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ポルトガルの国民的食材、干しだら(バカリャウ)の、ちょっとマニアックな話。

トップの写真はポルトガルの定番料理である干しだらのコロッケ〈pasteis de bacalhau〉。レシピはこちらの書籍に掲載しています。

さて、ここでは干しだらの話をもう少し。

干しだらは、ポルトガルではバカリャウ、スペインではバカラオ、イタリアではバッカラ、フランスではモリュ・セッシェと呼ばれ、ヨーロッパをはじめ世界各地で食べられている食材。とくにポルトガルでは国民的食材で、365日毎日食べてもレシピが尽きないという決り文句があるぐらい。コロッケやかき揚げ、炒め物にサラダにスープ、グラタンやグリルに米料理と、なんにでも使われています。

バカリャウ切り身

これが干しだら。表面の白い粒は塩です。ひと晩から、長いものは数日水に漬けて塩を抜き、身を柔らかく戻してから使います。この戻し加減が難しく、塩気が残りすぎると料理がしょっぱくなるし、油断すると塩が抜け過ぎて、恐ろしく味のしない単なるぱさぱさの繊維になってしまう。ポルトガルで料理を教えてくれた、コインブラに住むマリアいわく「家でも店でも、バカリャウを上手に戻すことができてはじめて一人前の料理人」。

そもそも現在流通しているヨーロッパの干しだらは、北大西洋のノルウェー沖などでとれたタイセイヨウダラ(Atlantic cod)を船上でさばき、塩漬けにして自国へ運び、陸上で乾燥させたもの。まだ冷蔵技術がなかった時代、釣ったたらを腐らせないための保存方法が今に生きています。日本や韓国などアジアにも干しだらはありますが、漁場が違うのでたらの魚種も違い、仕上がりも違います。

ポルトガルで見た干しだらは大きく厚く、中には1メートルを超える巨大なものもあります。たとえばこんな感じ。

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これは以前、ポルトガルの大西洋岸にあるイリャボという漁師町を訪ねたときの写真。友人の家族が経営する干しだら会社の倉庫で、社長のアントニオ・リバウさんに立派な一枚を抱えてもらいました。アントニオさんは身長180cmを超える長身で、つまり持っているバカリャウの大きさも相当なサイズ。ちなみに彼の着ている黒い服は、ポルトガルの干しだら文化を守るバカリャウ騎士団員の正装です。ヨーロッパ各地でワインやチーズの騎士団は聞くけれど、バカリャウにも騎士団があるとは、いかにもポルトガルらしい。

干しだらは、いつ生まれた?

干しだら誕生の厳密な記録はないものの、起源は北欧にあると言われています。そもそもは塩もせず、天日で何ヶ月も干しただけのストックフィッシュでした。アメリカのベストセラー作家マーク・カーランスキーの著書『鱈 世界を変えた魚の歴史』によると、初期の干しだらは10世紀以前にノルウェイの北西部で作られはじめ、1001年には、アメリカを発見したレイフ・エリックソンというアイスランド生まれのヴァイキングが、航海の食料にストックフィッシュを持って行ったという記録もある。この干しだらは恐ろしく硬く、ハンマーで何度も叩き、さらに長時間水に漬けてからでないと食べられないほどで、その様子が書物などにも記されています。たとえば17世紀はじめのシェイクスピアの戯曲『テンペスト』には、「お前を干しだらにしてやるからな!」というセリフがあり、つまりはお前をボコボコにしてやる!というニュアンス。干しだらの硬さはポルトガルのバカリャウも同じで、もしもバカリャウ売り場でバカリャウ片手に喧嘩になったら、流血騒ぎになりそうなぐらい。実際に、売り場や工場で干しだらを切るときは、専用の電動カッターを使います。

初期の素干しのストックフィッシュは命をつなぐ貴重な食材という側面で大切にされていましたが、やがて塩漬けにしてから干すという方法が生まれると、干しだらの人気は食材として高まります。この塩蔵からの天日干しという工程は、クジラを追って長距離航海を得意としていた中世のバスク人が、クジラの塩漬けをタラに応用して確立されたと言われています。現在でも干しだらはバスク料理に欠かせない食材で、名物のたらのピルピルや干しだら入りオムレツなど、メニューは豊富です。

また、たらはほかにも加工のバリエーションがあります。たとえばフランスでは、ビスケイ湾沿岸の塩田で作られる豊富な塩で、たらを塩蔵したまま干さずに料理し、今もフランスではモリュといえば、塩たらを指します。がちがちのストックフィッシュよりも生に近い食感だった塩たらは人気が出て、1375年、フランス国王シャルル5世の料理人だったタイユヴァンことギヨーム・ティレルは、――塩だらはマスタード・ソース、または、熱く溶かしたバターをかけて食べるーーと『ル・ヴィアンディエ』に書き残しています。日本でも甘塩のたらがあるように、塩をきかせたたらには生のみずみずしさがあり、淡白な味わいだから、お得意のソースとの相性も良かったのかもしれません。

ブランダードは最初は干しだらクリームだった

とはいえ、フランスでいちばん有名なたら料理といえば、やはりブランダードでしょう。当初ブランダードは「叩かれたもの」という意味のブランラードと呼ばれていました。やがて干しだらの価格が上がると安いじゃがいもを加えるようになり、私達が知っている今のブランダードのレシピになりました。じゃがいもがヨーロッパに定着したのは新大陸発見後かなり時間が経った18世紀以降ですから、それまでは干しだらだけで作られていたのでしょう。南仏プロヴァンスで有名だったシェフのJ-B・ルヴールの1910年の『プロヴァンス料理』によると、――水で戻した塩だらを茹でて骨を取り除き、温めた牛乳とオリーブオイルを交互に加えながら木の匙でたらを潰し、たらがクリーム状になったら出来上がりーーとあります。魚のうま味が全面に出たフィッシュクリームは、どんな味だったんだろう。

干しだらと宗教

ヨーロッパでは中世から各地で食べられていた干しだらですが、冷蔵技術のない16〜17世紀の大航海時代には、干しだらは船上の旅人にとって最重要食材でした。赤道を超えても腐らない貴重なタンパク源としてこれ以上重宝な食材はないし、干しだらがなければ、大航海時代の新世界発見や進出があんなにも進まなかったのでは、と言われるほどです。

さらに干しだらがヨーロッパに根付いた理由がもう一つ、それは宗教。カトリック信者が多いポルトガルやスペイン、イタリアやフランスなどでは、昔から宗教上肉を避け、代わりに魚を食べる期間や曜日(復活祭前の四旬節や、キリストが十字架にかけられたとされる金曜日など)があり、そういうフィッシュ・デイはもっぱら干しだらの出番。流通や保存技術が未発達だった時代、長期間保存のきく干しだらなら、内陸の人たちでも安心して食べることができました。今でもポルトガルでは、カトリックで最も大切な復活祭の前日やクリスマス・イブなどには干しだらを食べる習慣がしっかりと残っていて、干しだらのグラタンやローストなどが、大皿でどんとテーブルに並びます。私が以前、ポルトガルの友人家庭で復活祭前日にいただいた食事も、干しだらのマヨネーズグラタン、バカリャウ・ア・ゼ・ド・ピポ。大きなキャセロールに敷き詰められたマッシュポテトの広大な海の中に、牛乳で煮た白くてふっっくら柔らかいバカリャウの大きな切り身が沈み、上には玉ねぎのソースとマヨネーズがのっていました。今でも、そのボリュームと味のインパクトは忘れられません。

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干した魚の魅力

それにしても面白いのは、何百年も経て、冷蔵庫が各家庭に備わる現代になってもなお、干しだらがポルトガルで人気の食材だということ。なぜだろう。その理由は、ポルトガルでバカリャウ工場を経営する友人のアントニー・リバウ曰く「バカリャウには、干し魚特有のうま味や風味があるからね。あの味はポルトガル人にとって、ふとしたときに口にしたくなる故郷の味なんだ」。なるほど、干した魚の魅力は、普段から干物を食べる私達日本人にもよく分かります。

干した魚のおいしさを日常的に知る私たち日本人と、干しだらの風味や味わいを誇りにすら思っているポルトガル人。どうやら好きなものの傾向が似ています。こんな点からも、ポルトガル料理と和食って、なんだか近いなと思うのです。

最後に、干しだらを買ってみようかなと思った方に、オンラインで手に入る輸入干しだらを4種ご紹介します。

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右上から時計回りに

・ポルトガル産バカリャウの炭火焼き、オリーブオイル漬け缶詰(ポルト・ド・ポルト)


・ポルトガル産バカリャウとにんにくのオリーブオイル漬け缶詰(メルカード・ポルトガル)


どちらもすでに水で戻してから調理されているので、開けたらすぐ使えて便利。味や風味がのったオイルごと料理に使うのがおすすめ。

・ポルトガル産バカリャウほぐし身(ディバース商店)


・ノルウェー産バカリャウ切り身(アクア・アズーリ)

ほぐし身は、その都度使う量が決められるので便利。ノルウェー産の切り身はしっとりした食感で味も風味も上質。この2つは、実際に日本のポルトガル料理店やスペイン料理店などで使われています。

干しだらに興味が湧いた方、作ってみたいなと思った方は、こちらでレシピをチェックしてみて下さい。干しだらがなければ、甘塩のたらでもトライできます。


こちらは、ポルトガルの食を巡って歩いた旅のエッセイ。干しだらの故郷、イリャボの街も訪ねています。

参考文献/『鱈 世界を変えた魚の歴史』マーク・カーランスキー 『世界食物百科』マグロンヌ・トゥーサン­・サマ 『魚で始まる世界史』越智敏之




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