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現地コーディネーター

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長編小説「現地コーディネーター」のまとめです。創作大賞2024に挑戦中。
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#お仕事小説部門

現地コーディネーター:第35話

 エドウィンは自分の体がギリギリ収まるサイズのエアマットレスの上に横たわり、煙突と天井の隙間からわずかに覗く黒い空を眺めた。先程の幻想的な峡谷の景色がまだ鮮烈に脳裏に残って、興奮とも恍惚ともつかぬ状態が続いていた。でもたくさん話したい時こそ言葉が出てこないのは何故だろう。 「もう旅も終わりですね」  自分の感傷の全てを一行に込めて呟くが、暖炉の向こう側に横になっているカズマからの返事がない。もう寝てしまったのかー最後までマイペースなやつだ、仕方ない自分も寝よう。エドウィン

現地コーディネーター:第34話

 ウィンドレイザーの運転する旧型アウトバックが岩肌の間を心地よくすり抜けてゆく。グランドキャニオン国立公園を示す標識が見えてくると、助手席のエドウィンは興奮気味に後ろに座るカズマの方を振り返った。  カズマは珍しくもの静かで、まるで自分だけの映画を観るように荒野の景色をじっと眺めている。車と一体化しているかのように慣れた手つきでハンドルを捌くウィンドレイザーはグランドキャニオン南端の入り口に車を進めると、ブースの管理人から通行証をもらい徐行して敷地内に入っていく。 「ここ

現地コーディネーター:第33話

 ホーガン内の固めた土の床にペンドルトンのブランケットを敷き、エドウィンは横になった。薪をくべた暖炉のおかげでようやく少し中が暖かくなってきたところだ。結局一時間以上続ける羽目になった薪割りのせいで身体中の筋肉が痛い。   ウィンドレイザーの家の方角からはナバホ語の話し声が聞こえ、パチパチと火の粉が弾ける音と混ざる。天井を突き抜ける煙突から煙の塊がすっかり暗くなった夜空へと気持ちよさそうに吐き出されていく。エドウィンはまどろみつつ闇の中にフリアナの姿を思い描こうとしたが、あ

現地コーディネーター:第32話

 家に入るとウィンドレイザーが先導して案内してくれた。簡素なリビングスペースにナバホ•ネーションの国旗や、細かく織られた幾何学模様の絨毯、 周縁に羽飾りのついた平太鼓などが壁に飾られている。  彼は十年以上前に妻に先立たれて以降一人暮らしをしているらしいが、男やもめにしてはしっかりと管理が行き届いている印象だ。母が先立った らジェフはどうするんだろう、と考えるとエドウィンはゾッとした。 「あれは何のシンボル?」  キッチン脇に飾られた布製ポスターに記載された白黒赤黄の四色

現地コーディネーター:第31話

 モーターホームは砂埃を巻き上げながら閑散とした大地をぐんぐん走る。ひたすら真っ直ぐに続く赤土に囲まれた道を駆けるとまるで地球上に自分達しかいないような錯覚さえした。道の先には切り立った山々のシルエットが見え、その上を大きな鷲が舞っている。  デビッドは「ナバホ•ネーション」と記されたペンキの剥げた看板に一瞥をくれると、助手席に座ったエドウィンにこぼした。 「そう、この土地はオレ達のネーション(国家)なんだ。乗っ取られ、傷つけられ、アメリカに使い捨てられた国家」  デビ

現地コーディネーター:第30話

 無限の青さの真ん中で朝陽が燦々と輝き、その光の欠片がフロントガラス越しにカズマの瞼を突き刺した。眩しさに顔をしかめながらゆっくりと身を起こし、携帯を確認する。時刻はまだ朝七時だ。後部座席からはエドウィンの鼾が聞こえた。長時間のドライブと事故のせいで疲れていたのだろう。モーターホームの最後部にあるベッドルームではデビッドが寝ているはずだ。カズマは車からそっと降り、乾いた朝の新鮮な空気を吸い込んだ。  地平線の向こう側にくっきりと見える横に長いサンディア山脈はゴツゴツした岩肌

現地コーディネーター:第29話

 「お前は自分に流れた白人の血を意識する事があるか?」  カズマがモーターホームの外に出るとすぐにデビッドから質問が放り投げられた。エドウィンは多少面食らいながら答えた。 「こんな顔だから周りから外人扱いされることはあったけど…。もう慣れたし普通に日本人として暮らしてるから…。意識する時も無くは無いけど」 「俺も母が白人だったから保留区ではよく爪弾きにされたよ。ナバホ族の年配の多くは白人を恨んでるからな。母親は俺が小さい頃逃げるように保留区を出てったんだ。一人だけ『白い

現地コーディネーター:第28話

 薄暗い砂漠に赤茶けた岩山が時々現れては消えていく。高速道路に合流してしばらくするとやがてアルバカーキの街中に着いた。こじんまりとした平屋の店が立ち並ぶ。多くの建物は砂漠の都市らしく日干しのアドベレンガできており、落ち着いた雰囲気だ。 「この辺ならホテルもモーテルもたくさんあるよ。どうする?」  デビッドが尋ねると、カズマとエドウィンは自分たちの課題を急に思い出したように顔を見合わせた。間もなくデビッドがミラー越しに後ろの二人に提案する。 「それとも今晩だけこのモーターホ

現地コーディネーター:第27話

 突然頭を揺さぶる衝撃で、助手席のカズマは熟睡から目を覚ました。夢の続きを見ているような不思議な感覚だ。窓の外に目をやると砂埃が舞っている。車体は道路から五メートルほど離れている。隣のエドウィンはハンドルにしがみつくように前屈みになって青ざめた顔をしている。 「…事故った?」 「アルマジロを轢きそうになって。急にあんな物体が出てくるなんて思わなくて…避けようとしてハンドル切ったらコントロールがきかなくなって」  カズマは助手席のドアを開け外に出た。右側の前輪が完全に潰れて

現地コーディネーター:第26話

 ドアをノックする音が段々大きくなる。無視しようと夢の世界に逃げ込んでいたものの、鳴り止まないノックにカズマはようやく目を開けた。針で刺すような頭痛と乾ききってヒリヒリする喉。脳は水分補給の必要を訴えているが、身体がなかなか動いてくれない。  ふと思い出したようにベッドの隣を見る。リンはもういなかった。カズマは少しホッとし起き上がると、パンツ一枚でよろめきながらドアに向かった。 「グッド・モーニング!レッツ・ハブ・ブレックファスト!」  ドアを開けるとエドウィンが初めて

現地コーディネーター:第25話

 エドウィンとフリアナはマルディグラ最後のパレードの鼓笛隊をBGMにフレンチクオーターを歩いた。たった二日でこの街に愛着すら感じている。しかしこの華やかなパレードが終われば彼女と別れなければならない事を考えると、エドウィンは自然と彼女の指を強く握った。  カナル通りの電線には数日の間に飛び交ったビーズのネックレスがからまっており、彩りを増していた。通りの端の消火栓や交通標識 にも緑や紫や金色のビーズがぶら下がっている。  エドウィンはふと足を止めるとフリアナの顔を物惜しそ

現地コーディネーター:第24話

 深い海に沈んだように眠り込んだエドウィンはズキズキする頭痛と共に目を開けた。目の前に褐色の滑らかな丘陵があり、その頂上にコーヒー豆のような乳首がある。エドウィンはフリアナの裸の胸をそっと撫でた。二日酔いはひどいが、ずっと奥に閉じ込めていた頑固なできものが消えたような感覚があって清々しい気分だった。時計はすでに昼過ぎを示しているが、この甘美な時間をずっと味わっていたい。  エドウィンがそっと口づけをすると天使はゆっくりと目を開けた。エドウィンと目が合うと彼女は小さく微笑んで

現地コーディネーター:第23話

 目が開いて辺りを見回すが一瞬自分がどこにいるのかわからない。ベッドサイドテーブルに備え付けのデジタル時計が赤い点滅線で十時半を示している。ホテルのベッドはなんて快適なのだろうーカズマは天井に備え付けられ静止したファンをぼんやりと眺めた。長時間運転で疲れた体が少し軽くなった気がする。  体を起こし部屋のデスクに目をやると、昨夜描きかけでやめた絵があった。「自由である事を意識して描いた」感じが我ながら鼻につき、カズマはスケッチブックからそれを乱暴にむしり取ってクシャクシャに丸

現地コーディネーター:第22話

 フリアナが自分に触れる回数が増えている。ブラジルではごく普通のスキンシップなのかもしれないが、汗で少し湿った手が自分の首筋や頰を撫でる度にいちいち下半身が反応しそうになる。エドウィンは彼女に気付かれないようにこっそりポケットに手を突っ込んで物を抑えつつ、会話に集中するよう努めた。 「エドウィンは、普段休みの日は何して遊ぶの?」 「う~ん。友達と映画とかライブに行ったりとかかなあ」  何故か嘘をついてしまう。一緒に遊ぶ友達なんていないのに。  二人は他愛のない会話を繰り返