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現地コーディネーター:第25話

 エドウィンとフリアナはマルディグラ最後のパレードの鼓笛隊をBGMにフレンチクオーターを歩いた。たった二日でこの街に愛着すら感じている。しかしこの華やかなパレードが終われば彼女と別れなければならない事を考えると、エドウィンは自然と彼女の指を強く握った。

 カナル通りの電線には数日の間に飛び交ったビーズのネックレスがからまっており、彩りを増していた。通りの端の消火栓や交通標識
にも緑や紫や金色のビーズがぶら下がっている。

 エドウィンはふと足を止めるとフリアナの顔を物惜しそうに見つめ、感情を抑えるようにゆっくりと質問を絞り出した。

「他に僕に言ってないことはある?」
「それはもちろん。一日じゃ話しきれないわよ」
「恋人はいるの?」
「夫がいるわ」

 ショックを飲み込んだエドウィンの沈黙が長く続かないようにフリアナはすぐに続けた。

「…永住権取るためにね。私、違法滞在だったから結婚するしか方法がなかったの」

 エドウィンは図らずも湧き上がってくる嫉妬心に混乱した。
「一緒に住んでるの?それとも紙上だけ?」
「一応一緒には住んでるわ。それが彼との約束だったし、永住権の面接で細々と普段の生活の事を質問されるし。でもお互いに干渉もしないし愛も無い。あと半年で正式な永住権が取れたら別れる」

 エドウィンは一度離したフリアナの手をまた握り直すと、彼女を引っ張るように無言で足を進めた。

 昨日と同じミシシッピ川の畔に出てくる。二人は土手のベンチに腰を下ろして川を眺めた。大きな観光汽船がボーっと音を立てながら漂っている。汽船の排気は穏やかな水源に波をたて、そのさざなみが夕日をキラキラと反射させた。

「もしよかったら…このまま僕たちと一緒に旅をしない?」
 エドウィンは振り絞るようにフリアナに伝えた。

「それ本気で言ってるの?」

 エドウィンは深く頷き、口を開く。
「君のことが好きになったんだ」

 エドウィンの予想に反してフリアナの表情は曇っていく。
「それで、その後はどうするの?あなたは私を日本に連れて帰って面倒見てくれるわけ?それともあなたがニューオーリンズで仕事を見つけるの?」

 エドウィンには返す言葉が見つからなかった。

(先のことはわからない)
(今のこの気持ちは本気なんだ)
(お金のことなんてどうにでもなる)

 そんな思いは彼女のように生きてきた人間に対してはとても軽薄すぎるように感じられ、口には出せなかった。

「あなたと過ごした時間は楽しかったし、それでいいじゃない」
 フリアナは自分を見つめるエドウィンから目を逸らし、汽船の方を眺めながら呟いた。

「あなたのミッションは旅をこのまま続けて、それを一生の思い出にして日本に帰る。その思い出の中にずっと―少しだけでもいる事ができたら―私はそれで嬉しいわ」

 フリアナは奥歯を噛み締めて精一杯の笑顔を作り出していた。エドウィンのぎこちなさを見つめるその目は今までにありとあらゆる苦悩を味わい、それを肯定してきたのであろう慈愛に満ちていた。

 エドウィンは彼女を強く抱きしめた。この抱擁が終わらない事を祈ったが、それは数秒で叶わないこととなった。

「私そろそろ行かなくちゃ。バイバイ!楽しかったわ!」
 フリアナは急にエドウィンの体を解くと、出会った時と同じような能天気さで手を振り、エドウィンの反応も待たずに歩き去っていく。エドウィンはフレンチクオーターの中心に彼女が消えていくのを呆然と眺め続けた。これでいいのだ―エドウィンはそう自分を納得させ、自分の首筋に残った彼女の涙の粒を拭った。

          *

 飲み過ぎたリンはホテルのベッドの上で気を失いかけていた。ベッドサイドテーブルの上で携帯が地鳴りのように響く。

「もしもし」
 リンが苛立って反射的に携帯を取り応答すると、数秒の沈黙の後にすぐ切れてしまった。それが自分の携帯ではないことに気づいたが、自分は夢を見ているのだと都合よく解釈し、元の位置に戻した。そして厚手のセーターとヒートテックを床に脱ぎ捨てて、下着になってベッドの中に潜り込んだ。

 悪酔いを少しだけシャワーで流したカズマが腰にタオルを巻いてバスルームから出てくる。そしてベッドの中に隠れたリンに話しかけた。

「アスピリンとか持ってない?」
 リンの返事はない。そしてふと脇に置かれた携帯を手に取った。シャーロットからの着信履歴が一件…いや、これは通話履歴だ。カズマは掛け布団の上からリンの体を揺さぶる。

「オレにかかってきた電話、とった?」
 カズマはもどかしげに掛け布団を彼女から引き剥がす。
「オレの電話に出たか、って聞いてんだよ!」

「…ごめんなさい。自分の携帯だと思ったの」
 リンはようやく、怯えたようなか細い声で答えた。

「ファック!」
カズマは動揺してしばらく辺りをうろついてからバスルームに戻り、大声で叫びながら壁を殴った。そして三度ほど深呼吸をして、シャーロットにリダイアルするが、呼び出し音もなく留守電に直行だ。きっと電源が切られているのだろう。

 カズマは再びリンのいるベッドルームに戻り、昨日スーパーで買った安ウィスキーを備え付けのグラスに注いで勢いよく飲み干した。身体が脳天から一気に熱くなってくる。

「もう酔っ払ってんだかハイなんだか、狂ってんだかよくわかんねーな」

 カズマは大声をあげると、シーツで体を隠しながら心配そうに見ているリンの視線と目が合う。

(こんなクソみたいな俺はどうにでもなればいい)

 カズマは心の中で毒づいた。目の前のリンの顔が歪んでゆらゆらと霞みながら揺れている。さっきの墓場の幻覚がフラッシュバックしてきそうだ。

 カズマはやけ気味にリンに覆い被さった。そして彼女の体を弄り始める。彼女から甘い吐息が漏れてくる。
「もう少し優しくして」

 リンの顔がシャーロットの顔と重なってくる。カズマはその幻影を打ち消そうと頭を左右に大きく振る。頭が割れるように痛い。リンの性器に指を伸ばす。既に湿っている。中に入ろうと自分の性器を掴むが、硬さがない。

 歪んだ彼女の顔ははっきりとシャーロットそのものになる。初めて体を重ねた夜の恍惚とした表情。その瞳から感じられる慈愛と母性。そのイメージは数秒でスッと消え、同時にリンの不安げな顔が現れた。リンの体に触るほどに吐き気が込み上げてくる。カズマは思わずトイレに駆け込んだ。

 便器にうずくまると今度は遠慮なくすぐに胃の中身が吐き出された。それはカズマに束の間の安堵感を与えた。便座を抱え込んで吐瀉物の混じった唾を吐き続けると、さらに嘔吐が込み上げて来る。

 心配したリンがバスローブを羽織って入ってきてカズマの様子を覗き込む。そしてカズマの背中をさすりもう一回吐かせると、コップに水を入れて飲ませ、彼の濡れたドレッド頭を優しく撫でた。

「大丈夫よ、全部出しちゃいな」
 その声はまた母親の声と重なった。カズマは朦朧とした意識の中で神に祈るように手を組みながら掠れた声で言葉を絞り出した。

「オレが悪いんだ。全部オレが悪い。I'm sorry. I'm bad, I'm bad. ごめん
なさい。全てオレのせいなんだ」

 カズマはまた嘔吐した。そして目の前が真っ暗になった。

第1話〜第24話👇


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