見出し画像

現地コーディネーター:第17話

 雨樋に止まったモッキングバードの甲高いさえずりで目を覚ました。バネのしっかりしたツインベッドは前日の晩泊まったモーテルのそれより格段に快適だった。エドウィンは大きく伸びをして体を起こすとジャージ姿のまま部屋を出て、隣のカズマの部屋をノックする。ドアを開けると、部屋は空で人が寝た形跡すらない。時刻はまだ朝八時過ぎだ。カズマが早起きしてベッドメイキングまで済ませたとは思い難い。螺旋階段を降りると階下のダイニングテーブルでロイがしかめ面で新聞を読んでいた。

「おはよう。カズマは?」
 ロイはエドウィンの声に反応し新聞から顔をあげる。
「ああ、おはよう。彼は部屋にいないのか?」

 エドウィンが首を横に振るとロイの表情が渋くなる。エドウィンは直感的に外に出てドライブウェイ脇に停めてあるビートルまで歩いた。助手席には体を窮屈そうに折り曲げて横向きに寝ているカズマがいた。

 エドウィンが車の窓を強めにノックするとカズマはびくっとしてあたりを見回す。固定された革張りのシートでは流石に熟睡できなかったのだろう、疲れ切った目の下に大きな隈が出来ている。やっとエドウィンと目が合うとカズマは窓をゆっくり開け間の抜けた声色でエドウィンに問いかけた。

「どうしたの?」
「どうしたってこっちの質問ですよ。何でここで寝てるんですか?」
「まあ、大人の事情で」
 カズマは目を逸らして言うと、間髪入れずに続ける。

「そうそう、もうすぐ出発しなきゃ。早めに準備してくれ」
 エドウィンが唸り声を漏らすとカズマはとぼけた表情で続けた。
「予定変更だ。これぞ旅の醍醐味」
「そんな自分の気分で勝手に予定変えないでよ。ちゃんと理由説明してよ」  

 エドウィンは珍しく語気を荒げカズマを睨むように覗き込んだ。
「もしかしてクリスタルに手を…」
 真顔を近づけるエドウィンを制し、カズマは舌打ちをしながら答える。
「そんな訳ないだろ。お前の遠縁になるなんてごめんだ」

 様子を見に出てきたロイが近づいてくる。そして車中のカズマを見つけると呆れたように肩をすくめ大きく息を吐いた。
「僕を悪者みたいにしないでくれよ。誰も外で寝ろなんて言ってないぞ」

 その口調は昨晩よりずっと力なく、どこか申し訳なさそうでさえある。カズマは重い瞼を擦り、わずかな尊厳を保つように姿勢を正して答えた。
「自分が歓迎されていないところには足を踏み入れない。それがオレのルール。あんたのルールも同時にリスペクトしたらこうするしかないじゃん」

 ロイは子供じみたカズマの言い分に苦笑する。エドウィンには何が起こっているのかわからず、しびれを切らしてロイに尋ねる。
「クリスタルは?」
「 Grounded(謹慎)」

 単語の意味がわからないエドウィンは、カズマの方を振り返る。
「風邪ひいて寝込んでるって」
 明らかな嘘だ。エドウィンは舌打ちし、またロイのほうを向きなおった。

「ここを出ないといけないなら、彼女にちゃんと挨拶したい」
 ロイが無言でうなずくと、エドウィンは足早に家に戻っていく。

 ロイは自分がカズマに対して不思議な感情を抱いている事に気づいていた。自由と無責任の境界線で生きる、軽蔑と嫉妬を同時に抱かせる存在。なぜか憎みきれない人間。

「昨日の事は本当に残念だ。君が根から悪い奴じゃない事は分かってる」
 ロイはトーンを落としてカズマに話しかけた。カズマは力無く、でも真っ直ぐロイの目を見ながら珍しく小さな声で呟いた。

「ありがとう。俺は昔からトラブルメーカーなんだ。そうなりたいわけじゃないのにいつもそうなってしまう。頭の中で閃光が走ったら止められないんだ。オレが悪いんだ。クリスタルは何も悪くない」

 そうか、目の前でしょげている青年は若き日のジェフとそっくりなのだ。だからこの若い男に複雑な愛憎の感情を抱いてしまうのかもしれなかった。ロイは彼を見つめながら一人で頷いた。

 ジェフが実家を突然出て行ったのも、本人にとってはごく自然な思いつきの流れの事だったのだ。アジア人と結婚した事も、地元の教会を無視しインディアン保留区で結婚式をした事も、我々の気持ちを顧みず気ままに過ごした事もー何の悪意も無く。

「予定も少し早まった事だし、エドウィンとニューオーリンズに行ってマルディ・グラの祭りでも観に行ったらどうだ」
 ロイは思わず口をついたその提案に自分でも驚いていた。

「マルディグラ?」
「年に一回のクレイジーなパレードだよ。親友がフレンチクオーターのすぐ外にあるホテルでマネージャーをしているんだ。急なキャンセルが出て部屋が開いてしまったから泊まりに来いと誘われていたんだ」
「ありがとう。でもなんで俺たちに?クリスタルと行けば?」

ロイは含み笑いをしながら答える。
「僕達にはちょっとワイルドすぎる。それにクリスタルは自宅謹慎だしね。若い男二人で行くくらいが一番いい祭りだよ」

 マルディグラがなんなのかはよく知らなかったが、カズマにはロイのその気持ちが嬉しくなり思わず彼に飛びつくようにハグをした。やはりおかしなヤツだーロイは苦笑しながらそれを受け入れた。

         *

 パジャマ姿のクリスタルが泣き腫らした目をこすりながらドアを開けた。
「カズマになんかされたの?」
 心配で顔を顰めたエドウィンが開口一番尋ねると、クリスタルは慌てて首を横に振った。
「そんな事ないわ。私が悪いの。もっと分別を持つべきだった」

 エドウィンはクリスタルの顔をじっと見つめる。長年会わなかった従姉妹に会えて、やっと少しだけ心が通じ合えたと思ったのにこんな突然別れるのは悔しかった。黙り込むエドウィンにクリスタルが努めて明るく振る舞う。

「とにかく久しぶりに会えて本当に嬉しかったわ。これで日本に行ったら案内役がいるってことよね?」
 エドウィンは少し顔を緩めて頷いた。
「いっぱい君に見せたいものがある。東京タワーとか、浅草のお寺とか、富士山もきれいだし。大学もアメリカの大学とは全然違う…」 

 寸暇を惜しむように急に早口で話す目の前のエドウィンを見てクリスタルは微笑む。
「楽しそうね。あなたのパパから私のパパに十分説得してもらわないとね」
 エドウィンは軽く笑い、続ける言葉を探した。

 ふと思いついたようにクリスタルはデスクから何かをひったくってエドウィンに差し出す。それは昨日のパーティーでふざけて撮ったツーショットのポラロイド写真だった。カウチに座った二人の後ろで酔っぱらった学生が変顔を決めて映っている。二人はその写真を眺め、同時に顔を見合わせて吹き出した。

「ありがとう」
 エドウィンがそう言ってしまうとまた沈黙が空間を埋める。気持ちがうまく言葉にならない。きっとここで笑って終わるのがいいのだろう。

「Good bye(さようなら)」
 唐突なエドウィンの別れの言葉にクリスタルは面食らうが、頷きながら優しく囁く。
「『See you later(また会おう)』の方がいい英語の挨拶よ」
「じゃあ、See you later」

 エドウィンは握手を差し出すと、クリスタルはエドウィンを抱きしめ頬に軽くキスをした。エドウィンは少し顔を紅潮させた。

「アメリカ式はこうするのよ、次会うときも覚えておいてね。じゃ
あ、See you later」

 舌を出して微笑むクリスタルに、エドウィンは自分に出せる限りの満面の笑顔をこしらえると、名残惜しくなってしまわないうちに部屋を出た。

 クリスタルは一人になるとため息をついた。そしてこっそりベランダに出て、家の前に停めたビートルから顔をだすカズマと合流するエドウィンの姿を記憶に焼き付けるように見守った。そして入れ替わりにロイが家に戻ってくるのをぼんやり眺めた。また幸せでも不幸でもない日常に戻るのだ。

第1話〜第16話はこちら👇


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?