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発言のバリューでしか勝負できない時代へ

ーーじゃあ、リモート会議で。

TVでも定着したかのように見えるリモート文化。当然我々の生活や仕事にも影響はしてきていて、リスクを鑑みれば欠かせないものになってきた。

割高のコンデンサーマイクを購入し、zoom体制をばっちり整えても、それでも、できればリモートはしたくない。

なぜなら…疲れるから。

そんなリモート疲れな40歳です。皆さん、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。


もう浸透しまくっているから、リモートに対しての機能性などの議論の余地はあんまり無い気もするけど、リモートは『繋がっているのになぜか孤独』を感じる瞬間がある。

なぜか?

きっと答え合わせがし難いからだろうと思う。対面なら相手の仕草、相づちのタイミング、会話の温度を感じることができるけどリモートだと難しい。自分の発言が相手に刺さったかどうか?この手触り感がイマイチ無いのだ。だから通じ合った実感がなくどこか孤独を感じるのだと思う。




広告の世界もリモート文化は影響大だ。

特にイベント業界はコロナの被害が大きい。なにせ対面で仕事ができない。当たり前にフィジカルコンタクトできていた世界が、ある日突然消える。こんなこと誰が想像できただろうか。


だから、広告会社やイベント会社は猫も杓子も『リモートイベント』を企画しようとする。

そこでクエッションが立つのが、フィールドが変わっただけの(他は今までとまるで同じ)前提で準備されるオンラインイベントだ。今まで伝わっていた価値観が手法を変えてもそのまま伝わるというのは、ある種傲慢な考えのようにも思う。


イベントは、これまで対面や会場が作り出す『雰囲気』とか演者や発言者が持つオーラを増幅させる装置であった。より伝わるようにーーその道のプロが試行錯誤が光っていた。

オンライン(リモート)になると、どうだろう。

今まで何となく凄いなと思っていた人にオーラを感じなくなり、人間としてのスケール感が自分と等しい感じがしてこないだろうか。

普段会話すらできない有名人でも、オンラインイベントで対面すると…アレ??普通の人やん。ということもしばしば。熱狂が冷めたことがある。

だから、『同じ』前提でイベントを考えるときっとコケるし、ユーザーの冷め方はジェットコースターのようだと思う。


とある企業のリモート会議では、社員が社長にビシビシ発言ができるようになってきてるという。これはいい例で、リモートだから雰囲気とか凄みとか怖さとか、今まであったレイヤーがことごとく機能しなくなっているからだ。


これを産物と取るか影響と取るかは面白い部分だけど、つまるところ発言のバリューでしか勝負できない時代に突入したんだと思う。


WebやSNSが主戦場となった今、オンラインは真剣勝負の言論空間である。


今まではリアルで「なんとなくいいもの」を伝えることができていた。最後はリアルで何とかすればいいという帳尻合わせも出来ていた。でも、これからはオンラインでwebで、まずは完結できるマーケティングを設計しないといけない。


冒頭言ったリモートの疲れは、瞬間の判断が莫大に増えたからだと思う。五感で感じれないから、確かめることができないから、だから消耗する。

だから大切なのは、いかに相手(ユーザー)の負荷を減らせるか。そんな視点。


テクノロジーに溺れて、それを見せびらかすようなコミュニケーションは見限られてくだろう。いつもより丁寧な寄り添いこそ、今オンラインに求められていることである。

今まで以上に信頼性の可視化が求められるシビアな時代になったとイベントの担い手は受け止めなくてはならない。そして、その手段や手法にこそ生き残れる道があるようにも思う。


今後は、大義ある巻き込みや社会や誰かのためのビジネスが生き残ると言われている。誰がためのコミュニケーションであるべきか、もっと考えれることはあるはずだ。


※写真はとあるお料理屋さんの箸袋の裏書き。真意を読めた時、粋だなぁと唸りました。

たしかな満足を(´ε` )