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受験×浪人×補習科



あたり一面、どこを見ても桜、桜、桜。


桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちる中、キャッキャっと戯れる中学生がやけにキラキラして見える。


クラス替えがどうなるだの、担任の先生は誰になるとか、彼らの未来は一点の曇りもなく、希望に満ちている。


そんな中学生を横目に見つつ、線路沿いのポプラを通り過ぎると、満開のソメイヨシノが現れた。

「春だなぁ。」

なんて、思いながら見つめる木々の梢の中に、ひっそり佇むひとつの蕾を見つけた。

じっと開花を待つその蕾は何を思うのだろう。

未来への希望、はたまた焦り、諦め、絶望、それとも無なのか。

そんなことを考えながら、学ランの"コスプレ"を見に纏い自転車のペダルを強く踏み込んだ。


僕はこの春、高校"4年生"になった。


高校"4年生"というのに違和感を感じる人もいるかもしれないのが、本当に高校"4年生"なのだ。


まぁ、正しくは高校"4年生"(仮)なのかもしれない。

わかりやすく言えば、浪人したのだ。

ここで高校"4年生"と表記したのには、訳があり、島根県特有の『補習科』という文化に他ならない。

一般的に浪人する場合は、予備校に通うのが普通であるが、島根県やごく一部の田舎の地域では、一部の進学校に浪人生が属する『補習科』という科がある。


大体が、その学校で受験に失敗した生徒、または、受験で受かっているが、更に上の大学を目指す生徒が入るのだが、補習科は、市内の他の高校の生徒が入る事も出来る。


なぜなら、市内の高校に一つしか、補習科が無いからである。

僕のいた大社高校は補習科が無かったので、市内唯一の補習科がある出雲高校の補習科に入ることにした。


※詳しい入学条件などは、前にnoteに書いた記事参照

https://note.com/bachofu01/n/nfd3f67e6a53a



予備校と補習科の違いは大きく2つある。


一つ目は"学費"である。


一般的な、予備校は年間100万円以上の学費がかかるが、補習科は年間35万円程である。基本が高校と同じ学費だから、この金額で済むらしい。

二つ目は"規律"である。


予備校は自分の受けたい授業のコマをとり、行きたくない時は行かなくても良いし、私服でも良いが、

補習科は、朝礼から始まり、高校と全く同じように7コマ授業をうけて、掃除もする。基本休んでは行けないし、なんなら、現役生の時より遅刻などにうるさい。

そして、何より『制服』を着て通うのだ。

日々の生活を律されて、現役生に混じりながら学ランを着て過ごす。


これがとても恥ずかしいのだ。


だから、"浪人生"ではなく高校"4年生"であるのだ。


こうして、僕は補習科に入学した。




高校の入り口の坂道を登ると正門には向かわず、右折して校舎の奥へと進んでいく、学校の敷地の恐らく1番端っこのプレハブのような建物に補習科はあった。


木造の古い古い建物である。そこの2階へ行くと教室がある。


クラスは2クラスしかなく、理系と文系に分かれているだけだ。


理系の僕は2階の突き当たりの教室をゆっくり開ける。


ドアを開けると皆の視線が一斉にこっちを向く。


見た事ない外来種を見るような空気感が一瞬漂う。それはそうだ。僕はこの高校の人間ではないからだ。


その空気もすぐに消えて皆机に向かって勉強を始める。


僕は一度呼吸を整え窓際の一番後ろの席に座った。


しばらくすると、担任の先生が入ってきて、話し始めた。


『受験勉強が出来るという事を当たり前に思わないように。今回の東北の震災で東北の方では勉強も出来ない状況です。それを考えて今の環境に感謝して浪人してください。』


身が一層引き締まる。



勝負の一年の始まりだ。



補習科に入って1番驚いたのは、"勉強に対する意識の差"だ。


この高校は、中四国の高校で「国公立合格率No.1」になるくらいの高校で、県内で1,2を争う進学校だ。

勉強に対する探究心、そしてレベルの高さにまず圧倒された。

それもそのはず、僕は高校3年生まで野球しかしてなくて、3年生の夏のセンター模試は280点、現役の時のセンター試験も530点とまず基礎がないのだ。

そんなこんなで面をくらいまくってた僕だが、まわりの補習科生と徐々に打ち解けていくに連れて、みんながわからないところを暗記という方法ではなく、根本の深いところから教えてくれた。


この仲間達のおかげで勉強が楽しくなっていった。


もう一つ救いだったのが、補習科に同じ高校の同級生が沢山いた事だ。

元々、僕のいた大社高校はそんなに浪人する学校で無かったが、その年は何故か浪人生が多く、そして仲が良かった同級生が補習科で浪人したため、知り合いが沢山いたのも精神的に助かった。


授業が終わってから、『ここわからなかったよねぇ』なんて会話できたから心に余裕が持てた。


それに加えて、中学生の時の同級生が出雲高校に沢山いた事、野球部で知り合ったメンバーが補習科にいた事で、かなり早い段階で居心地良く過ごせたのも大きかった。


だから、人間的な心の健康が保てるという点では補習科は最高の場所だったと思う。


それから、毎日朝から夜まで家の浪人部屋と呼ばれる離れに隔離されながら過ごし、寝るのも離れで、何も娯楽のない離れで勉強して、テレビを見ない生活を始めた。


厳密に言えば、週に1回深夜離れにあるブラウン管テレビで見てた渋谷deepAを除いてね。笑


そして、変な?仲間もできた。


当時僕は48グループ、特にSKE48が大好きだったのだが、補習科のメンバーで48グループが好きな人が多く、それで意気投合した!


めちゃくちゃ仲良くなった青木っちに関しては、僕の事を第一印象めちゃくちゃ最悪だったらしいけど、推しが同じSKE48の松井玲奈ちゃんという事で、仲良くなった。


こんな感じで良い息抜きもしつつ補習科生活を過ごす事が出来たのだ。


そんな順調に見えた浪人生活だったが、夏休みを迎えた頃突如リズムが崩れる。


まず、思ったよりも模試の点数が伸びなかった。


勉強はしているのに、そんなに伸びないのだ。

段々と焦ってくる。


次に、同級生の帰省だ。


これが多分1番キツかった。補習科の僕たちが学ランを着て、夏の補講をしているのを横目に、大学に合格した同級生が派手な大学デビューをかまして夏地元に帰ってきていた。


特に僕の高校はそんなに浪人が当たり前で無かったため、白い目で見られて、余計惨めな気持ちになった。


誰々が、帰ってきてるらしいよ!なんて話を休憩中に皆で話しながら、『おれらは頑張って、妥協せずに志望校行こうぜ!!!』なんて現役の時に頑張っていないツケが回ってきただけなのに、良い風な言葉に変えて、言い訳して、なんとか必死に保ってる心が折れないように歯を食いしばって勉強した。


受験は夏が山場なんて言うが、こういうことなのか!?なんて思いながら


とにかく無心に勉強した。


こうして、苦しい夏を乗り切った。


夏を乗り切れたのは、浪人仲間と、SKE48だったに違いない。


うん!


絶対にパレオはエメラルドのおかげだ。


あと、家の浪人部屋にあった。14枚のポスターのおかげだ。


あと、ぷっちょのについてる!!!限定フィギ…





秋、だいぶ勉強の成果が出てきた。


やはり、勉強というものは、一朝一夕では結果が出ないものである。


しかし、やれば結果が出る。


野球で言う守備だ。


先生が常々、


『数学と英語は、相加平均でなく、相乗平均です。1日でも休んだらゼロになります。』


言っていたが、確かにそうだと思った。きつい日でも毎日どこかしらに数学と英語の勉強を入れたのが実ってきた。


数学に関しては大好きなまでになっていた。


英語も毎日1時間近く某リスニング教材を聴いたりした。
パドューンを連呼していた現役の時の自分を殴りたい。


ただ、化学だけは好きになれなかったのだ。

浪人してわかったのは、勉強において、何が1番結果に結びつくかって、"その教科を好きになれるか"どうかだと思う。

好きだとやるし、モチベーションが違う!知りたい!もっと知りたいってなる!!!


しかし化学は最後まで苦手なまま終わった。これは勿体なかった。


今でも有機物を見ると目が回っちゃう。


化学式みたら、走って逃げちゃいたい。


僕が行こうとしていた学科は大体2次試験が、英語、数学、理科、理科だったのでこれが後にとんでもない事を引き起こすのだが…。



そんな繰り返しのような毎日を過ごし、冬を迎えた。

12月になるとセンター試験の対策が行われるようになった。

一年浪人して思ったが、センター試験と2次試験は、全く違う。

もはや、競技が違う。

センター試験は競技用テストだ。
いかにスピード良く解くのが大事で、これこそ試験のための勉強である。


そんなセンター試験対策に少し手こずった。

センター試験にはセンター試験の解き方があるらしい。


元々そんなにスピードタイプでは無かったので、あまり点数も伸びない。焦る。

解く。

伸びない。

焦る。

解く。

解けない。

焦る。

パニック。


結局最後まであまり点数が伸びなかった。


2次試験の対策は出来てても、センター試験つまづく人もいるくらいだから、改めて受験の難しさを痛感した。


まぁ、そんなこんなで、一抹の不安を抱えながら、一月を迎えた。


センター試験当日。


勿論、学ランを着て試験会場に行くと、同じ高校の後輩の生徒達がいる。


まーじで気まずい。しかし、これは、補習科の逃げられない定めだ。


うろたえるではない。

むしろこのおかげで変な緊張から抜けられた。


そして、結果は、



今までで1番の点数が出た!!!


まさにラッキーパンチが出たのだ!!! 


これがあるのだ!


受験には!


良かった!


でも、1年間聴き続けた、リスニングは、なんと50点中10点だった!


いや、低!!!!!!!!


現役の時より低いってどういうこと!?!?!?


スピー○ラー○○○さんよ!!!


毎日1時間も聞いてたんだぜ!!!


まぁ、いいけど!!!!!!


そして、2次試験では、まさかの化学を全捨てするという破天荒なやり方、もうほぼギャンブルに近い形で得意な教科だけ突出法で、なんとか広島大学に合格した。


合格した後の結果開示を見た限り本当に危なかった!!!


またもや、ラッキーボーイ!!!


でも、まぁ、おそらく1年間補習科で勉強してきた火事場の馬鹿力が出たのである。


これも実力だ!!!


………


信じよう。



人生たぶん、運も大事だよね、本番に強いの大事だよね。って。


こうして僕の補習科、浪人生活はなんとか幕を閉じたのであった。


浪人後、高校の同級生や、保護者の皆さん、先生、先輩に結果をメールで報告すると、めちゃくちゃ合格をお祝いしてくれたのが本当に嬉しかった。

嬉しすぎて、ガラケーのメールのメッセージまだ取ってるもん。

あと、合格おめでと旅行に連れてってくれたりして!!!


1年間我慢してたから、余計に皆んなの優しさに触れた。


合格した後、携帯ショップに行って、携帯をガラケーからスマートフォンに変えた。

そのまま、補習科のメンバーの金玉IKKOと三浦とオムケン、知、たら(もいたっけな?)でカラオケに行った。

一年間のうっぷんを晴らしたし、変なグループラインも作った。

この一年は絶対に忘れないなぁ。

忘れないよなぁ。

皆違う大学に行くけど、いつまでも補習科魂で!!!





あれから10年、今でも当時のメンバーに会ったりするけど、今だに当時の話で盛り上がる!!!


たぶん、そうなったのも、補習科特有の雰囲気がそうさせてくれたのだと思うし、1年間勉強しないといけない環境を作ってくれていた補習科だったからやり通せたんだと思う。


でも、結局盛り上がるのと、覚えてるのはSKEの話だけどね!笑

戻りたいけど、戻りたくない、もう一回は過ごしたくない濃い一年だった。


そして、センター試験は今年、名を変え、『全国共通テスト』になった。


あの時と少し違うけど、今年も受験勉強するのが大変な世の中だったに違いない。


今日全国共通テストの2日目が終わった。


良い感じだった人もいれば、大失敗した人もいると思う。


でも、大丈夫。


バチョフも何なら現役の時に大失敗して、浪人したし、


浪人して馬鹿みたいになきつい日々を過ごしたけど、


10年経って今は元気に




チョフチョフ!!!ミーーーー!!!




って言ってるもん!!!


てか、なんなら、10年経って、あん時覚えた公式だって、全く使ってないし、サイン、コサインなんて、あれ以来出会ってないし、全然覚えてない。


結局『チョフチョフミーーーー』しか今やってないから、


受験生のみんな!今どんなに絶望でも大丈夫!


僕がチョフチョフミーーーー!を見つけたように、

あなたには、あなたのチョフチョフミーーーー!があるはずだから、


うん!


大丈夫!


大丈夫じゃない人も、手のひらにチョフチョフミーって3回書いて飲み込んでみて、


『大丈夫!チョフチョフミー!チョフチョフミー!』


って自分に言い聞かしてみて!!!



今年も、受験生みんなの幸運を祈って、今夜、夜空に向かって、願うよ。



チョフチョフミー。




さぁて、人生はこれからだ。




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※最後に僕を受け入れてくれた出雲高校補習科、ならびに最高の先生方ありがとうございました。皆さんのおかげで僕は今、チョフチョフ!ミーーーー!が出来ています。この場を借りて感謝致します。


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