見出し画像

【エッセイ】年賀状

今年はわずかしか届かなかった。

年賀状の話だ。もちろん実家や親戚、それに仕事の取引先からはそれなりの枚数が届いた。ただ、そうやって血とか銭とかでつながっていない、純然たる知り合いからの年賀状は年々着実に減っていき、今年はついに片手で数えても余る指のほうが多いくらいの枚数しか届かなくなった、ということだ。

寂しいかと訊かれると寂しいけど、そうしてわずかに届いた知人たちからの年賀状を見ていて覚えるのは、むしろ罪悪感である。

いつからだろう、年賀状を書かなくなったのは。子どものころはそれこそ、相手の顔を思い浮かべながら、消しゴムでハンコを作ったりプリントごっこを使ったり一枚一枚趣向を凝らして、友だちみんなに送っていた気がする。それが気がつくと「楽しい」よりも「億劫」の気持ちが先に立ち、並行して筆が遠のいていった。今年はデジタルな年賀状すら、エスエヌエスにアップしなかった。

そして気づく。じぶんの中ではもう、年賀状という風習が死んでしまっていることに。

いや、見殺しにしたというべきか。助けようと思えば助けられたのに、あえて傍観を決め込んでいた。そういった類の罪悪感が湧き上がってくる。

そんな罪人の私であるのに、今もこうして相手の顔を思い浮かべながら、はがきに印字されているものではなくじぶんの言葉を使って、年賀状を送ってきてくれる人たちがいる。そのことを思うと、べつの罪悪感も込み上げてくる。

長年の友人が掛けてきた声を無視しているかのような。

来年からはまたちょっとずつ、年賀状を介した会話を再開してみようか。

少なくとも今この瞬間だけは、そんなことを思っている。

++++
“コトバと戯れる読みものウェブ”BadCats Weekly、本日のピックアップ記事はこちら!

寄稿ライターさんの他メディアでのお仕事。

そして編集長の翻訳ジョブも。開発8年、ピクセルアートが美しい大冒険。


これもう猫めっちゃ喜びます!