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現地コーディネーター:第6話

 白く透き通った絹のカーテンの隙間から眩しい朝日が無遠慮に降
り注ぎ、エドウィンは目を恐る恐る開けた。時差ぼけなのか見知らぬ
土地にいる興奮なのか、何度も不思議な夢をみて途中で目を覚ました。何の夢だったかは覚えていないが不快なものではなかったはずだ。

 リビングのソファベッドから身を起こすと、姿見の前でシャーロットが着替えている様子が目を捉える。上下薄ピンクの下着を纏った小さな純白の胴体ーふくよかな胸と少したるんだ下腹がなんだか生々しい。

 シャーロットがふとこちらを向くとエドウィンは慌てて体を再び横たえ慌てて目を閉じた。
「グッド・モーニング。ごめんね、起こしちゃった?」

 ゆっくり目の英語で優しく話しかけるシャーロットに寝たふりを続けることもできず、エドウィンは視線を床に落としたまま答えた。
「いや、大丈夫」

 シャーロットは笑いを堪えつつ、柔らかそうなセーターに体を通した。
「別に目をそらさなくていいのよ。今日はどこに行くの?」
 エドウィンはおそるおそる顔を上げ、クッション脇においたガイドブックを手に取るとシンプルな単語で答えた。
「タイムズ・スクエア。ビッグアップル」
「いいわね。まだマンハッタンに行ってないんだもんね。タイムズスクエアは普段は行かない場所だけど、観光だったら絶対一度は行くべきね」
 カズマが難色を示していただけに、アメリカ人のお墨付きをもらったのは嬉しい。
「自由の女神とかは行かないの?」
「カズマが行く意味ないって。写真で見るのと変わらないし、銅像以外に何もないからって」

 シャーロットはカズマらしいと言ってクスッと笑った。
「それにしても昨日はごめんね、なんか気まずい思いさせちゃって」
 昨晩は家に到着してから、結局三人で飲むことになり、最後の方はどういう訳かカズマとシャーロットの口論で終わった。スラングだらけの英会話でよく分からなかったけど、些細な事のようだった。でもなぜかシャーロットは最後に泣き出して先に寝てしまった。

 改めてシャーロットに謝られるとエドウィンは何だか自分の方が申し訳ない気持ちになった。そして自分でも意外で無遠慮な質問が口をつく。
「なんでカズマを好きになったの?」
 本当はカズマ「なんか」と言いたい所だったが、それに当てはまる英語を知らないのは幸いだったかもしれない。
「Good Question!」
 エドウィンは首を傾げシャーロットの顔を覗き込んだ。

「よくわからないわ。子供っぽいとこ?それは悪い所か。真っ直ぐなところかなあ。でもその分自分勝手だけど。才能あると思うし。才能て何なのか正直よくわからないけど」
 首を傾げながら聞くエドウィンと目が合い、自分でも意味のわからない言い草だと気付いたのか、シャーロットは誤魔化すように笑って舌をだした。
「とにかくほっとけないの。あの顔見ると」

 あの男がこんな愛らしい女性に愛されている事にエドウィンは世の中の不条理さと軽い嫉妬心を感じずにはいられなかった。
「あの人、クレイジーな時もあるけど、本当はすごい優しいの。一緒にいる間にわかると思うけど。強がっているだけなのよ」

 どう答えたらいいのか困っていると、話題の男がだるそうにリビングに登場する。煙草で燃えたと思われる小さな穴のいくつも開いた白いVネックのTシャツ(少し黒ずんでいた)と、青いストライプ柄のトランクス一丁(紐が緩んでいた)の格好だ。カズマは二人と目を合わせるとだるそうにあくびをし、灰皿に吸い残した紙巻煙草に火をつけ、心地良さそうに煙を吐いた。

 シャーロットはカズマを一瞥すると、さっと上着を着てキッチンテーブルに置いたコーヒーを一気に飲み干す。
「じゃあ、私は仕事に行くわ。カズマも“お仕事”がんばってね」
 両手の人差し指と中指でかぎ括弧の形を作りながらシャーロットが皮肉っぽく言うとカズマは不愉快そうに頷き、灰皿に乱暴に押し付けた。

  *****

 短いニューヨーク探訪は地下の世界から始まった。ベッドフォード駅のプラットフォームの壁には広告が並んでいるが、ほとんどは引き裂かれていて剥き出しになった一昔前の広告とのコラージュになっている。小さなプラットフォームに多様な人種が集い、遠くから漂うすえた匂いと、近くで飛び交う大声の雑談がエドウィンを息苦しく圧倒した。線路では巨大なネズミが忙しなく駆け回り、ゴミを物色している。

 カズマの話によれば駐車するスペースもなく、渋滞で常に詰まっているこの街で車に乗るのは無意味だと言う。ではなぜ車なんて持っているのかーエドウィンは延々とこない電車を待ちながら平然とした様のカズマをみて恨めしく思った。頭上に吊り下がった電光掲示板は「五分後に到着」と記したまましばらく変わっていない。

 地下鉄L線は二十分ほどしてやっと到着した。プラットフォームはいつの間にか人で溢れ返り、ドアが開くや否や降客も待たず人が四方から乗り込んでいく。列に並ぶという概念はないのだろうか。カズマに押し込まれるように車内に入るが、ドアがなかなか閉まらない。

 隣の車両でドアを抑えて家族に早く乗り込むように叫ぶ父親の姿が見える。すると三人掛けソファを抱えた二人組が入っていった。すると今度は乗り過ごしに気づいた中年の女性が閉まるドアをこじ開ける様にして出ていく。これでは電車が遅れるのも当然だ。

 エドウィンはカズマとともに座る場所を探した。青い座席はあちこちが薄汚れていて、唯一空いた席にはガムがこびりついている。カズマは床に落ちた紙屑を拾うとそのガムを覆い、その上に構わず腰を下ろした。エドウィンはカズマの行為が恥ずかしく周りの乗客を見回すが誰も気には留めていないようだ。

 駅を出発して五分ほどすると何の前触れもなく一時停車する。周りの乗客は「またか」とため息をつき、随分と慣れた様子だ。車内アナウンスが流れるがノイズが激しく内容が全く理解できない。
 
 エドウィンはカズマの方に目をやるが、カズマも他の乗客も皆首を傾げてお互いに聞き取れた内容を確認しあっている。
「人身事故ですかね?」エドウィンはカズマに尋ねる。
「人身事故ってなんだっけ?」
「その、人が飛び込んだとか…」
「電車に飛び込むヤツなんていないよ。整備トラブルかなんかだ、どうせ。しょっちゅうあんだ、こういう事」

 エドウィンはこれからアメリカを発展途上国として胸に刻むことにしたー何が「世界の首都ニューヨーク」だ。日常的に遅れて到着して、運転中もさらに遅延するなんて。

 しばらく動かない電車に乗客の苛立ちが見え始める。すると見計らったように隣の車両から黒人のティーンエイジャー三人組が意気揚々と踊りながら現れた。リーダー風の長身の男がラジカセを肩に抱えて、車内に向けて大声でアナウンスする。

「Ladies and Gentlemen, Please give us your attention!(皆さん注目!)」

 ハイジャックするかのような威勢でそう叫ぶと、脇にいた二人が車両の真ん中に立っている乗客達を脇にどかせる。ラジカセからシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ•ディライト」のベースイントロが鳴る。誰もが知るヒップホップのアンセムに乗客の一部は手拍子を始めた。

 まずは細身の少年が汚れた床に勢いよく手をつきブレイクダンスをかます。一小節分が終わるとリーダーが電車の手すり踏み台にバク宙を繰り返す。いつの間にか動き出した電車の揺れもお構いなしだ。乗客から歓声が上がる。エドウィンは夢見心地に黒人三人組の姿を心に焼き付けた。日本でもこれくらい踊れる人間はたくさんいるーでも何なのだろう、この感じたことのない高揚感は。

 次駅への到着と共に彼らのパフォーマンスは終了を告げるとカズマは「鑑賞料」を徴収にきたメンバーの差し出すヤンキースのキャップに一ドル紙幣を何枚か入れ景気づけるように少年の肩を軽くこづいた。

 エドウィンはこの短時間に起こった事を咀嚼していた。大胆不敵なパフォーマンスとそれに引けを取らない乗客のリアクションー歓声を浴びせ続ける集団―感慨深げに目を細め見守る老夫婦―一緒に踊り出すかのようにノリノリの黒人カップルー一人一人がニューヨークという舞台にいる大事な演者のように感じた。

 間違いだらけのくせに勢いだけで自信満々に暮らしているように思えるこの街の人々。真面目に言われた事をこなしてるのに自分自身を認める事もできずない我が国の人々。広い世界は不可解だーエドウィンはそう思った。そして気がつくと自分の顔が綻んでいた。


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