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現地コーディネーター:第28話

 薄暗い砂漠に赤茶けた岩山が時々現れては消えていく。高速道路に合流してしばらくするとやがてアルバカーキの街中に着いた。こじんまりとした平屋の店が立ち並ぶ。多くの建物は砂漠の都市らしく日干しのアドベレンガできており、落ち着いた雰囲気だ。

「この辺ならホテルもモーテルもたくさんあるよ。どうする?」
 デビッドが尋ねると、カズマとエドウィンは自分たちの課題を急に思い出したように顔を見合わせた。間もなくデビッドがミラー越しに後ろの二人に提案する。

「それとも今晩だけこのモーターホームに泊まるか?オレはこの近くのキャンプ地に止めるつもりだけど」

「Why not (もちろん)」
 エドウィンが我先に返答する。カズマは少し面食らいながらも同じセリフを繰り返した。

「ありがとう。そうしてもらえるととても助かる」
 デビッドは無言で親指を立てるとモーターホームを専用のキャンプ地に向けて走らせた。

「こんな生活してるとアメリカ中のキャンプ地に詳しくなるよ」
 デビッドは半ば食傷気味にミラー越しの二人に微笑みかけた。

 入り口のブースで居眠りをしているセキュリティをクラクションで起こすと、デビッドは駐車券を受け取ってゲートの先の真っ暗な砂地へゆっくり車を進めた。すっかり暗くなった闇夜に鮮やかな色の砂埃が舞い散る。

「この時期はさすがにほとんど宿泊客もいないみたいだな」
 真っ暗なキャンプ場を照らすヘッドライトにうっすら「9」と白いペンキで書かれた駐車スペースが浮かび上がる。デビッドはそこにモーターホームを停車させるとゆっくりギアをパーキングに入れキーを抜いた。そして運転席の脇にあるクーラーボックスからビール缶を鷲掴みにし、後部の二人に一つずつ投げた。

「久しぶりだよ、人と一緒に飲むのは」
 デビッドは嬉しそうにそう言うと缶を開けて勢いよく喉に流し、幸せそうにプハーと大きな息を吐いた。この仕草は全人類共通なのかもしれない。エドウィンはそう思うと何だか世界が小さくなったような気がした。そして生まれて初めて知り合うネイティブ•アメリカンに好奇心を抑えられない。

「何でデビッドは十八歳で家を出たの?」
「オレはあの街が嫌いだった。保留地での生活は君ら外部の人間が想像するより遥かに酷い。電気も水も制限されてるし、何よりも仕事が無い。アメリカ政府が求めるまともな『文明人』になりたかったら保留地を出てくか、現実逃避で酒やドラッグに溺れるか」

 デビッドは憧れじみた眼差しを注ぐエドウィンから顔を逸らすように前方に広がる闇を見つめ、缶の残りをあっという間に飲み干す。

「オレはアメリカ人―つまり白人社会の影響をふんだんに浴びて育った世代だ。ナバホ語だって片言でしか話せない。オレはアメリカ社会で成功したかった。白人が偉そうに振る舞うこの『アメリカ』でな。でもオレらが社会的に成功するのはほぼ不可能だと気づいた」

 エドウィンは頷くことしかできなかった。自分が「アメリカ」をよく理解していないことくらいの分別はついた。奥底で確かに存在している負の歴史の数々―黒人奴隷―イスラム教徒の排斥―戦時中の日系人強制収容所―ベトナム戦争。二百年そこらの短い歴史で恥辱にまみれた出来事と世界に誇る栄光の数々がこの国には混在しているのだ。

「この土地に最初に住んだのは君たちの先祖だよね?」
 エドウィンが遠慮気味に尋ねると、デビッドは悔しそうに奥歯を噛みながら深く頷いた。

「でも先祖の多くは白人に虐待され続けた。やがてこの土地にウランや石炭などの資源がある事を知ると奴らは利益のために迷う事もなくそれを掘り起こした、オレらネイティブの労働力を使ってね。地球に長年埋まっているものを取り出すなんて事は先祖代々のタブーだったのに。用が済むと奴らは土地を汚したままいなくなった」

 デビッドはまだ物足りないように話を続ける。
「皮肉なのはさ、奴らの作ったウランや石炭の鉱山は貧しい部族には金払いの良いありがたい仕事だったんだよな。オレの親父もしばらくそこで働いて完全に肺と腎臓をやられちまった。まあアルコールのせいもあるけどな」

 デビッドの負の感情が伝わり、エドウィンは軽々しく質問してしまった事を少し後悔した。車内に充満した沈黙をカズマが破った。
「デビッド、ところで放浪始めてからはどの辺に行ったんだ?」

 デビッドは飲み干したビール缶を潰し、首に巻いた赤いバンダナで口を拭った。
「あちこちだよ。全米四十八州。ハワイとサウスダコタ州以外」
「ハワイは遠いから分かるけど、なぜサウスダコタ?」
「マウントラシュモア以外何もない所になぜ行く必要がある?」

 デビッドが笑って返すとカズマがすかさず被せる。
「ラシュモアに行けばいいじゃないか。ワシントンやジェファソンの顔をジェロニモやシッティングブルに彫直せばいい」

 カズマの無遠慮な冗談が気に入ったようで、デビッドは声を上げて笑い、運転席越しにカズマにハイタッチをした。エドウィンは少しホッとして質問を引き継いだ。

「今まで訪れて一番良かった都市はどこ?」
「ボールダーとかプロビデンスは居心地の良い街だったな。自然に囲まれてるけど田舎すぎずちょうどいいサイズで。もちろんニューヨークも大好きだ、刺激的な街だよな。みんな忙しないから住みたかないけど。アラスカのシワードって小さな街も美しかったよ。そこではアザラシの漁をした。あそこにも先住民がいるんだけど、彼らは誰とも戦いたくなくてあんな寒いだけの所に住み着いたらしい」

 記憶の引き出しに入った思い出の数々をひけらかす事も引きずる事も無く淡々と話すデビッドの言葉には、その光景を現在実際に見ているかのような情感がこもっていた。

「Truth or Consequences(真実を話さなければ報いがある)」

 突然デビッドの口をついて出てきた謎の言葉にカズマとエドウィンは首を傾げた。デビッドはしてやったりの顔で話を続けた。

「そういう名前の街があるんだよ、ここからそう遠くない所にな。年寄りだらけの温泉保養地だ。そこで世界一美しい女に会った。俺みたいに白人とインディアンが混じった女だ。彼女はプエブロ族だった。長い黒髪に切れ長な目で、でも瞳はターコイズのように青くて、たまんなくセクシーでさ」

 デビッドは眩しそうに目を細めて闇を見つめる。まるでそこに彼女の姿があるかのように。

「…だからそこが一番かな」
 デビッドがそう言い放つと今度はカズマの方からハイタッチを差し出した。旅ではどこに行ったのかなどさほど重要ではない、そこで何を感じる事ができたかなのだ。

「最後に実家に帰ったのはいつ?」
 エドウィンがまだ足りずに尋ねる。デビッドは素っ気なく四年前とだけ答えた。

「じゃあ久しぶりで緊張するね」
「まだ実家に帰るとは決めてないけど」
「じゃあ次はどこに行くの?」
「オレは次はどこに行くのか?」

 デビッドはエドウィンの質問を自分に向けておうむ返しした。しかし答えは無かった。そしてこの質問が最初からなかったかのように急に後ろを振り返ってカズマに尋ねた。

「お前は絵を描いてるんだろう?何か描いたもの見せてくれよ」

 カズマは、全部ニューヨークのアパートに置いてきた、と答えた。旅の間スケッチブックに描いた作品には触れたくなかった。デビッドは残念そうに肩をすくめ、突然何か思いついたように膝を叩いた。

「オレのために絵を描いてくれたら、明日チューバシティまで連れて行ってやるよ」

 カズマは口をぽかんと開け、彼の意図を勘ぐる様にその黒い瞳を見つめこんだ。エドウィンがにやつきながら日本語で口を挟む。

「是非描いてくださいよ。いい取引じゃないですか」
「まったく、どんな取引だよ」

 カズマは苦笑しながらも、心の奥でなぜかスイッチが入った事に気づいていた。そして小言をぶつぶつ言いながらボストンバックの中から縒れたスケッチブックと筆箱を掴み、車の外に出た。

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