見出し画像

現地コーディネーター:第33話

 ホーガン内の固めた土の床にペンドルトンのブランケットを敷き、エドウィンは横になった。薪をくべた暖炉のおかげでようやく少し中が暖かくなってきたところだ。結局一時間以上続ける羽目になった薪割りのせいで身体中の筋肉が痛い。 

 ウィンドレイザーの家の方角からはナバホ語の話し声が聞こえ、パチパチと火の粉が弾ける音と混ざる。天井を突き抜ける煙突から煙の塊がすっかり暗くなった夜空へと気持ちよさそうに吐き出されていく。エドウィンはまどろみつつ闇の中にフリアナの姿を思い描こうとしたが、あれだけ印象的だった笑顔を思い出す事ができない。

 このまま夢の世界に飛び込めばもう一度会えるのかもしれない…。

「おい、まだ寝るのは早いぞ」
 勢いよく木の扉を開けて入ってきたカズマの低い声がエドウィンの鼓膜を撼わせた。エドウィンは舌打ちをするがカズマは構わず続ける。

「人が集まってるんだ、挨拶だけでも出てこいよ」
 カズマは返事も待たず、エドウィンを包んだブランケットを剥ぎ取った。エドウィンは仕方なしに身を起こした。

 カズマはエドウィンを先導してウインドレイザー宅の「裏庭」つまり見渡す限り広がる境界線のない不毛の大地に連れていった。ナバホの家族が何組か集まり大きな炎を囲んでいる。大きなターコイズの装身具に身を包んだ老婆が赤ん坊を抱きかかえてあやしている。小学生位の子供達は炎の周りを躍動的に駆け回っている。

 炎から少し離れたところには折りたたみ式の長テーブルが置かれ、そこに大きな寸胴と紙皿やプラスチックボウルが載っている。テーブル脇では中年の夫婦がウインドレイザーと雑談しており、カズマはエドウィンの腕を引っ張り紹介した。

「これがエドウィン。こちらがレイチェルとジムだ」
 エドウィンが照れ臭そうに握手すると、隣のウィンドレイザーが紹介を引き継いだ。

「彼らは隣近所だ。日本とニューヨークから旧友が来ると言ったらとても会いたがったのでちょっとした集まりでも開こうと思って。あそこで走ってる小さな子の誕生日祝いも含めてね」

 ウィンドレイザーが話を続けようとすると家の方でクラクションが鳴る。ピックアップトラックの中から屈強そうな大柄の若者が二人出て来るとウィンドレイザーはそちらに悠々と歩み寄り、大きなハグを交わした。エドウィンは少し気まずそうにカズマに尋ねた。

「もしかして、僕のために皆集まってもらった感じですかね?」
「そんなこと気にしないでとりあえず飯を盛りな」

 エドウィンがギトギトと油の浮いたマトンのスープをプラスチックのボウルに入れていると、カズマはふわふわのナンのような生地に、煮込んだ黒豆と乱切りのレタスとトマト、そしてひき肉と千切りのチェダーチーズを載せている。

「ナバホタコスって言うんだ、うまいぞ」
 エドウィンはその巨大なタコスを受け取ると、炎の明かりの当たる範囲に座る場所を探した。そして先程のレイチェルとジム夫妻が近くに座ったのを見つけると、エドウィンは軽く会釈をし、その近くにパイプ椅子を置いて腰をかけた。ジムの足元にある直径三十センチ程度の縦長のネイティブドラムがエドウィンの目を捉えていた。
「美しいドラムですね」

 ジムは隣の妻の手を握りながらにっこりと答える。
「ありがとう。バッファローの本皮でできているんだ」

 ジムがドラムを軽く二発ほど平手で叩くと乾いた音が夜空に鳴り響く。
「叩いてみるか?」

 エドウィンは滅相もないと言わんばかりに顔の前で手を左右に振る。どうやらその仕草がおかしいようで夫婦は顔を見合わせながら揃って吹き出した。アメリカでは「臭い」という合図らしい。笑い止むとジムは和んだ表情でエドウィンに微笑み、ゆっくりとドラムを叩き始めた。どっしりした律動は乾いた空気に乗せられてエドウィンの寝ぼけた頭を覚醒させる。ふと後ろから声がする。

「我々にとってドラムの鼓動は大地の鼓動なんだ。大地の鼓動は心臓の鼓動。ドラムの円は地球や生命そのものを表しているんだよ」

 振り返るとウィンドレイザーが立ってエドウィンに微笑みかけている。その慈愛に満ちた表情はきっと多くの人々の心を和ませてきたのだろう。

 両脇にはさっきトラッから出てきた大柄の二人組が同じくドラムとパイプ椅子を携えて控えていた。二人とも似た背格好と服装であり、二人とも長い髪を後ろで結わえている。

「俺はジョージでこいつは弟のポール。見ての通り俺たちはビートルズだ」
 定番なのだと思われるジョークにエドウィンは愛想笑いをし、差し出された握手に応えた。

「君たちは日本から来たんだろ?」
 エドウィンが頷くとジョージは感心したように切れ長の目を大きく開いた。二人とも肌の色こそ多少濃いものの風貌はどこか日本人ぽく、親戚にいてもおかしくないくらいだ。

「何でみんなドラム持ってるの?いつも持ち歩いてる訳じゃないでしょ?」
 カズマがふと物珍しそうに尋ねると、ウィンドレイザーが答える。
「その通り。本当はセレモニーの時に使うんだけどね、今日は特別に頼んだんだ。ジェフにもお願いされてたしね」

 エドウィンはなんだか恐縮してしまう。相変わらず余計なお世話をする父親だ。

 ナバホのビートルズ兄弟はいつの間にかパイプ椅子に座り、先のジム夫婦と談笑を始めていた。エドウィンはカズマの方に向き直る。

「みんな普通のアメリカ人みたいな名前なんですね。すぐ忘れちゃいそう」
「『ダンス•ウィズ•ウルブス』みたいな名前がついてるとでも思った?」

 馬鹿にされた気がしてエドウィンは口を尖らせるが、実際少しそう思っていた事実は否定できない。

「でも、なんでウィンドレイザーだけそんな名前?」
「…わからんけど、ウィンドレイザーはウィンドレイザーだよ。アメリカ名もきっとあるんだろうけど」

 カズマも初めてその矛盾に気づいたように首を少し傾げた。
 二人の脇で突然ドラムのセッションが始まる。ゆっくりしたジムのリズムを煽るようにナバホ•ビートルズが早いテンポで追いかける。合わせるようにジムがテンポをあげると、その響きに子供達が燃え盛る炎の周りを跳ね始めた。タタタタタン、タン、タン、タタタタタン、タン、タン。エドウィンも頭の中でそれに合う自分のビートを想像した。タタン、タタン、タン、タン、タン。

 ナバホの男三人のドラム•ループは少しずつリズムや音色を変え、揃って高みへと向かっていく。それは聴く者に時間と空間の感覚を失わせて酩酊に近い感覚を与えた。息のあった三つの異なる音の掛け合いは睦み合う男女のように空中で絡み合い、トランス状態の様相が数十秒続いた。三人は示し合わせたように最後の音を同時に鳴らすー周りで見守るナバホの家族たちはまるで有名ロックバンドの名物ギターソロが終わった後のように拍手を送った。

 宙に浮かんだままの音の余韻をぼうっと見つめるエドウィンの手元にドラムが差し出された。エドウィンが驚いて顔を上げると、目の前のジムが口元に少しだけ微笑を浮かべながらエドウィンの目を挑戦的に見つめている。プレイしろという事なのか。

 エドウィンは一瞬ひるむが、実際のところ大分好奇心をそそられていた事は否定しようもなく、そのドラムを黙って受け取った。そして見様見真似で彼らと同様にドラムを太腿の間に挟み、試しに軽くドラムの縁を叩いてみる。ポーンと気持ちのよい乾いた音が闇に響いた。

「基本のリズムは僕らが叩くから君は感じるままに叩けばいい。何もかも頭から一切消し去って、君の心が感じる鼓動と僕らの鼓動を調和させるんだ」

 容赦なくすぐにナバホ•ビートルズのドラムが鳴り始める。まるで愛撫するような静かで細やかなタップ。エドウィンは目を閉じて自分の入るタイミングを探った。二つの静かなドラム音がループしながら距離を縮めている。そしてその二つの音が段々と大きくなり一つに重なった瞬間、エドウィンは本能的にドラムの中心を勢いよく叩いた。周りから歓声が上がる。二人はエドウィンの一喝に煽られたかのように強めのビートを刻み始める。

 眠っていた細胞が覚醒していくのをエドウィンは感じた。グルーヴを完全に掴んだエドウィンはようやく目を開けた。炎の回りでは子供達が気が触れたように飛び回り、キャッキャと心からの歓声をあげている。気づけばそこにカズマが加わり、子供達を持ち上げたり振り回したりしながら、ドレッド頭を宙になびかせていた。地球の鼓動―心臓の鼓動―宇宙の中にいるたった一人の自分―世の中を取り巻く複雑で不可思議な事象が全て一つになる。

 エドウィンは一心不乱にドラムを叩き続け、無限に続く時間の中で音の旅を始めた。

         *

 一足先に踊り疲れたカズマは炎の輪からこっそりと抜け、少し離れた暗闇にひっそり佇む大きな岩の上に腰を下ろした。そしてタバコを巻き、デビッドが話した事を考えた。今なら自分を取り巻く様々な物や人にうまく感謝ができるだろうか。ゆらめく炎の近くで一心不乱にドラムを叩いているエドウィン。エドウィンを自分の元に送ってきたジェフ。ジェフに紹介されて自分を導いてくれたウィンドレイザー。

 感謝の気持ちなんて意識しないとなかなか持てない。だからこそ煙草は思い付いたんだろう、その機会を自分が作ろうと。燃え盛る炎を遠目で眺めているとなぜかすんなりと合点がいった。

 三人の息の合ったドラムの律動に踊らされるように火の粉がパチパチと夜の闇に舞い上がり、空一面に広がる巨大な星々に合流する。

 カズマは立ち上がるとどこまでも続く闇の奥へとゆっくり歩き始めた。ドラムの鼓動はどんどん遠ざかっているはずなのに、より力強くより確実に自分の心臓に食い込んでくる。そして自分が一歩一歩踏みしめる大地の包容力を足先に感じた。後ろを振り返るとすっかり遠ざかって小さくなった炎の揺らめきだけが火の玉のように宙に浮かんでいる。

 さらに歩を進めると辺りは完全な闇に包まれた。足元の土の色ももはや判別できず、その踏みごたえだけが自分がまだこの地球にいる事を実感させる。空の星の数はさっきよりもずっと増えている。向こうにも自分と同じようにこちらの星を眺めている生物があるはずだ―カズマはそう確信した。

 ふと何かがカズマの脇を走り抜けた。カズマはその物体の行方を凝視し、ある時点で動きが止まったのを見ると、そちらに向かって足を進める。その物体は暗闇に佇む巨大なサボテンの向こう側で蛍のような淡い光を放っている。カズマはそのサボテンの向こうに周りこむ。そして宙を泳ぐ真っ赤な魚を見た。その魚は真っ直ぐにカズマの瞳の奥を見つめている。

 その見透かしたような眼差しに腹が立ち、カズマはその魚を掴もうとするがそれは手をすり抜けてゆく。カズマは余計躍起になって追いかけるがそれは巧みに動き周り、中々距離が縮められない。何メートル走っただろうか―カズマは次第に息が切れ、その場に座り込んで無数の星をのみこんだ夜空を見上げた。

 こんな所で寝てはいけないと思いながらも眠くなってくる。無限に続く空と大地の間にいる自分を認識すると魚の事などどうでもよくなってきた。自分は今ここで息を吸い、地球と宇宙の存在を全身で感じている。それ以外に何がいるんだ?カズマは先ほど巻いた煙草に火をつけた。そして今まで自分の人生で記憶に残る全ての人々の事を片端から思い出しては煙を吸い、祈りを込めて吐き出した。

 消えたと思った魚が突然まばゆい赤い閃光を放って自分の方に向かってくる。カズマが気付くより先にその魚は自分の胸元に飛び込んだ。魚はカズマの体内で得体の知れない物体に姿を変え、春風のような暖かさが心臓から爪先まで伝わっていく。その物体は柔らかく、今まで一度も感じたことのない安心感があった。ふと温かい液体が頬を流れた。それが自分の涙であることにカズマはしばらく気づかなかった。



この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?