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現地コーディネーター

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長編小説「現地コーディネーター」のまとめです。創作大賞2024に挑戦中。
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#ロードトリップ

現地コーディネーター:第31話

 モーターホームは砂埃を巻き上げながら閑散とした大地をぐんぐん走る。ひたすら真っ直ぐに続く赤土に囲まれた道を駆けるとまるで地球上に自分達しかいないような錯覚さえした。道の先には切り立った山々のシルエットが見え、その上を大きな鷲が舞っている。  デビッドは「ナバホ•ネーション」と記されたペンキの剥げた看板に一瞥をくれると、助手席に座ったエドウィンにこぼした。 「そう、この土地はオレ達のネーション(国家)なんだ。乗っ取られ、傷つけられ、アメリカに使い捨てられた国家」  デビ

現地コーディネーター:第29話

 「お前は自分に流れた白人の血を意識する事があるか?」  カズマがモーターホームの外に出るとすぐにデビッドから質問が放り投げられた。エドウィンは多少面食らいながら答えた。 「こんな顔だから周りから外人扱いされることはあったけど…。もう慣れたし普通に日本人として暮らしてるから…。意識する時も無くは無いけど」 「俺も母が白人だったから保留区ではよく爪弾きにされたよ。ナバホ族の年配の多くは白人を恨んでるからな。母親は俺が小さい頃逃げるように保留区を出てったんだ。一人だけ『白い

現地コーディネーター:第28話

 薄暗い砂漠に赤茶けた岩山が時々現れては消えていく。高速道路に合流してしばらくするとやがてアルバカーキの街中に着いた。こじんまりとした平屋の店が立ち並ぶ。多くの建物は砂漠の都市らしく日干しのアドベレンガできており、落ち着いた雰囲気だ。 「この辺ならホテルもモーテルもたくさんあるよ。どうする?」  デビッドが尋ねると、カズマとエドウィンは自分たちの課題を急に思い出したように顔を見合わせた。間もなくデビッドがミラー越しに後ろの二人に提案する。 「それとも今晩だけこのモーターホ

現地コーディネーター:第27話

 突然頭を揺さぶる衝撃で、助手席のカズマは熟睡から目を覚ました。夢の続きを見ているような不思議な感覚だ。窓の外に目をやると砂埃が舞っている。車体は道路から五メートルほど離れている。隣のエドウィンはハンドルにしがみつくように前屈みになって青ざめた顔をしている。 「…事故った?」 「アルマジロを轢きそうになって。急にあんな物体が出てくるなんて思わなくて…避けようとしてハンドル切ったらコントロールがきかなくなって」  カズマは助手席のドアを開け外に出た。右側の前輪が完全に潰れて

現地コーディネーター:第22話

 フリアナが自分に触れる回数が増えている。ブラジルではごく普通のスキンシップなのかもしれないが、汗で少し湿った手が自分の首筋や頰を撫でる度にいちいち下半身が反応しそうになる。エドウィンは彼女に気付かれないようにこっそりポケットに手を突っ込んで物を抑えつつ、会話に集中するよう努めた。 「エドウィンは、普段休みの日は何して遊ぶの?」 「う~ん。友達と映画とかライブに行ったりとかかなあ」  何故か嘘をついてしまう。一緒に遊ぶ友達なんていないのに。  二人は他愛のない会話を繰り返

現地コーディネーター:第18話

 カズマは運転席にもたれかかり、ハンドルにだらりと両手を置きながらアクセルを踏み続ける。通り過ぎる標識がアメリカ最南部のミシシッピ州に入ってきたことを知らせる。が、そんな事はもうどうでも良く、同じような平地がひたすら続くのにも流石に飽きていた。生のアメリカを肌で感じるというロマンチックな響きに惹かれ無謀な計画を立てた自分に腹が立ってくる。  エドウィンの視界にはまだ蕾さえ見えないマグノリアの木々がまばらな間隔でシャッターのように通り過ぎていった。そして捻じ曲がった木が一本だ

現地コーディネーター:第17話

 雨樋に止まったモッキングバードの甲高いさえずりで目を覚ました。バネのしっかりしたツインベッドは前日の晩泊まったモーテルのそれより格段に快適だった。エドウィンは大きく伸びをして体を起こすとジャージ姿のまま部屋を出て、隣のカズマの部屋をノックする。ドアを開けると、部屋は空で人が寝た形跡すらない。時刻はまだ朝八時過ぎだ。カズマが早起きしてベッドメイキングまで済ませたとは思い難い。螺旋階段を降りると階下のダイニングテーブルでロイがしかめ面で新聞を読んでいた。 「おはよう。カズマは

現地コーディネーター:第16話

 自宅の玄関口まで来るとクリスタルは急に不安そうに振り返った。 「パパ熟睡してればいいけど。門限も過ぎちゃったし、お酒の匂いするかもしれない…」 「そうな。匂いもするし、顔も真っ赤だ」  カズマが言うとクリスタルは焦った様子で自分の頬に手を当てた。  カズマがすぐに吹き出してそれが冗談と分かると、クリスタルも思わず笑って肩を叩いた。そのじゃれ合う様子が気に入らなかったが、エドウィンも合わせるように何となく笑った。  家の中は真っ暗で、リビングの奥にあるロイの寝室も消灯され

現地コーディネーター:第13話

「ディナーができたぞ!」 ロイの大声が二階に響き渡る。  趣味の合わないマイクのCDコレクションを物色していたエドウィンはステレオを止め、ダイニングルームに駆け下りた。食卓にはフライドチキン、マッシュポテト、マカロニチーズと棒状の揚げ物がそれぞれ大きな皿に山盛りに並んでいる。 「これが本場の南部料理よ」  クリスタルは嬉しそうにグレイビーの入ったボウルを食卓に置く。エプロンには油のシミが飛び散っていて、自分たちのために一生懸命料理をしてくれたという事実に感謝し、またほぼ他

現地コーディネーター:第11話

 その夏のブルックリンはとにかく暑かった。カズマはアーチスト仲間四名とシェアするアトリエに入り浸っていた。その頃はとにかくアイデアが留めどなく溢れて時間が足りなかった。真っ白なキャンバスはそれを形にできる無限の可能性を持ち、描いていない時は生きている感覚がなかった。  そうしたカズマの作品の幾つかは業界の中でも少しずつ注目を集め、コミッションとしての仕事も徐々に増えていった。そして当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったマッド•ドッグから二人の個展をしようと持ちかけられたのだ。  カ

現地コーディネーター:第9話

 店員の姿も見当たらない寂れたメキシコ料理店や、日本人のセンスでは決して選ばない角張ったフォントの看板の寿司屋、九十年代初期のモデル写真が張り出された床屋など、時間が止まってしまったかのような風景が窓の外に続く。どの店もニューヨークと比べて随分と大きい。これが本当のアメリカかと眺めるエドウィンの心を読んだかのようにカズマが声をかけた。 「ニュージャージーは日本の埼玉県みたいなもんだよ」 「じゃあカズマさんには馴染みやすい場所ですね」  カズマはエドウィンの皮肉に中指をたて

現地コーディネーター:第8話

 またアラームが鳴る前に目が覚めてしまう。エドウィンはまだ疲れのとれない体をカウチから起こし、開け放しの隣の寝室に目をやった。カズマとシャーロットはまだ寝ているようだ。  昨晩のうちに旅支度を済ませたエドウィンは、Tシャツの上にヒートテックを二枚重ね着し、動きやすいスウェットとだぶついたカーゴパンツを装着した。そしてコンロに置きっぱなしのケトルを火にかけ、冷蔵庫から巨大なインスタントコーヒーの缶を取り出し、コーヒーをスプーンで掬ってマグカップに入れた。  すぐに手持ち無沙

現地コーディネーター:第3話

カズマは久しぶりの深い眠りから目を覚ました。辺りは薄暗く朝か夜かの判断もつかない。隣にシャーロットの姿はない。セントラルヒーティングが壊れているのか、吐く息が白くなる寒気に体を震わせ、フリースの毛布に身を包んだ。毛布から漂うシャーロットの残り香は春の花のような甘くて温かい香りを放っていた。  冬の淡い光がブラインドの隙間から細く漏れている。カズマは覚悟してベッドから跳ね起きると窓を開け、窓台に放置されたシケモクに火をつけた。一服するとその煙が光に照らされて揺らめきなが

現地コーディネーター:第2話

「HATENA」はマンハッタン東五十二丁目と三番街の交差点脇にある。日系企業の駐在員が多いこの地域には日本食レストランや日系スーパー、日系の美容室に至るまで所々に店を構えている。ここには日本人だけを相手に成り立つ商売が数多く存在しており、キャバクラ店もその一つだった。  オープンして十年になるHATENAはカツ丼屋の隣にひっそりと存在し、重厚な黒塗りのドアに真鍮の「?」マークが貼ってあるだけだ。  カズマにとってこの職場は自分が十代の時に逃げ出した閉鎖的な日本社会が凝縮さ