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「こだわり」を捨てずに作品も作者も報われるにはどうすればいい?

今回のブログは制作においての心の葛藤・辛さ・己への問いかけなどを吐露したものです。

今、恋本の電子書籍版を作っているがこれまでになかったほどメンタルにきている。正直、しんどい。作業がしんどいのもあるが、それ以上に

紙の本と同じ再現性を電子書籍に持たせることが不可能に近すぎて、そのことが作者として心にダメージを感じている。

ここ数日、恋本の電子版への作成に取り掛かっていたが、どうにもこうにも納得できない。ただ納得できないなら納得できるように作ればいいのだが、「どう足掻いても紙の本と電子書籍は同じにはならない」ことにどんどん気持ちが落ち込んでいくのだ。

日が経てば経つほど、紙の本とは違う電子版のプレビュー画面を見て
「違う……。そこで改行じゃないし、そこでページ送りじゃない」
と気が沈んでくる。
気持ちがしんどいので夜中のThreadsに吐露したりもしていた。

漫画や写真集、イラスト集や絵本など、1ページそれ自体が「1枚絵」として成立しているものは、そこに文章があっても「1枚の画像=1ページ」としてページが固定される。
漫画を想像してもらえばわかりやすいが、1ページが1コマでそこにあるセリフが1つだけであっても、1ページに6コマあってそこに複数のセリフがあっても、「1枚(1ページ)の画像データ」として固定される。
任意のページのコマが途中で切れて次ページに跨ったりしないのはそういうことである。

だが、文章は「流れるもの」なのでそうはいかない。
電子版になると紙の本には無かった改行やページ送りが生じたりする。
紙の本だと1ページ内にまとまっていた文章が、電子版だと次ページに跨って表示されることもある。
そういう意味だと紙の本は、作者の意図や制作側の意図を「どこで・誰が手にしても100%同じ再現性を保ってくれる」ので、作者や制作側の意図通りに制作できる。

より紙の本に近い再現性を電子にも与えたいと思って苦心して原稿データを作っても、読む人の端末(パソコン・タブレット・スマホ・その他)や、その人の表示設定(フォントの大きさ等)によっては崩れてしまう。
もちろんそれは利便性のもと変更できる設定である(老眼の人なら大きなフォントの方が読みやすい等)。
が、作り手として「ここで区切って次ページに行きたい!」と計算して作ったものなどが再現されない可能性があり、これが悔しいのだ。
「こう見せたい」と作った作品が意図しない改行やページ送りで読者の元に届く可能性があり、それによって作品の印象も少なからず変わることを作者として納得できるのか、という自己への問い掛けが生じるのだ。

これを防ぐ方法として、「固定レイアウト」というものがある。
ページの崩れを起こさないよう、ページごと固定して表示しましょう、という手法だ。
かつてはAmazonKDPでも固定レイアウトでの出版が文章作品でも多かった時期もあった。
が、現在AmazonKDPでは文章作品に対しての固定レイアウトの目が厳しくなっている傾向があるようで、固定レイアウトで出版したのち突然出版停止を言い渡されるケースなどもあるらしい。
あくまで現時点での傾向なので今後変わることもあるかもしれない。

自分でも不思議で不可解なのだが、私は今までの3作(冊数にして4冊)は紙の本だけでなく電子版も出してきた。
その時には、今感じているような葛藤は無かった。
4作目の恋本にだけ特別な思い入れがあるというわけではない。
なのに何故、今回の『恋 時々 怖』の電子化にこんなにも葛藤を感じ心が疲弊するのか自分でもわからないのだ。
紙の本を出した後で電子書籍化する、とここnoteやSNSでも発信したが、もういっそ撤回して恋本は紙の本だけにしようかと何度も何度も、何日も何日も、電子版を作っている最中ですら考えた。

「紙の本と電子書籍は本文が同じであっても、別物であり別作品」くらいの気持ちで臨まないと、今の私は正直心がしんどい。
もしかしたら同じような気持ちを少なからず感じた経験のある作者の方もいるかもしれない。
「紙の本と同じにはならないけど……仕方ないよね」と。


かといって、電子版を「紙書籍の劣化版」だと自分で思ってしまうような出来にするつもりはないし、したくもないのだ。
それは自分自身と、自分の作品への冒涜だ。
そんなものを出すくらいなら、いっそ出さない方が作者としてはよほど納得だし満足だし幸せだ。
おそらく心が納得するとすれば、
「紙の本は紙の本。これは電子版で紙の本と書式や設定は違うが、電子版という新たに独立した形で良い作品になった」
と感じられるものが作れた時しかないだろう。

『恋 時々 怖』にも、電子版を作ってやりたいと思っているのだ。
他の過去作品にはそれぞれ紙の本・電子書籍と2種類あるので、恋本にも出来れば同じように紙の本と電子書籍の2種を作りたい。
何故ここにきてこんなにこだわり始めたのか自分でも意味が分からないが、電子版が出来た時は『恋 時々 怖 バージョン2』が完成した、という事になると思う。
はっきり言って、紙の本とは違う。
それは恋本に限らず、しぶき本にもw本にもリキ本にも言えることである。
紙書籍と電子書籍の両方を読んで下さった方は「同じ本だったよ?」と思って下さるかもしれない。
私自身は「同じ本ですがバージョンが違う別物なんです」と認識している。

どうしても違う。
それは自分の本だけでなく、自分が好きな作家の本、自分が好きな漫画家の本を読んでも感じざるを得ない。
映画館で観る映画と自宅のテレビやパソコンで観る映画が違うように、同じだが違うのだ。
その違いを認め、「別の品」だと認めないと、作れない。
ここまで書いて思ったが、「同じもの」にしようとすればするほど苦しみが続くだろう。
もちろん「紙の本と同じ再現性をより追及」しないといけないのだが、その上で「けして同一にはならない。今から作るものは別のもの。これを良いものにする」と頭を切り替えなければ、不可能を追う苦しみに囚われる。
そういうことだな。
「こだわりを持ちつつ、切り替えろ」ということだな。

はーなんで今頃この葛藤なんだろうね??
それが一番の謎。


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