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【エッセイ】ゲームのキャラにも人生はあって 〜『コーヒートーク』“わんばんこ”の舞台裏〜

そのとき私は、フレイヤというキャラクターの人生に思いを巡らせていた。

彼女は地元紙にコラムや掌編を寄せながら、憧れの作家デビューへ向けて頑張っている、『コーヒートーク』というゲームの中の緑髪のジャーナリストだ。古典的なSF映画やポストパンク期の名曲を引用したり、自分のSNSアカウントで小説家の“ハルカミ・マルキ”を神と呼んでいたりするので、きっと文化的な造詣も深い。ちょっとオタク気質で、音楽も今風のものより、一昔前のものを好みそう。キュアーとかカーディガンズとか少年ナイフとか。マライア・キャリーは聴かない。作家志望だけあって博識だけれど、学を衒うような野暮はしない。ハルカミ好きなら、日本のカルチャーにも詳しいのかも……

といったようなことを、私はたった二語から成る英語の一文を翻訳するために考えていた。

「Good evening!」の一文を。

そんなフレイヤの発する「こんばんは!」はどんなふうだろう──脳内の翻訳メモリが、通勤ラッシュ時の小田急線くらいの速さで検索される。

こんばんは……こんばんにゃ……こんばんわ……わ……わ……わんばんこ?

すぐさま、別人格のおれが突っ込みを入れた──んなのとっくに死語じゃんけ。ふる。センスないね。この仕事やめたら?

ちなみに「わんばんこ」とは“翻訳者の怪しい友人”ことウィキペディア君いわく、笑福亭鶴光がオールナイトニッポンというラジオ番組のなかで流行らせたギャグである。なにしろ1970年代のことだから、おっさんの私もリアルタイムで耳にした覚えはない。瞬時に老害認定されて後ろ指をさされそうで、現実にはうかつに口にできないハイリスクでローリターンな言葉だ。

つか、私も最初は無心で「こんばんは!」と訳した。通常ならそれで何の問題もないし、枕を高くしてすやすや眠れるだろう。

ただ、この「Good evening!」には、翻訳という作業の限界に起因する問題が絡んでいた。

まず、この一文には吹き出し内で文字を大きく表示させるためのタグがついていた。これは小説のテーマを思いついたフレイヤが、興奮しながら行きつけのカフェに飛び込んできた際に発するセリフで、結果的にカウンター内で作業している店長さんをびっくりさせるという、一種のコント風な趣を持っている。

けど『コーヒートーク』にボイスは実装されていない。キャラの声は聴けない。そこで、上述のような装飾タグを使ってテキストに表情をつけ、キャラクターの当惑や興奮といった感情を表現しているわけだ。例えば引っ込み思案なキャラクターは逆に、目を細めないと読めないくらい小さなフォントでしゃべったりする。

何はともあれ、私はこの「Good evening!」を素直に「こんばんは!」と訳し、ひととおりの翻訳を終えた。そして日本語のテキストをゲームに組み込み、実際にプレイしながら仕上がり具合をチェックする、LQAと呼ばれる作業のなかで、くだんの「こんばんは!」の箇所に差しかかった。

何かが違った。日本語だと、フレイヤの“喜び勇んで声がデカくなってる感”があまり伝わってこない。インパクトに欠ける。

理由はいくつか考えられる。ひとつは日本語の文字は英語のアルファベットに比べて、同じフォント数でも密度が濃いうえ、単語間のスペースもないため、ぎっしりと詰まって見えるから。デフォで大ぶりに映るのだ。そのため英語の時ほど、フォントを大きくした際のインパクトが得られないのかもしれない。

文字デザインの根本的な違いから生じる、こうした翻訳上の問題は、イタリック体の場合にも起きる。英語ではテキストの強調によくイタリック体(一種の斜体)が用いられるが、日本語をそのまま斜体にした場合、テキストが高密度なせいで、時に隣り合う文字が重なってしまい視認性が損なわれる。似たような目的で用いられるキャピタライズ(大文字化)も、そもそも大文字と小文字という概念のない日本語では通用しないアプローチだ。

それでも翻訳者としては、どうにかこの「Good morning!」に含まれる“デカい声”のニュアンスを伝えないといけない。

これが単なる強調であれば、鉤括弧や二重引用符(ダブルクォーテーションマーク)で括っておけばおおむね事足りるのだが、ここでは実際に「声が大きい」ことを感じさせないといけない。また、二重引用符には意味に含みを持たせる効果もあるので、時に余計なニュアンスが加わってしまう(例えば「こんばんは!」と「“こんばんは”!」では、後者のほうがより意味深だ)。ボールド体はアルファベットなら効果的でも、画数の多い日本語では時に文字がつぶれてしまう。より大きなフォントを使うのは、具体的な理由は失念したけど、ここでは選択できなかった。

なら、どうやって“大声感”を出せばよいのか。

少し見方を変えてみる。ここでの声の大きさは、カフェの常連であるフレイヤの気兼ねのなさ、いわば“許される厚かましさ”の現れでもある。だったらフレイヤのそういった属性をテキストに直接加味することで、異なる言語間での置き換えによって失われる“声量”を補えるのではないか。

つまり、“声のでかさ”の足りないぶんを、テキストから漂う“態度のでかさ”でカバーしようというわけだ。

ここではもちろん、「これってもう仕様だし、どうにもならなくね?」と諦めるという判断もあった。色々と制約の多いゲームの翻訳では、そういうケースは少なくない。

ただ、私にはこのごくごく短いシーンが、フレイヤというキャラクターの人間性と、カフェの店長たるバリスタとの関係性を端的に表しているように思えた。このいかにも長年の常連客らしい、親愛の裏返しとしての厚かましさを含んだ「Good evening!」に、ふたりの間の何かが集約されている気がした。

ただの「こんばんは!」では“足りない”と思った。

こうして本稿の冒頭部へと至る。

フレイヤがここで言いそうなことを考えるには、彼女の人生について考えないといけない。言葉遣いには、その人の人生が色濃く映し出されるものだからだ。ゲーム画面の外側で、フレイヤはどんな人生を歩んできたのだろう。どんな環境で育ち、なぜ作家を志そうと決めたのだろう。

そんなフレイヤが、ようやく最高のアイデアを思いつき、テンション爆上げの状態で、懇意にしているカフェの店長に伝えるとしたら、どうやって話を切り出すだろう──

そんな時なら悪くないのでは。
フレイヤなら知っているのでは。
わんばんこは。

まずもってフレイヤの浮かれっぷりが伝わってくるし、そこへ本来のフォント拡大効果も手伝って、英語で「Good morning!」を読んだときと同じくらいのインパクトが得られているように思えた。

最終的に「わんばんこーっ!」として新しいビルドで確認したとき、そこには確かに、自分の思っていたフレイヤがいた。

とはいえ、それってお前の一方的な主観じゃんけ。ちょっと妄想に走りすぎじゃね?と言われたら、ぐうの音も出ない。

ただ、翻訳とは詰まるところ、無限に近い表現の選択肢のなかから、一人の翻訳者が、その主観に従って、なるべく客観的にベストと思われるチョイスを続けるという、矛盾に満ちたゲームなのである。どこまでいっても完璧はなく、最善だけがあり、その選択は常に第三者からの答え合わせに晒される。

だからそう、私が言いたいのは、私はいつでも原文に詰まっているニュアンスを漏れなく日本語で伝えたいと思っていて、そこを究極のゴールに置いているということだ。だからこそ、冒頭のように、たった二単語の原文に対しても、キャラクターの人生について何時間も考えたいし、意味のないことでも妄想したい。

ちなみにこの「わんばんこ」のような翻訳的判断は、地域性を考慮して成される「ローカライズ」ではなく、文化性を考慮して成される「カルチャライズ」のアプローチに近いと思う。

「ローカライズ」や「カルチャライズ」は翻訳上の限界を補填するために用いられる、とても便利なツールではあるけど、見方によっては原文から離れる口実にもなるため、取り扱いには細心の注意を払わないといけない。

翻訳者はその気になれば、自分の偏った主観に従って、自由自在にキャラクターの印象を操作できてしまうからだ。

そうなれば、それはただの創作である。だからこそ、翻訳者はそれだけの力を持っていることを自覚しながら、まずは原文と徹底的に向き合わないといけない。ローカライズやカルチャライズ、なんなら恣意的に使われやすい“意訳”という武器は、あくまでも最後の手段であると思うし、少なくともそれが私の翻訳への取り組み方である。

その一方で、たとえ原文から離れまくって、創作めいた意訳に満ちていたとしても、翻訳がゲームにハマっていて、かつプレイヤーのウケがよければ「良ローカライズ」と称えられるのもまた、ゲーム翻訳というジャンルの興味深い懐の広さではあるのだが。

何が正解なのか、何年やってもわからない。

「わんばんこ」に関して言えば、プレイヤーからの反応が好評だったのは確かだ。プレイ動画のタイトルに使われていたり、「いつの時代よ!」とツッコミを入れるツイートを見かけたりと、少なくともインパクトを与えるという意味では成功したように思える。

だからまあ、“あり”だったのではないか。

多様性がテーマの物語を訳すうえでの苦悩も色々とあった本作だけれど、それでも「わんばんこ」の場合と同じく、すべてにおいてああだこうだと考えに考え抜いて、現在のテキストの形に至っていることだけは確かだ。そんなゲームが今でも大勢のプレイヤーに愛され続けているのは、自分の人生における奇跡のようにも思える。

そんな『コーヒートーク』の続編が今、2023年度のリリースへ向けて鋭意作業中です。今回も素晴らしい作品になっているので、どうぞ楽しみにお待ちくださいませっ。

(本稿は、英日ゲーム翻訳者のReimondさん主催による「ゲームとことば2022」という企画向けに執筆したものです。)

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