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それはきれいごとであり、

「生涯の相手と幸せになるのに、ゲイとかそういうの、関係ないよ」
 金色の大きいフープピアスが揺れる。男女でも恋愛が上手に進まないことはあるし、結婚という制度がとれているからといって幸せっていうわけでもない、子供が欲しければ養子をとればいい。結局はその二人の問題だよ、ていうかいつもあなたがそう言ってるじゃないと、その女は白い歯でにかりと笑い、マグカップをテーブルにおいた。白い肌と大きな口に、赤い紅が映えている。

 うるさい、そんなのきれいごとだ。すぐにそうは思えなかった。生涯の相手と幸せになるのに、ゲイであることは関係ない。そう思っている。それでも快闊に笑う彼女の言葉に、いささかの怒りを感じた。生涯の相手と幸せになるのに、ゲイであることは関係ない、そんなのきれいごとだ。本当はそう思っているのだと気付いたのは少し時間が経ってからだった。

「そうだよね、なに弱気になってんのかな」
 ゲイであることは人生における大きな障壁だ。こと恋愛においてもそうだ。たとえば多くの男女は、生涯の伴侶と添い遂げることをどこか当然だと感じている、一方でこの村ではその前提から違う。浮気やセックスに対する価値観、ハードルもまるで違う。それらが一致する相手と結ばれたとして、外で手をつないでデートするのか、親や友人に関係を開示するかどうか、目線合わせが必要な項目がずらりと並ぶ。昔に比べればだいぶましになったと言うが、一緒に住むとして男二人で部屋を借りるには物件の母集団が限られていることもこの身をもって知った。結婚という制度の牽制がないことも異質だ。当然に二人の血のつながった子供は授からないし、養子だって、男二人に育てられる子供は幸せなのか、それを含めて素直な人物に育てることはできるのか、考えることが山ほどある。そもそもであるが、出会いの場が限られている。男女でもぶつかる障壁かもしれないが、不安になるには十分すぎる要素がそろっている。

「ごめん、私が言ったこと、強く生きるためにあなたが言う言葉であって、まわりが言う言葉じゃなかったね」
 そう言って彼女はまた笑った。
 生涯の相手と幸せになるのに、ゲイであることは関係ない。それはゲイだけど幸せになると決めたぼくの言葉であり、強く生きるための意志、剣であり盾だ。そしてこの言葉を支えているのは、他でもない数えきれない程の不安である。それを何も知らない異性愛者に言われたことに、どうしても笑顔を返せなかったのだ。
 彼女の言葉に、心が軽くなった気がした。

「謝らないで、全然気にしてないから」
「うそよ、あなたほどわかりやすいひとはいないわ。顔にかいてあるのよ、それもあなたの魅力のひとつね」
 私の知らない世界で生きているのに、無神経なこと言ってごめんなさいと、今度は真剣な顔でぼくを見つめる。そしてまたにかりと笑うのだった。そういうところが彼女の魅力だろう。どんなにお互いのことを知っていても、ふれてはいけない領域にぶつかってしまうことはある。気の置けない仲であるからこそかもしれない。どんなに仲が良くても、相手のことを感じ、必要な言葉を渡すことができる。この心地よい距離感が、ぼくとこの女をつないでいるのだろう。

「大丈夫、あなたはもっともっと幸せになるの」
 生涯の相手と幸せになるのに、ゲイであることは関係ない。それはきれいごとであり、ぼくの強い意志だ。当たり前だよ、ぼくがもっともっと幸せになることは、すでに決まっていることだよと返した笑顔は、ぼくの生き方を肯定してくれている気がした。


 はやかわです。
 読んでいただいてありがとうございます。嬉しいです。
 前の彼と別れて、次の出会いに向けて奔走中です。ぼくが幸せになることはすでに決まっているのですが、それでも不安がちらちら顔を見せますね。

 男女の恋愛と変わらない、っていうのはやっぱり受け入れられないかもしれません。男女の恋愛と変わらない面もある、くらいがぼくにはちょうどいいかもしれません。

 文中ではパートナーと生涯寄り添うことを幸せと呼んでいますが、これはぼくにとっての幸せであり、それが普遍的な幸せであると主張する趣旨ではありません。セクシャリティ関係なく、そのひとにはそのひとの生き方があります。それはだれからも否定されるべきものではありません。

 以上です。よろしくお願い致します。


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