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【エッセイ】心の分岐点

待っても来ないなら歩け、階段で。

以前にも言ったが極度の出不精で、生活品の大半を宅配に頼っている我が家では必定、インターフォンの画面越しに宅配の方とやりとりすることが多いのだが、こないだふと気づいた。

小包であれウーバーであれ出前館であれ、初めてうちのマンションを訪れる宅配の方はほぼ間違いなく、一階の廊下を左に向かうのである。

ちなみに左へ行っても行き止まりで何もない。デッドエンド。そこで物語は終わる。マンションのエレベーターはくだんの廊下を右に折れ、道なりに進んだ先に待ち受けている。

しばらくそのことを意識的に観察してみると、やはりみんな左へ行く。魅入られたように道を間違える。なぜなのか。

気になって調べてみた。

どうやら左右に分岐する道の選択を迫られた時、七割の人は左のルートを選ぶそうだ。「左回りの法則」というらしく、右利きの多い人間にとっては左回りのほうが何かと都合がよいため、そういうことが起きるらしい。コンビニや遊園地なども、左回りに巡ることを想定して導線が作られているという。

なーる、と膝を打った。

そう、あの東名高速下り線。あそこの大井松田インターと御殿場インターの間には、なぜかルートが左右に分かれる分岐点があるのだが、私は毎回左のルートを選んでいる。一度左のルートが工事中で渋々右ルートを通ったことがあるが、走っていて名状しがたい不安を覚えた。心が軋んだ。が今ならわかる。あれはきっと「左回りの法則」に逆らって、体が求めていない右ルートへ行ったからだろう。

そこではたと考えた。

私は自らの意志で左ルートを選択していたとばかり思っていたが、実際にはただ、体の本能的な要求に応じて左のルートを「選択させられて」いたのだ。心が選択を支配していた。おれの選択はおれの選択ではなかったのだ。

そして人生は分岐点の連続だ。自分では常に正しい選択をしてきたつもりでいるが、そこでもまた、脳が体が本能が心地よいと感じるルートをただ、選ばされていただけだとしたら。

時には間違ったルートを。

いや、きっとそうだ。そうでなければ冷静に考えて、我が家に猫がこんなにいる理由がわからない。なぜ、ソファカバーがペットシーツなのか。解せない。本当なら今頃グリーンランドで詩を吟じていたはずなのに。おかしい。

だが、今の人生が自らの選択ではなく、知らぬ間に脳と心と本能によって選ばされた道の帰結だとするなら、色々と合点がいく。

だからそう。うちのエントランスの廊下は右へ行くんだ。本能に抗ってでも。

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