旅するようなラーメンを!!(5)

 現在では学校でも週休2日が当たり前となっているが、小学生の頃は土曜も半日授業として学校に行っていた時代で、土曜日は4時間目が終わると昼前に集団下校をするために全校が村ごとに分かれて集合するのだが、その下校を待つ集合時間は、一週間が終わるという安堵とたった週1の遊び呆ける休日への期待とで少年少女たちのテンションはマックスとなり、ものを失くす子供や何やら揉め事で泣く者が出現しさながらカオスの様相であったが、それも束の間帰宅すると、吉本新喜劇と土曜特有の昼ごはんが待っていた。

 吉本新喜劇の芸人さんで1番好きだったのは花紀京さんと帯谷孝史さんだったが、新喜劇を観ながらインスタントラーメンを啜る事は当時の関西圏の子供というよりはおおよそ全ての人間にとっての日常だったのではないかと思うほどの当たり前の風景であった。
 自分はおばあちゃん子で、そのラーメンをおばあちゃんと一緒に作るのが本当に好きだった。母親の作るラーメンが嫌だったわけではなくて、うちのばあちゃんちょっと変わっていて、インスタントラーメンに付属する顆粒調味料を入れてから、さらに何かしらの調味料を入れてアレンジすることがあり、たまにその調味料を全て無視してインスタントラーメンの麺とソースで味付けした焼きそばなのかラーメンなのかよくわからないものを作って自分に食べさせたりした。自分もそれにまたアレンジを加えたりして作る即興のキッチンバトルがたまらなく好きで自然と祖母と台所にいる時間が楽しみとして習慣付いていった。

 週末に限らずおばあちゃんと作るものは次第にふえていき、お米を研ぐ、卵焼きを焼く、ジャガイモの皮を剥く…など簡単な調理も自然と増えていきやがて自分1人で何も言われずとも野菜を切ったり卵焼きを焼いたり、どんだけ卵焼き好きやねん…そうそう、ここで書くのもなんであるが、自分は母親の卵焼きが世界で1番美味いと今でも思っていて(うちの母親の卵焼きは、甘め、塩分もよその物よりは少し高く味がはっきりしている、更に焼く際の油も多く高カロリーなものになっている)、今でも思い出しては1人で焼いてニヤリとしている。ただ、料理人となった今でも当時食べていた母親の卵焼きには及ばず二番煎じもはなばなしいが、その理由は自分でも分かっている。それは、それを食する度にいつも思い出すコンロに立つ母親の後ろ姿。暑い夏に性能の悪い換気扇に吸われきらず卵の香りと油脂を纏いながら煙に包まれた台所の風景。それを待つ間見ていたKBS京都チャンネルでやっていたビートルズのアニメ。
その一口に宿るのは卵と砂糖と塩と油だけではない。食べる側のその日その時の感情や目に映る風景も調味料となっていて、それは再現しようとしても決して敵わず降伏するしかないのである。
思い出の味には料理人がどんなに頑張っても勝てないと思う瞬間だ。

斯くしてそのような要素が日常の中で蓄積され自分は食の世界へと誘われていったのである、とは大袈裟か。

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