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現地コーディネーター:第16話

 自宅の玄関口まで来るとクリスタルは急に不安そうに振り返った。
「パパ熟睡してればいいけど。門限も過ぎちゃったし、お酒の匂いするかもしれない…」
「そうな。匂いもするし、顔も真っ赤だ」
 カズマが言うとクリスタルは焦った様子で自分の頬に手を当てた。

 カズマがすぐに吹き出してそれが冗談と分かると、クリスタルも思わず笑って肩を叩いた。そのじゃれ合う様子が気に入らなかったが、エドウィンも合わせるように何となく笑った。

 家の中は真っ暗で、リビングの奥にあるロイの寝室も消灯されている。クリスタルは静かに安堵の息をつき、スマホの電灯を頼りに二人を先導して忍び足で階段をあがった。

「タオルとパジャマはそのクローゼットに入っているから、自由に使って」
「わかった、ありがとう。お休み」
 エドウィンは力無くそう答えると部屋へ入りドアを閉めた。

 開けっ放しのゲスト部屋にむき出しのベッドと簡易毛布しか置いてないのに気づいたクリスタルは、クローゼットからタオルとシーツを取り出してカズマに渡した。

「ありがとう。…君はメンフィスは好きなの?」
 突然のカズマの質問にクリスタルは一瞬黙してしまう。

「もちろん。ここで生まれ育ったし、愛着はあるわ。あなたは?」
「大学以外何も見てないからなんとも言えないけど。でもニューヨークとは明らかに違う雰囲気だ。とてもアメリカらしい街だよね」

 クリスタルは身を乗り出しどう違うのか尋ねる。カズマは思いついたままを並べた。ニューヨークはあらゆる人種や国籍の人間がごちゃ混ぜに共存している事。徒歩圏内だけで買い物などの用が片付いてしまう事。何かを求めて遠くから挑戦しに来る人間の多い事。クリスタルは相槌を打ちながら目を輝せている。

「ニューヨークはメンフィスよりクレイジー?」
「ある意味ではそうかもね」
 子供じみたクリスタルの質問に笑いながら答える。
「一度遊びに来なよ」

 カズマがいつも通りの軽薄さで言うと、クリスタルは真剣に考えこんだ。
「行ってみたいけど…。パパが許してくれないわ。最初はあなたがここに来るのにもちょっとナーバスだったのよ。ニューヨークからクレイジーな日本人が泊まりにくる、って騒いで」

「ひどいな。ジェフの友達だってのに?」
 カズマが憮然として尋ねる。
「それがさらに印象を悪くしてるの」
 カズマは眉間に皺を寄せて彼女の真意を探る。

「二人は仲が悪い訳じゃないんだけど、性格が真逆だし、多分パパはジェフ叔父さんの事をあんまり信頼してないんだと思う」
「まあ兄弟でも色々あるもんだよな」

 カズマは死んだ自分の兄の事を思い出していた。
「でもオレって実際そんなクレイジーかな?」
「さあ。クレイジーな人なんてメンフィスにも山ほどいるわ。でもあなたはちょっと違うタイプかも。確信的にクレイジーな事してるみたい」

 カズマは首を傾げながらとぼけた顔をする。
「だから単純なクレイジーより危ないのよね、きっと」
 カズマは苦笑し、ふと思い出したように提案した。
「ハッパでも吸おうか?」
 クリスタルは大きな目を丸くし呆れたようにカズマの悪気のない瞳を覗いた。そして少しだけ考えを巡らせてから小さく頷いた。

        *

 クリスタルの寝室からベランダに出ると、二人は埃を被った小型のキャンプチェアに腰を下ろした。クリスタルは物音を立てないようにゴミ箱を漁り、潰れたコーラの空き缶を取り出すとそれをピクニックテーブルの上に灰皿がわりに置いた。カズマはロニーからもらったマリファナをジップロックから取り出し、それを細く巻紙の上に散りばめて細く丸めた。そして先っぽを軽く火であぶりクリスタルに差し出す。

「あなたが先に吸って。私、これでまだ二回目なの」
「…そっか、バージンだと思ってたよ、残念だな」
 カズマは自分のジョークに一人で笑いながら早速火をつけて大きく吸い込み、煙を肺に止めてから大きく吐き出した。

「日本だとマリファナ吸うだけでも結構罪が重いんだ。皆ドラッグの知識が無いからヘロインも覚醒剤もマリファナも全部一緒だと思ってんだよな。たちの悪い酔っぱらいが道端で潰れてるのは許されるのに」
 クリスタルは大袈裟に目を丸くする。そして溜息まじりに呟いた。
「…でも決まりを破るのはいけない事よね。私、明日教会に行かなきゃいけないのに」
 クリスタルはどことなく不安げにベランダの隅に目をやった。

「ジーザスもきっと吸ってたから大丈夫、許してくれるさ」
 カズマの軽い冗談にクリスタルは顔をしかめた。カズマはジョイントをクリスタルに渡すとクリスタルは遠慮気味に少しだけ吸ってまっすぐな細い煙を宙に向けて吐いた。

「教会って、オレらも行かなきゃいけないの?」
どちらでもいいわ、クリスタルはカズマにジョイントを返しながら答えると急に無言になってしまった。

 カズマはその沈黙の温度を図るようにクリスタルの顔を凝視した。整った顔立ちだが、自分を奮い立たすような何かは感じなかった。

「エドウィンとの再会はどうよ?いい経験?」
「もちろん。彼はいい人。イメージしてた通りの日本人て感じ」
「オレはアイツ見てると、なんか無茶苦茶な事させたくなっちゃうんだよね。興奮して理性がふっとんじゃうみたいな経験をさ。おせっかいかもしれないけど」
「確かにおせっかいね」
 クリスタルは目を細めて笑い、カズマからジョイントを奪った。

「私を誘ったのもそういう理由?私が退屈そうだから可哀想だって?」
 カズマはとんでもないと肩をすくめるが、実際のところそうだったのかもしれないと思う。そしてなぜか自分の兄を思い出していた。
「どんなに優しくて好かれてたって、自分が本当にやりたいこともやれず、芯がスパークするような瞬間もないまま死んでしまったら意味なくない?」

 自分の兄は実直で親の言う事はどんなに不条理でも従う「出来た」息子だった。でもカズマから見ると無味で退屈な人間だった。親は自分が兄に嫉妬していると誤解していたようだったが、実際は彼を哀れに思っていた。

 クリスタルはカズマの顔を見つめ、問い詰めるように身を乗り出した。
「でも一瞬だけ輝いてもそれが続かなかったら、その瞬間がもう二度とこなかったら、その方が哀しくない?いつかのその記憶をずっと未練がましくひきずりながら生きるの?」 

「ずっと輝き続ければいいんだよ」
 カズマは自分で嘘をついた事に気づいた。そんな事自分にだって出来ていないーでもそんな事は言えなかった。案の定クリスタルはその答えに納得していないようで、沈黙という反論で返した。

 冷たい風が二人の間を吹き抜ける。カズマはもう指では摘めないくらい短くなったジョイントの残りを思い切り吸い込んだ。

 ふと背後に人の気配を感じて後ろを振り返るとロイがベランダの入り口に幽霊のように立っているのが目に入る。カズマは思わず身震いし、慌てて吸い尺をサンダルで踏みつけた。

 ロイがガラス戸を開けるとマリファナの臭いが鼻をつく。
「クリスタル、お前も吸ったのか?」

 ロイは怒りに声を震わせてクリスタルを凝視するが、彼女はたじろいで答えられない。カズマは吸ったのは自分だけだと主張するが、ロイは無視して同じ質問を繰り返した。クリスタルが首を横に振ると彼は声を荒げた。

「嘘は最も罪深い。部屋に戻って祈りなさい。神の許しを得られるまで自宅謹慎だ」

 ロイはベランダに足を踏み入れると彼女の腕を乱暴に掴んで強引に部屋の中に押し込み、ガラス戸を割れんばかりの勢いで閉めた。そして彼女がさっきまで座っていたキャンプチェアに腰を下ろす。体と椅子のサイズが合わず思わずよろめいて転びそうになる姿にカズマは笑いを堪えた。

「何でクリスタルを巻き込むんだ?彼女はこんな事をする子じゃないんだ」
 声を荒げないように抑えた不自然な低音で話すロイに、カズマは酩酊でもつれた脳をなんとか整理しながら言葉を探った。

「クリスタルが本当は何がしたいのか、考えた事ある?」
 出てきた言葉は案の定ロイの感情を逆撫でするものだった。
「お前には関係ない事だろ?」
 ロイの声はうわずり、取り乱さないよう深呼吸を挟んで続けた。

「人間にはそれぞれルールがある。それはどんな集団も、家族だって同じだ。君は他人のルールなど知ったこっちゃないようだが、それを守っている連中を冒す権利はない」

 正論なのはカズマにも理解できた。でもルールは人を傷つけないためにあるべきもので、誰を救う事も出来ず苦しめてしまうだけならそんなものはいらない。それはカズマが短い人生で見つけ出した答えだった。

「オレはただ人と仲良くして楽しい時間を過ごしたいだけなんだよ。クリスタルを笑わせたかった。彼女はあまり楽しそうじゃないから」
「お前に何がわかる!」
 ロイは思わず出た怒号に自身でも驚いたようだった。そして呼吸を整えカズマに低い声で伝えた。

「とにかく、我が家のルールを破るものはここに置いとく訳にはいかない。明日の朝に荷物をまとめて出て行きなさい」

 カズマは唖然としてロイを見つめた。ロイは黙って立ち上がると部屋に戻り、ベッドの中で肩を揺らして泣いているクリスタルに声もかけず、そのまま廊下へと抜けていく。怒りと悲しみの混じったその背中は自分の父親を思い出させた。

 固まってしまった自分の考えに頑なにしかなれず、しなやかさを失った中年の男。ベランダに取り残されたカズマは頭上に輝く月を見て大きく息を吸った。冷たく自分を見下ろすメンフィスの月にはきっと何を叫んでも届かないだろうと思い、口を結んだ。

(第1話〜第15話はこちら👇)


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