に入学した。小学校低学年のことはあまり覚えていない。しかし公園で喧嘩をしたり活発な子供だったと記憶している。 習い事はピアノ、水泳、書道をしていた。母親と計算ドリルをするのが日課で学校の成績も良かった。 3歳年上の兄は何をするにしても凡人でこれと言って特徴はなかったが絵を描くのが上手だった。 小学校3年の終わりに両親が念願のマイホームを買うために東京都城南エリアに引っ越しをした。 そこからバカボンは中学受験をすることに決めたのだ。習い事は全

      • 第一回「バカボンの誕生」

        昭和も終わりに近づいた頃にバカボンは生を受けた。四人家族の次男として京都の病院で産まれた。里帰り出産を経て東京で生活をしていた。 バカボンは知能明晰でとても可愛い子供であった。両親の愛情を受けすくすくと育っていた。 バカボンには3つ年上の兄がいる。兄は次男の誕生から母親に甘えることができなくなり、バカボンのことをよく思っていなかった。 「お母さん、お母さん」バカボンは普通の子供でありお母さんが大好きであった。 幼児の頃の大きな出来事といえば階段から3回落ちたことだろう

        • 電気痙攣療法 mECTとは

          皆さんECTとはご存知だろうか。精神科の治療療法の一つで頭に電気を流して治療する療法だ。昔は麻酔などで眠らされることなく行われていたため恐怖心が凄かったが、今は麻酔で眠らされて、筋弛緩薬も使うので治療を受けている時の記憶はない。昔のものも動画があるので貼っておく。 僕が行った病院では入院中に週3回のペースでECTを行った。一番辛いのは絶食、絶飲だと思う。前日夜から水も飲ませてもらえなくなる。 当日朝起きたら朝飯は抜きで点滴が始まる。脱水症状を防ぐためだ。 時間になるとス

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        • これでいいのだ!バカボンの半生
          2本

        記事

          令和4年4月の石垣島を振り返って

          以前パイナップル農家になりたいというnoteを書いていましたが、結論から申し上げると精神病院に入院(カミングアウト)となりました。 なぜそうなったのかと申しますと持病で双極性障害を抱えているからです。この病気を知らない方は下記リンク参照。 現在アメリカでは精神病という括りでなく、気分障害というカテゴリーに変更となっています。双極性障害を持つ有名人のリンクも貼っておきます。 石垣島の生活は躁転を引き起こし、東京への帰路の前日に後輩を殴ってしまい以後絶縁となってしまったのです。

          令和4年4月の石垣島を振り返って

          令和4月11日「2日目」Monday 前編

          前日の夜はレモンの入れもんゲームでテキーラ5杯 大量の水と烏龍茶をチェイサーにし平静を保った。久しぶりのチャッピーさんの店はやはり楽しいが、東京での迷いや葛藤を引きずったままだった。 夜9時オープンと共にBAR🍷へ向かう。幸い他に客やスタッフもおらず近況報告をすることができた。個人的なカミングアウトも思い切ってしてみた。東京での生活で鬱気味になっていたのだ(ヒッキーでした)。 東京での生活はこんな感じ好きなお酒はジムビームストレートちびちび永遠とある中疑惑だぉwネトフリ

          令和4月11日「2日目」Monday 前編

          令和4年4月10日「1日目」Sunday

          僕は東京から石垣島に向かった。 東京では脱サラ後輸入販売をAmazonでやっていたが鳴かず飛ばず。 3年前に離婚を経験し最愛の娘と離れて別れて暮らすことになった! 離婚の頃から自暴自棄で退廃的な生活 僕がここに来たのは旅行だけでなく、移住もできるかと漠然とした想いを抱えていた。南の島でゆっくり暮らしたい。でも給料が安すぎるしなぁ… 産まれも育ちも東京の僕は都会の喧騒に疲れ切っていた。 前日の荷造りの最終確認をし、不慮の事態のためにクレジットカードを多く持つ。午前10

          令和4年4月10日「1日目」Sunday