見出し画像

父が亡くなって1年。当時ぶつぶつ綴っていたメモです。

父を看取ってから、今日で丸1年経ちました。
いまだに膨大な建築関係の蔵書を整理できず。このシミだらけの古書たちをどうすんべ、、と頭を悩ませています。(みなさん、親の本ってどうしてますか?)

父が亡くなっても変わらず健やかな日々を送っています。よく笑いよく食べてます。こどもからは「何でそんなにあっけらかんとしてるの?」と言われます。
ただ、自分としてはこの1年、ゆっくり息を吐き続けているような、海の底にいるような感覚がずっとありました。未知の感情をいくつも体験して、大事なことほど言葉にできなくなって、まるっと抱えたまま自分の中に寝かせていたかんじです。

この感覚こそが父からもらった最後のプレゼントかもしれません。寡黙な人だったのに、妙に後を引くもんを残すんだよな。

彼が亡くなる前後にぶつぶつ綴っていたメモを、すみませんが共有させてください。箇条書きで読みにくいんですけど、当時の切れっ端のままに。
成仏のプロセスだと思って読んでいただければ幸いです。(わたしの気持ちの成仏です。父はとっくにあっちに馴染んでいると思います)


看取りの最中

わたしたちは、これから父の「老衰」を目指すことにする。点滴にも心電図にもつながれない最期。この決断を、自分で受け入れることができるのかな。

・・・
父が最期を迎えることを受け入れるのがしんどい。胃瘻をやめる判断が辛い。「胃瘻やりたい?」と聞いたら本人が「やらない」と言ったため、わたしの判断で父の命を止めるという重たさからは逃れられてほっとした。けどそれでも自分が積極的に「死なせる」判断をしているのではないか。

・・・
ホームドクターから「いいかんじです、とても楽な状態です」と言われて、救われた。いいかんじというのは、苦しまないで死ねる状態ということ。よく考えたらとても怖い。わたしの価値観では、苦しませたくないのが死んでほしくないより勝っていることを確認する。

・・・
実家に泊まる。夜を一緒に過ごすことで、両親の暮らしの多くのことが分かってくる。父はどんな寝苦しさなのか。どんな音を出すのか。母のトイレの頻回程度や、へんな時に食べてるクセや、「やってるよ」といってやっていなかったことも丸わかり。夜を越えてみないと分からないことがこんなにあるんだ。

・・・
寝たきりで言葉がない状態でも、本人に想いや願いがあることが分かってしまった。首の1ミリ2ミリの動きの中に意思が読み取れる。それに応える。
応えながら、療養型医療施設に入っている寝たきりの高齢者たちにも意思があるんだろうと想像する。意思を汲もうとしてくれる人が隣りにいないで、己れに閉じ込められている人がいるんだろうと想像する。

・・・
父はわたしに世話をされることを、どう思っているかな。最初はわたしの方が緊張したけど、淡々と受け入れている父にホッとする。
わたしはこどもに陰部洗浄してもらえるか?もらいたいか?ヤだろうなあ。でもどうしようもなくなったら頼るのかな。その時、申し訳なくていたたまれないか、身を任せることができるか。ぼけの深さにも、こどもとの関係にもよるんだろう。いま想像はできない。

・・・
訪問看護師の𠮷村さんに髪を洗いヒゲを剃ってもらい、リハビリの北村さんに手足を動かしてもらうのを見て、正直ハッとした。もう何日の命か分からない時なのにこんなことをするんだ、って。知らないうちに、父を通常の暮らしから分け隔てていた自分に気づいた瞬間。

・・・
父にあまり会いたがらない下の娘。無理に会わせなくていいと思う、と吉村さんに言ってもらった。とても寂しいが、彼女のなにかの感性で判断しているんだろう。仕方ない。
そういえば以前南房総の家に来た小学生が、古民家の我が家を見て「おばあちゃんとか居そうで怖い」と言ったのを思い出す。おばあちゃんって、おばけと同等?つまり、父も?

・・・
天井は大事。寝たきりの人たちがずっと見る風景だから。うちの天井が日に焼けた檜材でよかった、この色ならいいね、と父を見ながら強く思う。

・・・
けっきょく父はひとりで逝った。最後の下顎呼吸をしはじめた時、あと数時間で亡くなるからその前に母を清めないとというよく分からない感情がなぜか起こり、母に入浴を促した。その最中、数分のあいだに亡くなってしまった。お風呂場から父の元に戻ると、鼻水がひとすじ垂れていた。一目見て死んでしまったと分かった。いろいろなものを身体におさめておく力が切れたんだな、死んじゃったな、と分かった。

・・・
父に顔を寄せて笑顔で自撮りした。昨日の夜とおんなじことをしている間は、死んでても生きてる方寄りのところに居てくれるんじゃないか、というよく分からない願いをもって、撮った。

・・・
喪主挨拶をすることになり、改めて知った。「子は、親の人生をよく知らない」。生きているうちには聞きたいとも思わなかったし、ただただ、今も知らないまま。

・・・
父は死を絶対直視しないで保険とか遺言とか一切興味ない人だった。でも「なんとかなるのよ」と言っていた。その楽観的な態度に家族は疲弊した。そして腹立つことに、ほんとになんとかなった。くやしいな。
安定した人生って、幅が広い。保険でもなければ、家族のあるなしでも、お金のあるなしでもない気がする。父はなんで「なんとかなる」と思ってたんだろう。

認知症の母に向き合いながら

リビングで寝ている父に向き合おうとしない母。冷たいな。あんなにニコイチの夫婦だったのに、寄り添って手をさすることもない。遠くから顔を覗いて、すぐ離れる。むしろ怖がっているように見える。

・・・
父を見ながら「もうファイナルコースじゃない?」と言う。本人に聞こえるって!「生きるしかばねみたい」とも。どういうセンス!「意識不明に見える」とも言う。意識あるよ、聞こえてるよと言うと「そうかしらねえ」とぼんやりした声を出す。
母の不謹慎発言に爆笑するわたしたちもイカれてる。でも父も多分怒ることなく、聞こえてるよーと笑っていたんじゃないかと思う。非常識だけどこの母のブラックさがうちの家族を救ってる。

・・・
納棺式の後すら、まだ母は父の死を理解できず「あらーちょっと反応がなくなってきたわね」「目ぐらい開けてもいいのに」と言っていてギョッとした。さみしくなってきたのは死後1ヶ月後くらい。不在の感覚が定着したんだと思う。

・・・
認知症は、人生の辛い局面をダイレクトに受け止めないで済む力を発揮するんだな。本当に助かった。母は後追いするんじゃないかとみんなひやひやしてたから。認知症は、長く生きてしまう人間が穏やかに老いるためのしくみかもしれない。見直す価値あり。

・・・
記憶力が低下するのって嫌なものだ。わたしも人の名前が出てこないと、うわーキタと思うもん。その感覚が加速する時、そりゃ恐怖があるだろう。その上まわりが「認知症はやだねー」と表明していたら、本人身の置き所がない。
わたしは、自分も認知症になる可能性がたっぷりあるから、堂々と認知症になれる社会のほうがいい。

その他いろいろ思ったこと

認知症の人といるとどんどん片付けたくなる。どんどん整理したくなる。いろいろやりっぱなしの積み重ねを見ていると妙に辛いのと、本人の意思を確認しているときりがないから。父と母といると、わたしはいつも若干イライラしながら片付けてばかりいた。でも本当に綺麗になるのは、その人が死ぬとき。死ぬことは片付くこと。父の脱ぎっぱなしはもうない。身体もない。

・・・
家で介護をしていると、世界が閉じていく感覚がある。高齢者の視点に合わせて身の回りの世界づくりに集中し、小さく小さくなっていく。介護者はその閉じた世界で完結し、親の状態だけに意識が向いていくことで、「社会から置いていかれる不安」が薄れていく一方で、本人の人生も萎縮してしまうリスクがある。
さいきん話題になっているヤングケアラーも「不幸ではない」けれど「ひらけていかない」のではないかと想像する。まわりが不幸だと押し付けず、丁寧に話を聞いた方がいいんじゃないかと感じる。

・・・
訪問介護や訪問看護の方々について、高齢者は「家族の延長」と感じている場合があるのが分かる。いつも一緒にいるから。だからこそ「仕事でやってもらっている」のが寂しくなるみたい。母は彼らを信頼しているのに、たまに「あの方たちは仕事で来てるの」と冷たく言うことがある。彼らに頼り切りたくなるほど、お金でつながっている、と確認せずにはいられないんじゃないかな。
裏を返せば、ヘルパーさんは仕事と愛の両方を求められる。これが彼らのやりがいにも、窮状にもつながっているんじゃないかと推測する。

・・・
こどもが親を介護する時に腹をたてがちな理由を考えてみる。親が老いて理性のタガが外れ、素性?らしきものが見える時、自分自身の(好きじゃない)性質と親のそれとが重なって遺伝を呪わしく思ったり、この親のこの性質がわたしを生きづらくしていたんじゃないかと改めて因縁を感じたりするからじゃないかと思う。 
だから基本、気が重い。
でも親だから見る。見なくちゃというのもある。「見なくていいよ」と言われても多分、見るんだと思う。快不快や義務感だけでは片付かない力が働いている。

・・・
みんな忙しい。みんな自分で精一杯。仕事もあるし、子育てもある。だから介護も看取りも余分なことだよね。わたしもずっとそう思ってきた。人生を見直してみよう。誰かのために使える時間を確保しておく「遊軍」でありたい。社会に、自分に、遊軍部分を持っておきたい。


最後まで読んでくださってありがとうございました。来年はゆっくり浮上して、ぷかっと顔を出せればいいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?