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なにもおかしくない

 はやかわです。

 冬、冷たい風がふいて今日は寒いなと感じるとき、ああいま生きてるんだなって感じます。夏の蒸し暑さに汗を滲ませるとき、ああいま生きてるんだなって感じます。朝、目が覚めて、今日も生きててよかったって思います。夜ふとんにはいるとき、今日も生きててよかったって思います。そのどれもが嬉しくて、ついにやにやしてしまいます。

 桜の花が苦手です。いやな思い出があるわけでもないし、その造形がきらいなわけでもありません。そして桜の季節が終わると、少し安心します。
 ぼくは桜に、満開を期待してしまいます。もしくは、桜はひとに、満開を期待されています。たとえば三月下旬、満開になっていない桜を見て、まだかなあと思います。たとえば四月上旬、葉桜になり始めている桜を見て、いびつな印象を抱きます。
 そういう気持ちに、窮屈さを感じます。満開の桜じゃなければ意味がないと感じる自分自身の感性の欠如が恥ずかしいのか、満開の桜を見なければいけないというプレッシャーを感じているのか、そう思われている存在が身近にあることに対して居心地の悪さを感じるのか、そのすべてだと思います。
 桜の花がすべて散ってしまうと、それは桜であることを忘れられて、そこにたっている木にもどります。そこにたっている木が、ぼくは好きです。

 この冬から、ちいさい観葉植物をおいています。薄々感じてはいたのですが、ぼくはどうやら、観葉植物が苦手なようです。
 部屋の中に緑があること、とても心地がいいです。水をあげる時間も好きです。かわいいなと思います。生きている植物なので、かれらは育ちます。一方できっとぼくは、これが苦手なんだと思います。ぼくの家に、ぼく以外の生きているものがいることを感じるのが、怖いなと思うときがあります。

 なにを考えても、なにを感じても、それはぼくです。なにを考えても、なにを感じても、それはあなたです。なにもおかしくありません、ただあなたらしいだけです。ただ、ぼくらしいだけです。

 以上です。よろしくお願い致します。

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